画家の両親 中条五郎・中条梨美

「少なくとも生まれたばかりの頃は普通の子だった、と思うんだけれど」

 中条五羽の母である梨美りみは、眼鏡越しにどこか自信無さげに言った。白いものが混じりはじめた髪を撫でる手には、年相応の皺が刻まれている。普通、というのがこちらが抱いた第一印象だった。

 妻の答えを引きとるようにして、五羽の父である五郎ごろうもまた頷いてみせた。

「あいにくウチは五羽一人しか子供いなかったから、他の子供と比べるのは難しいんだが、周りの話を聞いたかぎりでは、幼い頃に関しては普通といって差し支えなかったはずだ。感情のままに泣いたり笑ったり、野山を駆け回ったりね」

 野山という表現からわかる通り、五羽の生まれた場所は自然溢れる村だったとのことだ。過疎化が進むその地域内で、物心がついたばかりの五羽は、さほど多くない子供たちと遊んでは、泥だらけになって帰ってくるという生活を繰り返していたらしい。大きな声で良くしゃべる活発な男の子だったと言う。

「私とこの人があの頃忙しかったっていうのもあるけど、それ以上に子供にかぎらず、子供の世話は村ぐるみでみるのが当たり前みたいになってたから、近所の子供たちの中でも頼れそうな子たちに任せてた。だから、あまり傍にいてあげられなかったなっていう後悔はあるの」

 梨美も五郎もともに村で生まれ、絆を育み、五羽を授かった。しかし、夫妻が大人になる頃には、村内での働き口がきわめて少なくなっていた。そのため、働き口を外に求めることになり、同じ県内の遠隔地に車で通い続けていた。不便だという自覚がありつつも、村に住み続けたのは、それが当たり前だったからだ、と五郎は語る。

「僕も妻も村で一生を終えるつもりでいたからね。外の世界に対しての憧れみたいなものもなかった。いや、そもそもろくに想像もしてなかったというのが正しいかな。だから、外で働いてた時も、常に心は村にあったんだ」

 この気持ちは自分も一緒だったと梨美も語った。とはいえ、五羽が小学生の半ば頃になった時には、引っ越しを決めることになる。きっかけはある事件だった。

「その日は五郎さんよりも私が先に帰ってきたところで、村長さんが血相を変えて訪ねてきて、『五羽』がいなくなったって言ったの。頭が真っ白になってるところで、五郎さんも帰ってきて……」

「話を聞いた瞬間、冷静でいられなくなったけど、二人ともあたふたしているわけにはいかないからなんとか心を奮い立たせたんだ。そうしたら、五羽だけじゃなくて、一緒に遊んでいた子供たち五人が行方不明だって聞いて、ますます、どうしていいかわからなくなりかけてさ」

 思い返すだけでも、いまだに肝が冷えるよ。苦笑いする五郎の顔には、癒えない戦慄が刻まれているように見えた。

「いずれにしろ探すしかないから、それからは村中大騒ぎで、山狩りに繰りだした。ずっと住んでただけに土地勘はしっかりとあるから、担当区域のお巡りさんたちよりも効率的に探してたかもしれないな。大きな声では言えないけど、人がいなくなること自体は、何年かに一回は起こることではあった。ただ、一遍に六人もっていうのは初めてだったし、自分の子供がいなくなったともなれば、なかなか冷静ではいられなかったな。とはいえ、探せど探せど子供たちはみつからなくて、ただただ時だけが過ぎていったんだ」

 手がかりらしい手がかりも、いつも通り子供たちだけで遊びに行った、ということだけで、詳しい足どりも不明。大人たちはかつて自分たちが遊んだ森の中に放置されたままの隠れ家であったり、河川近くにある洞窟など見つかりにくい場所を探したうえで、行方不明になった子供たちと年代が近いものたち心当たりを聞いてみたものの、一向に成果が上がらないまま一週間が過ぎ去った。こうなると、どこかしらに保護でもされているのでもないかぎり、生存は絶望的だろう。誰もがそう思った時、五羽が一人でふらりと帰ってきた。

「私も五郎さんも内心、もう駄目かなと諦めかけていたから、突然現れた息子に驚くほかなかったんだけど、全力で抱きしめたの。けれど、いつもみたいに元気な声が返ってこなくて……最初は、疲れているんだろうと思って、五郎さんに村の人への報告を任せたんだけど」

 中条夫妻宅には早速、行方不明者の家族を中心とした村人や警察官などが集まった。夫妻への労いもそこそこ、五羽から話を聞きだそうという話になりかけたが

肝心の本人はぼんやりとして、うんともすんともいわない。疲れているんだろう、とその日はお開きになったが、五羽が喋ることは、村を出ていくまで一度もなかった。

「あの子が一人だけ帰ってきたことで、多分だけど、村の中にある種のよどみが生まれたんだと思う。僕らはどんな形であれ息子が帰ってきってほっとしているし、他の村の人たちも表面上は良かったって喜んでくれている。表面上は、なんて言い方は良くないか。たぶん、多くの人が五羽が帰ってきたのを喜んでくれていたとは思うけど、同じように帰ってきてない子たちとその親もいるわけで。心穏やかでない人たちの複雑な目線をいつも感じていた」

 村を出たのは、五羽の心の治療を受けやすくするため、という目的もあったが、こういった地域内での居づらさも少なからず絡んでいたのだという。

「生まれ故郷を離れなきゃならないなんて、想像もしてなかったから。最初はどうしていいかわからなかった。でも、それ以上に私たちは、あの子の心を取り戻さなきゃならなかったから」

 そして、息子は思のほか早く心を取り戻し、絵ばかり描くようになった。これはこれでものすごい変わりようだったため、夫妻は戸惑いを隠せなかったらしいが、とにもかくにも元気になったことを喜んだ。

「子供が元気になってくれるのが一番だからね。心が戻る前とは違って、あまり喋らなくなってはいたけど、とにかく生き生きとしているのには安心した。後々、息子は絵で有名になっていったけど、僕らにとってはそこら辺はおまけだよ。生きていてくれればいいんだ」

 そんな風にほっと胸を撫でおろす五郎は、今起きたかのようにかつての出来事を語った。梨美もまた深く頷いたあと、

「私たち家族だけだったら、良かった、の一言で済んだんだけど、については知らんふりするわけにはいかなかった」

 難し気な顔をした。

「しばらくして、落ち着いた時に私と五郎さんで、行方不明の間、なにをしていたのか聞いてみたの。もしかしたら、辛い記憶を思い出させてしまうかもしれないし、また心を失ってしまうかもしれない、って不安もあったけど、あの子は特に緊張するでもなんでもなく、『ごめん。覚えてないんだ』って。村の人たちには悪いけど、正直ちょっとだけほっとしたの。この子の心に傷は残ってないんだって」

 それから瞬く間に十数年が過ぎ去ったあと、夫妻は五羽とみらんの住む、アトリエ兼自宅を訪ねていた。頻繁というほどではないにしろ、それなりに通っては、取り留めのない話を交わしたり、食事をしたりする。そんないつも通りの邂逅の途中、五郎は五羽と二人きりになる機会があった。

「僕も年齢が年齢だし酒も入っていたから、そろそろ孫を見せてくれよ、なんてことを言ったりしていた。みらんさんとも籍こそ入れてなかったらしいけど、僕も妻も、たぶん周りも、結婚しているように扱っていたし、五羽自身もまんざらじゃなかったように思う。おっと、話が逸れたね。とにかく、そんないつも通りのおねだりに、もう少し待てよ、と苦笑いした五羽が、ふと真顔になった。もしかして、うるさいことを言い過ぎたかもしれないな、って反省しかけた僕に、五羽は『村にいた頃、俺に女の友達っていたっけ?』って聞いてきた。僕も村を離れていたから、思い出すのに時間がかかったんだけど、よく一緒にいたお姉さんの姿が頭に浮かんだ。けど、すぐ後に、さあどうだったかな、ってごまかした。行方不明になった子の一人だったからね。五羽は、どこか残念そうに、そっかって、日本酒をグイってやってたけど、考えてみれば、あの言葉が、君の知りたかった旅行のきっかけだったんじゃないかなって思うよ」

 そう言った、五郎はどことなく後悔しているようだった。隣にいる梨美もまた、私も後から聞いて知ったんですけど、と呟いてから、

「もっと目を光らせていればな、っていう気持ちが今もあります。もういい大人なんだから一人で大丈夫だろうとタカを括っていました。みらんさんもああ見えてしっかりした娘ですし、仕事も順調そうだったから、弛みきっていたんですね。もっと、注意していれば、ああなる前に……」

 顔を覆い俯く梨美の肩を五郎が抱く。声もなく泣く二人を痛ましい気持ちで見守りながら、は中条五羽の最後に思いを馳せた。


 

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