おかえりフリーレン

@kuronekofutago

第1話

 冬が嫌い。

 まず寒い。道民だろうが寒いもんは寒い。

 朝起きられない。関節痛い。指先冷える。手荒れが酷い。肌ガッサガサ。雪掻き面倒。寒いの最悪。雪道歩くの大変だし、靴の中に雪入ったら冷たいし。あと、なんか太るし。やっぱ寒いし。

「遅い」

 そして、冬で一番最悪なのが朝にバスが来ない事。冬は道路が凍ってツルツルなので、全ての車はノロノロ運転になる。雪が降ると視界が悪くなり更にノロノロになる。そして奴は平気で十分、十五分遅れてくる。まあそれは北海道に生まれた業として諦めてるけど。私は大人ね。

「にしても遅い」

 冬のバスは時間帯と交通量と天候によってダイヤがぐちゃぐちゃになるのは当たり前。バスのすぐ後ろに次のバスが追走しているのも、馴染みある冬の風景と風物詩。そして今日は軽い吹雪。当たり前のようにバスは来ない。

 詰んだな。私は長丁場になると覚悟し、鼻が隠れるまでに深くマフラーを巻き直す。少しでも冷え切った心に暖を与える為に、フリーレン巻きにしてみた。

「え、まじか」

 この日のバスは二十分遅れ。もうそれはいい。ただ、バスが三台も連なってバス停に現れた。レアだ。もうどの時間のどのバスかなんて関係ない。私は比較的空いていた三台目のバスに乗り込んだ。

「加納?」

 私を呼ぶ聞き覚えのある男の声。眼の前の一人席に座る福田だ。福田は中学三年間同じクラスだったけれど、高校に入ってから別クラス。こうやって面と向かって会話するのも久し振りだ。

「お前、ここ座れば。この時間のバスに乗るって事は、大分野ざらし状態だったろ。耳真っ赤だぞ」

「遠慮はしないよ。さっさと退きなさい」

「はいはいエルフ樣」

 福田は立ち上がり吊り革に手を伸ばす。私は空いた椅子に座り福田を見上げる。

「ありがと。正直助かった。足冷たくて立つの辛かったから」

「…」

「何?どうかした?」

「いや、お前、人並みに礼とか言えるようになったんだな」

「高校になって人の心を手に入れたからね」

「ニンゲン、キライ。ハナ、スキ。オマエイイヤツ」

「そんなに私、悲しきモンスター口調だった?」

「てか、こんな日まで生足かよ。スカートも短いしよ。日が日なら死ぬぞ?そんな恰好じゃ」

「札幌のギャルは冬だろうが雪だろうが生足マストだから」

「お前のギャルの概念、違くないか?」

 中学時代、福田はサッカー部の副部長で私は陸上部の副部長だった。責任ある仕事は嫌だけれど、頼まれたら無下には断れない性格が災いして『副』という役職に付いた同類だった。

 福田との最初の会話を私は今でも覚えている。外周が嫌いな福田が陸上部の私に、どうしたら楽しく走れるんだ?と突然聞いてきた。私は楽しいと思って走った事なんてないよ、そう答えると福田は、じゃあ俺は間違っていなかったんだなと指ハートを私に見せつけた。

「え。意味分からないんだけど」

「安心しろ。俺もわからん」

 中学には変な奴がいるなあ…それが福田の第一印象だった。それから外周している福田を見かけると、今あいつは死ぬほど楽しくなく走っているのだなと、思わずにやけてしまうのだった。

「昨日、外周死んだ顔してたね」

「ああ…どうにか苦しみを和らげようと、素数を数えてみたんだけど駄目だった…」

「神父かい」

「1、2、3、5、7、11・・・って呪文みたいに唱えてたんだが・・・」

「いやいや、まず1って素数じゃないから」

「え!?そうだっけ!?なるほど…だから効果がなかったのか…」

「…」

「なんだよ」

「いや…間違った素数を数えながら走ったと思うと…面白くて哀しくて切なくて…今度外周してるあんたを見たら笑っちゃうかも」

「お前な・・・ああ!そうか!」

「な、何!?いきなり!?」

「俺、途中から口に出して何回も繰り返して素数数えてだけど、はっきり1から数えてたわ…絶対聞かれてたわ…みんなが笑ってたのって、そこか?」

「んん…そこと言うか何と言うか…単純にヤバイ奴と思われてたんじゃない?」

「え?俺、やばい?」

「T」

「シャツ?」

「屋」

「さん?」

 そしてアイ・コンタクトからのハイタッチ。私と福田が仲良くなったのは、この日からだ。

 中学の頃はこんな下らなくて馬鹿で、どうでもいい話ばっかり福田としていた。福田とはただただ話が合った。そこに恋愛感情なんて微塵もなく、よって育む事もなく、芽生える事もなかった。

 それが高校に入り、クラスも別れ、私は帰宅部になっただけで、ぱったりと話す機会がなくなった。それだけ薄っぺらくて中身のない話だったんだと今、改めて分かった。

「こりゃ完全に遅刻だ」

「この雪だしね。遅延証明書貰えるでしょ」

「なら安心か」

「…てかさ、いつもあんたこの時間のバスに乗ってんの?」

「ああ、いつも空いてるからいいぞ」

「いやいや流石に遅過ぎない?私の二本後じゃん。完全に毎日遅刻じゃないの?」

「バス降りて全速力ダッシュすれば、遅刻二分前にはギリギリ間に合う」

「朝から全速するの!?」

「朝早く起きる事に比べたら、全然余裕」

「朝っぱらから走りたくないな…」

「元陸上部が何言ってるんだよ」

「元だし」

 陸上で私は1500mを主にしていた。持久力と速さが求められる中学女子には結構ハードな種目で、皆が避ける競技らしい。なのでライバルが少ない。それ一点で私は1500に名乗りを上げた。

「もう足は大丈夫なのか?」

「全然。日常で歩いたり走ったり全然余裕」

 1500mの勝負はラスト200m。ここでのスパートが勝負を決める。中三最後の大会、私は足を捻って壮大にこけた。トップだった私は柄にもなく色気を出し、気を張り、結果スパートでこけた。他の選手にぶつかった訳でもなく、石に躓いた訳でもなく、何も無いトラックでこけた。次々と選手に抜かれあっという間の最下位。私の陸上は終わった。

「加納の走る姿好きだったけどな」

「そりゃどうも」

「岩渕みたいな天才肌のスプリンターみたいな感じで」

「岩渕?誰それ」

「元なでしこジャパンの岩渕選手だよ。海外でも活躍した最高のドリブラーだよ」

「私陸上だし、全然似てないじゃん」

「岩渕選手、156cmしかないんだよ」

「背だけかい。てか私158ありますけど」

「え!?背、伸びたん!?」

「隙あらばヤクルト1000飲んでるので」

「まじか…そんな効果もあるなんて知らなかった…」

「私もそんな効果あるなんて知らないけど」

 あの時、何も無い所で躓き転んだ私に、悔しさは微塵もなかった。それよりも何よりもお年頃の思春期女子だった私は、悔しさより今目立っている恥ずかしさに心臓がバクバク鳴っていた。

 足はどこも痛くない。つったりも捻挫もしていなかった。でも私は、足首を捻った振りをしてよろよろと立ち上がり、右足を引き釣りながらトラックを後にした。

 大きな拍手が私の耳に聞こえてきた。観客、競技者、関係者、様々な人々からの拍手が私に降り注ぐ。1位になった選手が私に握手を求めてきて、それを受けると泣きながら抱きついてきた。去年、私と全国に行った子だった。更に拍手が鳴り響く。

 止めてくれ。仮病だよ。演技だよ。足なんか全然痛くないよ。注目されるのが恥ずかしいだけなんだよ。私なんかに拍手なんて止めてくれ。私に走る権利なんてないんだから。

 高校生になった私は勿論陸上部には入らず、ギャルになった。中学三年間部活漬けの毎日が反動になり、髪を染め五指にネイルをし、ミニスカ生足マーメイドをデビューを果たしたのだ。まあ他のギャルよりかは生足の筋力が湧き出てるけど、まあすぐに細くなるでしょう。

「着いたぞ」

「完全遅刻なんだし走らないよね?」

 私がそう言うと福田は口をへの字にした。

 なんだよ。その古い演出は。

 バスから降りると暴風雪。雪自体はそれ程だけど、風がとにかく強い。積もった雪山の雪も一緒になって飛んでくる。地吹雪だ。

「こりゃ駄目だ。やっぱ走るぞ。ちんたら歩いてたら凍え死ぬ」

「ええ…」

「バス停から学校まで約100m。加納なら余裕だろ?」

「…ブランクあるっつーの」

「ほら行くぞ」

 吹雪の中走り出す福田。その後ろを追いかける私。雪に足が取られて思うように走れない。冷えた風と細かい雪達が次々と睫毛と眉毛に纏わり付いて、容赦なく眼球を凍らしに掛かってくる。

 瞼が開かない。耳が千切れる。鼻の中に冷気が流れ込み鼻の穴が塞がっていく。喉が痛い。息が出来ない。

 そして何より足が重い。こんなにも走るのって大変だっけ?雪がどうとか冷たいかどうとか、そんな話じゃあない。単純に足が上がらない。

「加納ー…生きてる、か…」

 私は福田を壁とし盾にし、前方からの風雪を耐え忍びながら走り続けた。髪もぐちゃぐちゃ。マフラーも解けかかっている。

 100mってこんな長かった?

「加、納…」

 風の音が凄すぎて福田の声が掻き消されていく。

「なーあーに?聞こえないー?」

「….1..…7.…..…11」

 あ、こいつ素数数え始めやがった。吹雪に心折れたな。しかもまた1から数えてんじゃん。

 海馬を切り裂く風の音。そこに紛れる間違った素数の数え歌。毛先は半分凍って雪だらけ。鼻水啜りながら太ももを上げる私。

 何だこれ。

 何やってんだ、私。

 そう改めて今の状況を把握し結果、急に笑けてきて面白くなってきた。非日常の行き着く先か、極限状態の行き着く先か、全て引っくるめて楽しくなってきた。ハイになってきた。こんな吹雪の日に走っている自分が滑稽で格好悪くてダサダサで、でも、何故か楽しかった。

 みっともなく終わった中三最後の大会。怪我した振りして同情を買い、悲劇のヒロインを演じた私。あの時の拍手が今でもたまに聞こえてくる。嘘っぱちの私に贈られた拍手の音が耳と心に突き刺さり、自己嫌悪に陥ってくる。走らない、走りたくない。もう二度と走ってなんかやんない。それは私が私に対する罰だった。

「加…納…も……う…少し…?」

 私は福田の声と身体を置き去りにし、走り出した。走り抜けた。盾がなくなった分、全ての風雪が私の顔にぶち当たってくる。眼球に雪がぶち当たり涙が出てきた。鼻水とよだれも垂れてきた。でも私はより速く振り上げ振り下ろす。

 何だこれ。

 なんて日だ。

 でも・・・。

 ははっ…楽し。

 1500メートル競技。勝負を制するには、ラスト200mでのスパート力が最重要。そして私はそのラストスパートが得意だった。

 私は走る。もう拍手なんて聞こえない。聞こえてくるのは素数の数と風の音だけ。

 私、やっぱり、走るの好きかも。



 冬が嫌い。 

 まず寒い。道民だろうが寒いもんは寒い。朝起きられない。関節痛い。指先冷える。手荒れが酷い。肌ガッサガサ。雪掻き面倒。寒いの最悪。雪道歩くの大変だし、靴の中に雪入ったら冷たいし。あと、なんか太るし。やっぱ寒いし。 


「あれ?加納?今日吹雪いてないし、バスも遅れてないよな?」

「んん……今日からこの時間のバスに乗る事にした」

「ええっ!?昨日お前、このバスは遅刻するって言ってたよな!?」

「忘れた」

「え、まさか…俺に会いたいから、とか?」

「大丈夫、それはない」

「即答だな。食い気味だったし」

「走りゃあ間に合うんでしょ?」

「え?」

「この時間のバスでも、全速力ダッシュすれば間に合うんでしょ?」

「ああ。でもブランク大丈夫か?昨日みたいな言い訳、天気の良い今日は出来ないぞ?」

「ははっ、たかが100m。逆にあんたが付いて来られるかが心配」

「一応サッカー部現役なんで」

「あっそ。まあ私のリハビリに付き合わせてあげる」

「え?どういう事?」

「いいよ、知らなくて。バス停近くなったらボタン押して」

「お、おう」

「降りた瞬間爆走するから」

「…」

「何よ」

「いや、お前、にやけてるぞ」

「そう?」

「走るの楽しくないんじゃあ、なかった?」

「まあ…昨日まではね」


 まずは荒療治。鈍った身体を苛め抜く。朝イチダッシュで眠っていた勝負勘と、忘れていた筋肉痛を身体に思い出させてやる。全てはそこから。全ては今から。負けてヘラヘラしていた昔の私を越してやる。例え負けたとしても今度は人目を気にせず泣いてやる。私は緩んでいたマフラーをぎちぎちに巻き直した。

 

 やれやれ全く冬は嫌いだ。

 でも楽しくなってきやがった。

 おかえり加納。

 おかえりフリーレン。

 1、2、3、5、7、11、13、17…………

 素数の呪文が効いた事にしておこう。

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