会社員・加賀蹴斗
「あいつの旅行先? 心当たりがないな」
中条五羽の数少ない友人である
「だいたいあいつと俺の付き合いなんて、年に二、三回、飲みに行くくらいしかない。そんな薄い繋がりのやつに聞くよりは、恋人のみらんちゃんにでも聞いた方がよっぽど……ああ、もう聞いたのか。それで俺にお鉢が回ってきた、と」
この発言以降、加賀はより不貞腐れた感じになったように見えた。
「たしかに付き合いの長さだけだったら、みらんちゃんよりも長いけどな。今のあいつのことなんてよくわからんよ。年を追うごとに何を考えているのかわからなくなっていったくらいだしな。むしろ、昔のことが聞きたい? なんでだ? 行き先のヒントになるかもしれないからねぇ。別に減るもんでもないし、かまわないけど」
そんな経緯で、中条との出会いから話してもらうことになった。
「あいつと会ったのは小学生の頃だったかな。たしか、転校してきたあいつが隣の席になったんだったはず。あの頃のあいつはいつもぼーっとしてて、授業も碌に聞いてなくて、クラスのやつらに話しかけられても無視……っていうより、気付いてない感じだったか、あれは。そんな調子なもんだから、一歩間違えば虐められてたかもしれないが、たまたま隣だった俺が、世話係みたいな役割を押しつけられたわけ。その名もずばり、中条係。それでなんにもしようとしないあいつをどうにかしようと四苦八苦してたってわけ。もちろん、俺だけでどうにかできるわけもないから、担任の先生や、時には中条の親御さんも色々やってたけど、あいつはずっと魂が抜けたみたいで、どうにもならなかった。そんな風に過ごして、半年くらい経ったあとだったかな」
当時の加賀は絵画教室に通っていて、時々学校でその成果を見せていて、クラスの人気者だったらしい(そんな風に目立っていたから、面倒くさい役割を押しつけられることも多かったと自嘲していたが)。 その日もたまたま、加賀は当時、近所に住んでいた幼馴染の女の子を描いた絵を持ちこんで、クラスメイトに見せていた。その際中に、急に中条が立ちあがって、食い入るように絵を覗き込んだらしい。
「いきなり、なんだよって思って驚いてたら、あいつが俺の方を見て『ぼくにもかける?』って聞いて来たんだ。正直、むっとしたね。けっこうちゃんと学んでただけに、簡単じゃねぇよ、っていう気持ちでいっぱいだったけど、俺はあいつの世話係だったし、物も碌にわかってなさそうなあいつに対して真面目になるのも馬鹿らしいなって思って、『頑張れば描けるかもね』って優等生っぽく言ったんだ。そしたらさ」
あいつの目に光が灯ったんだ。どこか恐れるように、加賀は言った。
「人形に魂が宿ったみたいに、『じゃあ、やる』って楽しそうに言ったんだ。そんな風に唐突にやる気を出したあいつは、俺の通っている絵画教室に入って、あっという間に追い抜いていった」
実際の時間は子供の頃だけに正確に記憶していないらしかったが、加賀の認識としては一瞬だったらしい。それこそ、これまでの努力が馬鹿馬鹿しくなるくらいに圧倒的な才能だったと語る。
「横で見ていた俺も、いったいどういう理屈かわからなかった。憑りつかれたみたいにがむしゃらに描いてた。言葉にすればそれだけだが、その途中のステップを何段か飛ばしてるみたいだった。気が付けば、子供にしては上手い程度の俺なんか追いつけないくらいの距離ができていた。それでも、中学に入る前くらいまでは頑張ってたけど、ずっと横で無心に描いてるあいつを見てると、なにをやってるんだろうな、っていう気分になって、すっぱりと足を洗ったよ」
絵以外に特筆してできることがない加賀は、しばらくはなにを目的に生きるべきか悩んだりもしたそうだが、来の社交性もあって、友人には今昔も恵まれ続けたそうだ。
「ただ絵を止めたあとも、俺はあいつとよく一緒にいたんだよな。放っておくと絵しか描かないっていう別の問題はできても、世話が必要だったあの頃と違ってちゃんと話は聞くようになってるから、もう俺が側にいる理由なんかなかったし、絵を辞めた理由からしてもあいつと一緒にいたくはなかったんだけど、向こうはそんなの一切気にしないで、『もう絵は描かないのか?』なんて空気読まずに聞いて来たりした。誰のせいだなんて思ったもんだが、話を聞いてるとどうもあいつは俺の絵――っていうよりも、あの時描いた、女の子の絵がお気に入りだったみたいでな、ああいうのを描いて欲しい、って思ってたみたいなんだ。だから、最後の飲み会まで、しつこく『もう絵は描かないのか?』って聞かれたが、俺みたいなちっぽけな才能でも、天才様の特別の一つになれたってことで、ちょっとは中学までにやってきたことが報われた気になったもんだ」
そんな調子で中条が美大に入るまでは同じ学校に通い続け、加賀が物流系の中小企業に就職した後も、年に数回の飲み会というかたちで関係は続いたという。
「振り返ってみれば、悪くない関係だったな。時々、あいつの無神経さにイラっとしたりもしたけど、そこら辺は昔からの付き合いだったから、直接言い合って喧嘩なり仲直りなりすればいいだけの話だったから。一番、付き合ってて気楽だったと言ってもいい。最後の飲み会もそんな感じで、いつも通り、お互いに愚痴を言い合ったりふざけて殴りあったりして、まあまあ楽しくやってたよ。ただ」
歯切れが悪そうに言葉を切った加賀は、ほんの少し考えるような素振りを見せたあと、
「振り返ると、あの日のあいつはいつもよりも覇気がなかった感じがする。元気がなさそうだったから、もしかして新作に詰まってるのかな、って思って、直接、聞いてみたんだ。そしたら、あいつは薄く笑って『もう、描く必要もないからな』って言った……ように聞えた。そのまま、あいつはなんでもなさそうにビールを飲みはじめたから、なんとなく、どういうことだって聞くタイミングを逃しちまって、結局、そのことについては最後まで聞けなかったんだよ」
聞いとけばよかったなって、今更ながら思うよ。そう言って、加賀は虚ろな表情で喫茶店の天井を仰いだ。
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