王子の奴隷

小槌彩綾

序話 淡雪

 黒髪の少女が雪の上に、鼻歌を歌いながらお世辞には上手とは言い難い絵を描いている。

 はらりと舞い落ち続ける雪は容赦なく少女の身体に降り積もり、体温と体力を奪っていく。

 かじかむ手に白い息を吐き、少女は両手でぎゅっと自分の身体を抱いた。

「————」

 遠くから誰かが名前を呼ぶ声が聞えた。

 ふり返ると、少女に向かって手を振る男女がいた。

母様かあさま父様とおさま!」

 少女はパアーッと晴れやかな笑顔になり、立ち上がって走り寄ろうと足を前に出そうとした。

 しかし足は根が生えてしまったかのように一歩も前に動かず、そうこうしている内に男女は背を向けて歩き去って行く。

 待って、と少女は必死に叫ぼうとしたが口から声は出てこない。

 伸ばされた手は虚しく空を切るだけだった。


―——夢だ。


 白い雪の上が紅く染められていく。

 空は血の色。

 手は、服は、返り血に染まったままだ。

 目の前に転がる二つの骸の目が、ぎょろりと動いてこちらを見つめている。


―——幻想ゆめであったなら、どれほどよかっただろうか。



 夜の冷気でうっすらと瞼を開けた。

 夢から醒め、寝起きの擦れた声で何事か呟く。

 冷たい石の床から伝わる冷気も、今ではすっかり慣れたもので、意識して息を吸うと身体が夜の空気で満たされていく。

 硬い石が幾重にも重なって分厚い壁を成し、窓ひとつさえない殺風景な部屋がかすむ視界に広がる。

 首に触れると、ひんやりと冷たく硬い感触が手にある。 

 どれほど寝ていただろうかと記憶を反芻するが、意味がないことだと思いすぐに止めた。

 息をすると、今日も生きていることを改めて実感させられる。

 東國と呼ばれる大陸は、四國内では一番大きい。

 その分、富裕層との格差は他の三國とは比べものにならないほど群を抜いて激しい。

 早く寝よう、そう思って桜綾いんりんは瞼を閉じた。

 薄れゆく意識の中で、頭の中に響く声は翌日には忘れていた。


『待ってるから。ずっと、ずーっと』

 


 

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