第10話 旅路
「ひゃっはー! おウマさんドリフト!」
城壁外の荒野、真っすぐ行けばいいだけの道で馬車が急カーブを描く。荷台のクレインは遠心力で吹き飛ばされそうになる。兜がすっ飛んでは幌付きの荷台を転がっていく。
「バンシー! もっとまともに走れないのか!」
幌の隙間から外を見ると、景色がぐわんぐわん揺れている。
「狭い王都と違って、ここじゃ全部が道なんだ! 存分に走れるぜー」
「バンシー、酔っ払い運転はよくないよ!」
ロップはひっくり返っていて、バニーガールの股間にクレインの兜がフィットしていた。
「ご主人様、兜をお付けします」
カトラリーは落ちた兜をウサギの股間から引きはがし、首なしの上に付けてくれた。
「ありがとう。しかし、この調子で数日もか……数日ってどれくらいなのだ?」
「馬によりますが、メイド騎士の駿馬で四日です」
「へー、王国で一番早い馬で四日もかかっちゃうんだー。ふぅううん、そーなんだー」
「はっ! 僕なら二日で着くね! 見てろよ!」
バンシーは急に真っすぐ走るようになった。横揺れが少なくなり、その代わり小石を吹き飛ばすような縦揺れが増えた。
「ロップ、あいつの扱いが上手いな」
「まーねー」
ロップは縦揺れに耐えるように正座をして、バニーの耳が振動でピコピコしていた。
「血の匂いがするな、バンシー」
「前方にモンスターと人間が戦っているよ」
幌の隙間から覗くと、前の方で巨大なトカゲらしきものが暴れている。四人の人間が群がるようにして戦っている。
剣を振るっては、モンスターの爪に弾かれた。箒を持った魔法使いもいる。魔法弾が放たれて、一匹のモンスターを吹き飛ばしていた。
彼らのパーティは手こずっているように見えた。
「あれはコカトリスのようです。冒険者が討伐依頼をこなしているのでしょう。そのことに関してはギルド傘下の魔術師であらせられるロップ様の方がお詳しいかと」
同じ隙間からカトラリーがひょっこりと顔を出した。その隣からは、ロップがウサミミを出した。
「あれはクランベリーコカトリスだよ。爪に石化毒が付いているから注意ね。でも大したことない、1クエストで三十匹刈ってやっとまとまった額になるぐらいよ。意外と肉が美味しくて、好んで刈る冒険者もいるぐらい」
よく見るとモンスターは、トカゲの身体に鋭いクチバシ、鷲のような鉤爪が付いている。
「邪魔だなあ、そんな雑魚ならこのまま突っ込んじゃうぞー」
「お待ちください、バンシー様。私が間引いて来ましょう」
「僕より早く走れる気なのか」
「短時間だけでしたら超えてみせましょう。よろしいでしょうか、ご主人様」
「手こずっている冒険者と、バンシーのために行ってこい」
「かしこまりました、四十秒で始末します――メイド式罰刀術“幾星霜”」
カトラリーはスカートの裾をつまんで、たくし上げた。黒い下着とガーターが露出すると共に、二振りの刃物が落ちてくる。カトラリーは狭い荷台に突き刺さったレイピアと短剣を引き抜いた。ふわりと幌を開け、地面に着いた瞬間、雷のように駆けだしていった。
冒険者の一人がコカトリスのクチバシに剣を咥えられていた。彼の背後から現れたカトラリーが、モンスターの脳天を刺した。そのままコカトリスを踏み台に跳躍。魔法使いに群がっている五匹の首を一瞬で撥ねた。
うじゃうじゃ群れるトカゲたちの間を駆け抜けると、その全ての個体は血を吹いて倒れていた。
最後の一匹が尾っぽをクネらせて逃げ出した。そのモンスターよりカトラリーは先回りし、その脳天を蹴っ飛ばした。
「お待たせ致しました」
カトラリーは風のように素早く、でも優雅に戻ってきた。コカトリスを一匹抱えて。
バンシーの馬車が、キレイになった荒野を走り続ける。
「お早いお帰りで……ああ、見直したよ。おかげで僕も楽々走れる、大助かり! でもひとつ言わせて! なんで持って帰ってきちゃったの! うちは無賃乗車お断りだよ!」
「お肉が美味しいと聞きましたので、皆さんに召し上がって頂こうと思いました。大丈夫です、血が出ないような殺し方をしましたので」
「さっき食べる冒険者もいるって言ったけど……あくまで特例だからね。普通は携帯食だから」
ロップは荷台にある塩漬け肉を噛みながら言った。
「いらないと言うことでしょうか……私のやったことは無駄だったのでしょうか」
カトラリーがクレインを見た。凛とした表情が崩れて目じりが下がっている。抱えたコカトリスがわなわなと震えている。
「あ、ああ、後で食べよう。ありがとう、そんな子供みたいな顔をするな。荷台の隅に置いておいてくれ」
「かしこまりました、ご主人様」
カトラリーは無表情だったが、喜びが伝わってきた。自分が刈り取った獲物を見せびらかすように、白目を剥いたコカトリスの頭をクレインに向けた。彼女は動かないモンスターの顎を動かして、口パクをさせている。
わ・た・し・を・た・べ・て
クレインはそう読み取ることが出来た。まったく、中身は子供っぽいメイドだ。
「食べ物で遊ぶな」
「申し訳ありません、丁重に保管しておきます」
◆
「まだだ……まだ僕は走れる」
辺りが暗くなってきた。夜風と共に、ぜぇぜぇと荒い馬の息が聞こえる。
「もう夜だ、少しは休めバンシー。ぶっ通しじゃないか」
「はーい! そんなにクレイン様が心配してくれるなら休んじゃおっと」
馬車の揺れが収まった。外に出てみると、バンシーは白い泡まみれだった。
「どうした、石鹸でも被ったのか」
「クレイン様にぶっかけられちゃったー、きゃー」
「アホな事をいうな」
「あははー、冗談冗談。この白いクリームみたいのは僕の汗だよ。ウマは人間よりも汗っかきだから、こうなっちゃうんだよ。ちょっと本気出し過ぎたかな」
「なるほどな、しっかり飲んでくれ」
クレインは荷台から水の入った樽をそのまま出して、蓋を開けてバンシーの元に置いてやった。
「ありがとう、クレイン様! アルコール入り?」
「いや、ただの水だよ」
「ちぇー」
馬車が停車した近くの岩場には小さな洞窟があって、そこならば風が防げそうだ。
小さな休憩スポットに、カトラリーが焚火をたいてくれた。
「早く調理したくて、うずうずしているようね」
カトラリーが抱きかかえたコカトリスの尻尾を、ロップがつつく。
「調理の仕方を教えてください、ロップ様」
「仕方ないわね、後処理の仕方教えてあげる」
「僕食べたくないんだけどー」
荷台を切り離したバンシーは、首を下にして尻を突き出しては大きく伸びをしていた。
「その辺にロクな草も生えてないんだから、食べるしかないよ」
「頼むロップ! 美味しく調理してくれ」
「任せてよ。カトラリー、手伝いお願いね」
「包丁の扱いなら、自信があります。どこを切ればいいでしょうか」
カトラリーがスカートの下から、小さな刃物を取り出した。
「まずは石化毒の爪を切り落としてね。指を切らないよう気を付けて、掠ったぐらいなら石化しないけど一晩は痺れちゃうから」
「毒に負けるような鍛え方はしていませんので大丈夫です」
「そういう意味じゃなくて……あら、上手」
カトラリーの包丁捌きで一瞬で爪が切り取られた。それらをロップが洞窟の外へ投げ捨てる。
「次は皮を剥いで、塩を揉み込む。尻尾の先から刃を通して頭のてっぺんまで切り口を開くと、するりと向けるよ」
皮を剥かれたコカトリスはその冠名通り、クランベリーのような濃いピンク色をしていた。
「おなかを開いて、肝臓は潰さないでねそこが毒の源だから傷を付けずに処理して」
瑞々しい肉にロップが岩塩を擦り込んで、お尻から木の棒を差し込んで焚火の傍に立てかけた。
「ソース作りだけど、いいの持ってきた?」
「王国名産のシャンバルソース」
「いいね、隠し味はベリーが入っている。相性がいいんだよ。クランベリーコカトリスっていうぐらいだからね」
焼きあがったコカトリスは、牛や豚と遜色なく見えた。香ばしい匂いがして、表面が黄金色に輝いている。
木の棒から外され、肉はカトラリーによって切り分けられた。木の皿にのせられ、ソースがかけられる。携帯食の硬い黒パンに、チーズのかけら、燻製肉が添えられた。カトラリーが王国から持ってきてくれたものだ。
「いっただきまーす!」
早速ロップがかぶりつく。「おいしーい」と続く彼女に、バンシーがおそるおそる近づいてくる。
「ほ、本当においしいのか」
「気になってきたでしょー。ほら、我慢せずいっちゃいなよ」
「むぅう! 分かった僕の負けだよ! 食べるよ!」
ロップは既に用意されたバンシー用の皿を差し出す。黒馬は頭を下げて、ゆっくりと食いついた。
「ん、ん……あら、ほんとおいしい!」
「カトラリーと私の腕のおかげね」
「恐縮です」
カトラリーが皿をクレインの方へ持ってきた。
「私の分か、必要ないと言っただろう」
「味は感じますでしょう。娯楽のために、お召し上がりください。ご主人様の喜びが、私の喜びです」
「しかし、皆が食べる方が有意義だ」
「ちょっと量が多いかな、もう焼いちゃったものは保存できないし、食べてくれる方が嬉しいな」
「え、僕はもっと食べ……いや、ちょっとお腹いっぱいかな―」
「お前たち、そうまで言ってくれるのなら頂こうか」
兜を外し、銀のフォークを取った。鎧の穴に肉を放り込む。噛むというより溶かすようにして食むと、生前と同じような味を感じた。
コカトリスの肉は鶏肉のような弾力があって、油が多く独特なぬめりがあった。それをベリーの残り香がする塩辛いソースがベストマッチしている。
「美味い、そうか。やはり食べられるということは幸福なのだな」
「では私もいただきます」
最後にカトラリーも皿に手を付ける。文字通り、食器を使わずに手づかみで。
「食器を使ったことないのか」
「お恥ずかしながらご主人様、メイドは王と共に食事を共にすることはございません。ただ少しの時間に押し込めるように食べて、洗い物を少なくするために食器も使いません。だからこのように、皆で並んで食べることは初めてなのです」
カトラリーは自身の汚れた指を舐めた。
「しかし、なぜこんなに美味しいのにあまり食べられないのだ」
「それはね、食べ終わって少し経つと舌がしびれびれれに、ななっちゃうはら」
ロップの小さな口から、ピンクの舌がはみ出した。よだれが垂れ、ぴくぴくと頬が跳ねるように話す。
「だ、大丈夫なのかれろ……む、わたひもか」
クレインも鎧の内側にピリリとした感覚がした。舌は無いが、体中が少しだけ痺れ発声が霞む。水分のアルコールは置換して無効に出来ても、毒自体はこの身体にも効くらしい。
「だいじょうぶですか、ごひゅじんしゃま」
「ちゃんと処理しても、こうなっひゃう。でもだいひょうぶ、二、三時間もすれば、なくなるひよ」
「まったく不甲斐ないね。毒物を好んで食べるなんてどうかしてるよ」
「バンひー、君はへーきなのか」
「言ったでしょ、僕は痛みの否定者だからね。神経系の毒なんて効かないよ。面白いから三人で喋っていてよ」
「高みの見物をしやはって……」
「死を否定しても、痛みも苦しみも全部味わえるんだ。羨ましいねクレイン様は」
「バンシーも同じように味わえているじゃにゃいか」
「僕は感覚が鈍いんだよ。楽しみも悦楽も、神経が鈍感だから痛みの否定者なんだよ。カトラリー、塩を追加してよ」
「かひこまりまひた」
カトラリーが岩塩を振りかける度、バンシーの馬耳がピコピコと揺れる。塩の容器を傾けるのを止めると、耳がペタンと閉じた。また振りかけるのを始めると、ピコピコとしていた。
結局、肉にはこんもりと塩が乗った。
「うわーい! ありがとう! まだまだちょっと足してもいいかも、でも美味しいよ」
バンシーは肉食動物みたいに、バクバクと残りの肉をがっついていた。
「健康は大丈夫らのか」
「心配してくれるの、クレイン様? ありがとう、でも人生には刺激がないとね」
食べながらバンシーは横目にこっちを見ながら、耳をぴくんと動かした。
痛みが無いという事は、身体の異常が分からないという事なのでは無いか。クレインは少し心配になった。
「ほどほどに……しておけろ」
「僕たちは人間じゃないよ、遥かに丈夫なんだからくだらないこと考えとくものじゃないよクレイン様」
「そうだな」
コカトリスの毒気の抜けてきた頃には夜もすっかり深くなり、皆は寝てしまった。不死のクレインは寝る必要なく、見張りをしていた。
「お前たちはしっかり寝ていてくれ。夜の見張りは私がしておこう」
「交代しますよ、ご主人様」
「いらん、私は寝なくても死なないからな。カトラリーは昼間しっかり戦ってくれた、しっかりと休養してくれ」
「感謝致します、ではお言葉に甘えさせていただきます」
「おやすみなさーい!」
カトラリーが洞窟に野宿用の布団セットを敷く。ロップがさっそくくるまった。
「じゃあ僕も寝るよ。魔物が襲ってきたりしたら、僕の尻を叩いてね。そりゃもちろん、サディスティックな女王様よりも激しくね! そこまでしないと起きないから」
バンシーは四本の足を折ってしゃがみ、そのまま地面にごろりと転がった。
「そんな趣味はないよ」
長い夜になりそうだ。クレインは寂れた荒野の夜を見上げた。
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