後編

 ユーシャは相当疲れたらしく、目を押さえていた。日が暮れてきたので夕食になったが、魔王城の食事は美味しくない。微妙な顔をしていてなんだか申し訳なかった。僕も料理はそんなに上手くない。


「ここ」


 食事の後は、僕たちの、部屋に連れて行った。非常に照れる話だが、こんな関係でも一応僕と彼女は恋愛関係、らしいので、変に気を使われてしまったのだ。


 部屋に入ったユーシャは、かなり驚いた様子だった。


「ゆーしゃ、これ、かいた」


 持っていた絵を見せると、ユーシャはすごく驚いたようだった。大きな紙に猫の絵を描いたのだ。実は前に描いたものだが、ちょうど良さそうだなと思って持ってきてもらったのだ。


「きにいった?」

「きにいった!」

「よかった。はる」


 彼女も気に入ってくれたようで、嬉しかった。一番目立つところに貼り付ける。


「ベッドは広い。安心」


 なんとなく、彼女は寝相が悪そうだ。ん、あれ、なんか元気がない。


「あの、魔王。私別に……」

「うん。おやすみ」


 やっぱり嫌なんだろう。まあそんな気はサラサラなかったので、予定通り魔王のパワーを使って城の倉庫にある布団を取り出し、そのまま床に敷いて寝た。


 魔王になってからやけに寝付きがよく、その日も早く寝てしまった。



 翌日、起きると彼女の寝相は思っていたとおりだったが、かなりリラックスしてくれたようで安心した。


 それから僕らは図書館で色々な本を読みあさったが、ずっと文字を読んでいると彼女も疲れるだろうと思い、厨房でおしるこを作ってみたり、魔王領内を見回って猫を探したり、ということもした。


 残念ながらおしるこを作ることは失敗し続けているが、ユーシャはすごく料理が上手だった。魔王城の料理は慣れてきても少し辛いぐらいのかなり酷い出来だったのだが、それが見るまに改善された!


 僕を含め、魔族の胃袋は彼女に握られてしまった。


 

 ある日図書館で本を読んでいて、僕はあることに気づいた。


 そういえば彼女は、たとえ猫とおしるこという単語を発見できても、その場でそれが存在するかどうかの判断ができないのではないか、と思った。


 言葉が通じないから魔族には聞けないし、僕が不在の時にそれが起こったら、ユーシャは不安を抱えながら過ごすことになってしまう。


 それはいけない、と、あわてて彼女の方に向かった。本とにらめっこしていた彼女はびっくりしていたが、なぜか急いでいた僕は、紙を取り出して急いで言った。


「ある。こう。ない。こう」


 びっくりしていた彼女も受け入れてくれた。その単語はYESやNOを表す意味もあるので、便利だと思います発音も合わせて教えることにした。


 そんな感じでなかなか収穫はないながら楽しく過ごしていたのだが、ある時反乱が起こってしまった。


 それは、魔族たちがユーシャに対して不満をあらわにしたものだった。僕としては、魔王の威厳を保とうと、自ら戦って説得することにした。


 反乱分子は有能な魔族もいるにはいたが、さすがに僕にかなうような猛者はおらず、すぐに制圧できた。


 そして、さあ捕らえようというときに、なぜかユーシャが止めに入った。


「魔王、ストップ!◯◯人たち◯言ってる◯◯結構真っ当◯こと◯◯思う。魔王◯説明不足◯ある◯◯◯◯、◯◯仕方ない◯。だから◯、私◯説得任せて◯◯◯◯?」

「きけん。だめ」

「いいから。何かあった◯守って◯◯◯◯でしょ?あなた魔王◯◯だから。◯◯、普通◯通訳よろしく」

「むむ……わかった。きをつける、ぜったい!」

「オッケーオッケー。◯◯、ハローエブリワン!」


 唐突にユーシャが変なことを言った。さすがに通じないだろう。ちょっと困ったら、それが伝わったらしく、一つ咳払いをしてから改めて話し始めた。


「皆さん、はじめまして。私◯勇者◯◯。把握して◯◯◯◯◯◯方もいる◯◯知れ◯◯◯◯、私◯おしるこ◯猫◯求め◯◯◯魔王城◯◯◯◯き◯◯た。私◯魔王◯◯危害◯加える◯◯◯◯◯◯◯思って◯◯◯◯◯◯方◯いる◯◯思◯ます◯、ご安心◯◯◯◯。見れ◯わかる◯思◯ます◯、私戦う◯◯すごく弱い◯◯!そして、魔王◯◯とても強い◯◯!◯◯◯◯◯◯、◯◯◯魔王◯◯趣味◯協力◯◯差し上げる◯◯◯でき◯◯◯か!?」


 話の内容は僕が通訳したけど、その迫力というか、そういうものはつたわったようで、反乱は鎮圧できた。血は、流れなかった。


 まあなにより、ユーシャの作る料理は大変美味しいので、それが一番の理由かもしれない。


 そんな感じで、1年間が過ぎた。


 その間、ユーシャの提案で床とベッドが交代になったりしつつ、平和に過ごした。


 その中でわかったことは、どうやら人間の方にも猫とおしるこはなく、それでユーシャはここまでやってきたらしいということだった。


 それでもかなり仲良くやっていたが、進展が全然なく、だんだん焦ってきたある日。


「魔王、おはよう」

「ゆーしゃ。おはよう」


 ユーシャの挨拶に僕も返した。結構文法的なことはわかってきたけど、ユーシャ曰く発音はずっと一貫してたどたどしいという。ユーシャも全然なじまないので、人間と魔族の間にはやはり隔たりがあるのかもしれない。


 まあ、そんなに感じることはないが。


 ユーシャが見るのは、魔王に関する棚だった。ちょっと恥ずかしいので、なるべく遠いところで作業することにした。


 新しい本に出かけようとしたとき、


「魔王!来て!」


 という、ユーシャの声が聞こえた。まさか、見つかったのか。かなり遠くだったが、急いで駆けつけた。


「ゆーしゃ!どうした」


 ちょっとユーシャの顔色が悪い。彼女はゆっくり、本を僕の前に差し出した。魔王の存在とは……みたいな本である。


「……っ!」


 まず目に入ってきたのは、おしること猫の文字。その上、その2つの単語の説明欄には、こう書いてあった。


【魔王を召喚する際は、呼び出す魔王が好きなものをこの世界から捧げる。今回の魔王の召喚によって失われたものは、「猫」と「おしるこ」である。】


 ああ、僕のせいなのか。


 僕の表情を見たユーシャも、それらが存在しないことを、察したらしかった。


 ……もう図書館に用はなかった。意気消沈した僕たちは、とぼとぼと歩いて部屋に戻った。


「……魔王」


 ベッドに座ってぼーっとしていると、部屋に貼られた大きな猫の絵を見ていたユーシャが振り返って呼びかけた。


「?」

「私に攻撃されるとしたら、ビンタと拳と頭突きとデコピン、どれがいい?」


 僕はすっかり、全部わかるようになっていた。随分変な質問に度肝を抜かれたが、そういえば彼女はそういうところがある。


「ゆーしゃがこうげき?せんぶいやだけど……びんたはきずつくし、こぶしはいたそうだし、ずつきもいやだから、でこぴんがいい」


 ちょっと迷ったが、僕が出したのはその結論だった。僕も魔族語がうまくなったものだ。


 と、


「ごめんね、魔王」


 ユーシャが日本語では呟いた。懐かしい響き。今までは僕の頭の中だけで響いていたはずの言語。


 驚いていると、考える間もなく、今度は人間語でユーシャがいった。


「ねえ魔王。猫ってすごくかわいいよ」

「うん」

「おしるこって、すごくおいしいよ」

「うん」

「食べられるといいね」

「うん。……ゆーしゃ?」


 なぜか当たり前のことばかり言う。ちょっと気になって顔を上げたら、ユーシャの指が目の前に迫っていた。


 ――召喚された魔王は、死んだらどうなるのか。そんなことは考えたこともなかった。だから、魔王なのに死んだんだ、と認識しても、ぼんやりとしか考えていなかった。


 ユーシャの悲しそうな顔が、頭から離れなかった。

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