魔王
前編
異世界に召喚されるなんて、本気で信じる人はいない。いやいるかも知れないけど、僕は信じていなかった。
あの日、までは。
「はじめまして。あなたは今日から魔王様です」
「……え?」
気づくと、そこに人がいた。普通に自室のベッドで寝ていたはずなのに。
それにしてもこの人は、男だろうか、女だろうか。服はボロボロすぎて原型をとどめていない。布をかぶってるだけみたいな感じで、よくわからない。
と、いうか。
「あの、どういう状況でしょうか」
「礼儀正しい人ですね。あなたはこの世界に、魔王として召喚されたのです。では、話はあの人達から聞いて下さい」
その人が指差した先には、人影があった。こちらへやってくる。
「あの、彼らは人、ですか?」
「いえ、正確には魔族ですね」
こともなげに言ってみせる、これが異世界人かと思わせる整った横顔を見て、それからその魔族の方を見た。
「おお、あのお姿、まさに魔王様!」
「すばらしい!おい人間、帰っていいぞ」
「はいはい。あ、魔王様、必要かはわかりませんが、一応の餞別です」
僕を召喚した人物は、何か本のようなものを投げ渡すと、スタスタと何処かへ行ってしまった。
ああ、人間はこの場に僕だけか。
「魔王様、ご立派ですぞ」
そういえば、僕はどうしてこの人たちの言葉がわかるのだろうか。絶対に日本語ではない言語で話しているのに。
「さあ、何か話してみてください!」
そう言われて、僕は少し困った。敬語を話すべきか、それとも魔王という立場に甘んじて偉そうにするべきか。
迷った末、僕は後者を選んだ。いや選んだと言うか、口をついて出たのがそれだった、というべきかもしれない。
「魔王である。以後、よろしく頼む」
僕としては、多分、魔王?です。よろしくお願いします。と、言おうと思ったのだが、これは困った。
ははあー、と平伏されるが、困る。ともかくものすごく立派な部屋に案内されて、どうやらここは魔王の部屋らしい、と気づいた頃には何やら鎧を着せられて出陣していた。
といってもまあ、かなり暇な任務だった。何をしているのかもよくわからなかったが、人間と戦っているらしいと気づいた時にはすでに遅かった。
「魔王様、バンザイ!魔王様、バンザイ!」
非常に困った。というか、魔族はどうやら全体的に頭が足りていないようだ。話がほぼ通じない。
とりあえず、魔王口調に変換されつつも一旦侵攻をやめさせた僕は、魔王城で暇を持て余していた。
そこで気がついたのが、例の餞別だ。表紙には何と書いてあるのかさっぱり読めない。ただ、中には見覚えのある字があった。魔族語だ。たぶん、魔王だから読めるんだろう。
人間語。その本の中にそう書いてあった。なるほど、と納得した。つまりこの本は、人間が魔族語を覚える時に使うものなのだろう。
そういえば、例の召喚士は普通に人間だったようだ。人間のくせになぜか魔王領をぶらついていたので、ひっ捕らえたら魔王を召喚できると言い出したらしい。曰く、召喚魔法が大好きで色々なところで召喚できるものを探してるとか、そんな話をしていたそうだ。
で、魔族が魔王を召喚できたら逃がすと言ったら、喜んで儀式を行った、と。
正直迷惑な話だが、まあこの餞別は暇つぶしに大変ありがたい。発音が載っているので、人間語を単語だけだが話せるようになったのだ。人間語はどうやら表音文字のようで、魔族語に振ってあるルビからその音がわかった。
大体マスターすると、また暇になった。ちょくちょく内政に手を出していたのだが、どうやら人間から手を出してきたらしく、今度は僕でも止められないような戦いになった。
そういえば、僕は結構強いようで、かなりの数の負傷した魔族を治すこともできた。
ただ、戦争というのはどうも性に合わず、かなり疲れていた頃だった。
ある時魔族から、人間が僕に会いたいと言っている、という話を聞いた。和睦できるならありがたいと、実際に会うことにした。やってきたのはずいぶん可愛らしい顔立ちをした人間の男で、まあ言ってしまえばまともだった。
しかし、話に乗せられてあれよあれよと言う間にもう一人の人間の女性と会うことになった。これは完全にそういうことなのだろう。
その交渉をした彼は、僕が人間語を理解できることに驚いていたようだ。まあ、役に立ったのでよかった。
で、現れたその女性は、僕が想像していた数倍は美人で、僕が自分の部屋の色にも使っている紫のドレスを着ていた。
「あ、あー。ま、まおう、だ」
一応の威厳的な問題として、ちょっと偉そうにしてみた。反応を見る限り、どうやら通じたらしい。
「……○○○、犬?」
犬、といったらしい。さすが、ネイティブは違う。というか、犬?
「ぼく、まおう」
うんうん、これで伝わるはずだ。しかし断片的にしか分からない。単語が分かれば大丈夫だとは思ったのだが。
「魔王◯◯◯わかって◯。◯◯頭◯上◯乗っか◯◯る◯◯犬◯耳?」
「これ?たぶん、いぬ」
「猫◯?いない◯?」
猫。彼女ははっきりとそう言った。猫。僕が前の世界で大好きだった、あの猫?あの猫だろうか。しかしなぜ、この世界の彼女がそれを知っているのだろうか。僕が探してもいなかった、猫。彼女は知っているのかもしれない。
いやでも、まだ、安心はできない。だって、猫という名前の全く別の生物かもしれないじゃないか。
「ねこ?ねこ……どんな?」
「こんなの」
彼女がなにか、動物……らしき絵を描いた。これは、これは一体何だ。やはり猫とは別の生物だったのか。
いや、待て。この感じだと、たぶん彼女は普通に絵が下手なのだろう。だから、ま、まあ、もしかし、たら?これは猫、僕の知っている猫なのかもしれない。
猫とは何か、彼女に聞いた。断片的な情報でも、それが猫によくにた生物であることはわかった。
「かくにん。ねこ。みみ。こう」
ほとんど確信を抱きながら、今度は僕が絵を描いた。僕の知っている猫の絵だ。彼女はうんうんと頷いた。
「ねこ。くち。こう」
彼女も大きく頷く。
「ねこ。からだ。こう」
彼女はまた頷く。
「ねこ。しっぽ。こう」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
「あってる!◯◯、猫◯動く◯◯一番かわいい◯。写真◯◯すごくいい◯◯、絵◯猫じゃない◯◯。動いて生きてこそ猫。◯、いない◯?」
「いきてこそねこ。どうい。ねこ、いない……」
「……◯っ◯おおおおおおおお!◯◯◯おしるこ!」
彼女は再び、僕のもう一つの大好きなものの名を叫んだ。彼女はおしるこも知っている!だが、油断はできない。
「おしるこ?おいしい?」
「美味しい」
「あまい?」
「甘い!」
「もちもち?」
「モチモチ!」
と、同じやりとりが繰り広げられた。僕のおしるこは、彼女のおしるこだった。
「◯◯◯◯……ない」
先程の猫と同じように作ってみようと試みたが、やっぱりダメだった。大量の試作品は、魔王たる僕のお腹をも苦しめていた。
「……私◯諦◯ない」
「ぼくも」
僕らの視線が交差した。この世界で初めて見つけた同志。そしておしるこの可能性!
「でも、今日◯◯◯◯◯無理……うぷ」
「うん……」
「どうしよう?」
「としょかん、ちしきおおい。あってる」
さすがにもう作るのはダメなので、僕は以前人間語を学んだ時のことを思い出し、そう言った。あの図書館には、かなり詳しい。
「ぼく、さがす。きみ、ねてる」
「そう◯◯、◯◯◯よろしく◯、おやすみ……◯◯いやいやいや。私◯探す◯。◯◯◯私◯そんなVIP対応◯◯?◯◯◯魔王◯◯でしょ?」
「ぼく、まおう。きみ、だれ?」
魔王かどうかを確認されて、僕はようやく思い出した。猫とおしるこにテンションを上げすぎて、肝心の相手への礼を欠いてしまっていたかもしれない。
「私◯勇者◯◯」
「ゆーしゃ?いいなまえ」
ユーシャ。彼女の優雅な姿にふさわしい素晴らしい名前だ。……まあ、どうやら少しおてんばなようだが。それもそれでいいかもしれない。相棒としては。
「◯◯◯、魔王。さすが◯私◯エゴ◯◯◯だし、一人◯◯寝てる◯◯◯◯◯◯嫌だ◯、◯◯効率悪い◯◯、私◯探す◯。◯、◯◯図書館◯どこ◯ある◯◯◯?」
「すぐちかく。でもゆーしゃ……」
「いい◯◯いい◯◯。◯、案内して◯」
本当に大丈夫なのだろうか。ユーシャは字が読めないはずだ。
「おお、おおおお、おおおおおお。学校◯図書室◯◯◯◯比べ物◯◯◯ないくらい◯広さ。……心折れ◯◯」
「ゆーしゃ、あそこ、ずかんある」
「いいね!見に行こう」
図鑑の棚には、ぶ厚い本がたくさんある。ユーシャには重そうだったので、取ってあげたりした。
「そ、そういうことかあああ!」
図鑑を手にしたユーシャがくずおれた。いったいどうしたのだろうか。
「字◯、読◯ない……」
あ、やっぱり読めないのか。どうしよう。ユーシャの言う通り、確かに二人で探したほうが効率がいい。どうしよう……あ。
「ゆーしゃ、だいじょうぶ。おしるこ、まぞくご、こう」
要は、おしること書いているのがわかればいいのだ。幸い、魔族語は人間語と同じで表音文字だから、わかりやすいだろう。紙に書いて渡すと、ユーシャは納得したようだった。
「ねこ、こう」
様子を見る限り、大丈夫そうなので安心した。
「◯◯。◯◯◯私◯とりあえず◯◯字◯探して◯◯◯。◯、魔王◯申し訳ない◯◯細かく見て◯◯◯ほしい◯」
「わかった。がんばる」
「うん」
ユーシャとなら、長い寿命を持つ魔族の知識が詰まったこの図書館で、あの2つの在処を見つけられるかもしれない。
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