魔術師クノンは見えている/南野海風
<一年前の魔法薬>
「――クノン先輩もお金に困ったりしました?」
セララフィラの質問は、お茶請けの話題程度のものだった。
まだ名前が付いていない魔道具――後の「魔建具」の構想を練り、基礎を作る段階で取った休憩。
少しばかり頭を休ませるために、ペンと書類と本を片付け。
セララフィラの侍女マイラが紅茶を淹れ、素朴なクッキーが供されて。
紅茶の香りに乗って、そんな話が出た。
「お金?」
この狭いアパートメントで、老侍女と二人きりの生活をしているセララフィラ。
今まさにお金に困っている彼女だけに、話題もそっちに寄ったようだ。
「僕は特に困らなかったかな」
一年前は、当然クノンも一年生だった。
今のセララフィラと同じ立場にいて、特級クラス特有の金銭問題に直面したわけだ。
しかし、すぐに稼げる商売を考案した。
「あの眠りの提供ですか?」
「そうだよ」
そう、例の睡眠の商売だ。
他でも色々と稼いできたが、毎日安定して稼げているのは、やはりアレだ。
「眠り……今ならその重要性がよくわかりますわ」
初めて聞いた時、セララフィラはピンと来なかった。
その時はまだ恵まれていたので、理解できなかったのだ。
でも、今はよくわかる。
――最近のセララフィラは睡眠時間を削っている。
魔建具に関わりそうな本や情報を片っ端から集め、頭に入れている。もちろん魔術の訓練も欠かさない。マイラの代わりに買い物にも行く。
アーシオン帝国にいた頃とは大違いだ。
忙しない毎日が続いているが、充実感があって嫌いではない。
だが、問題は身体だ。
疲労のせいで、常に身体が重い。
なのに頭だけは冴えている。
ずっと頭を使っているせいか、眠れないのだ。気が休まらない。眠れたとしても、どうにも眠りが浅い。寝ている間も何かしら考えているような感じがして落ち着かない。
実際、夜中に起きて、夢の中で考えたことをメモしたりもしているのだ。
こんな状態が続くと、いつか倒れてしまう。
熟睡させてくれる方法があるなら、ぜひ頼みたくもなる。
眠れないのは、つらい。
ゆっくりぐっすり眠れるのは、きっと、倒れた時か抱えている実験が一段落した時、だから。
――と、この状態になったところで。
眠りの提供という、クノンの商売が輝いて見えるわけだ。
「何をするにも、これでいいのかって疑問はずっとあるんだけどね。
あの商売だってそうだよ。需要があるかどうか、あったとしてもどれほどあるのか、稼げるものなのか。
もちろん先にやっている人もいるかもしれないし、その人の邪魔になるかもしれない。考えれば考えるほど不安要素も見つかるしね」
そう、最初はそんな不安があった。
あの睡眠の提供は手付かずの分野だったらしく、実にスムーズに浸透した。
たまたまそうだった、とクノンは解釈している。
それだけ皆、疲れていたわけだ。
クノンも経験しているが――頭を使いすぎると、眠れなくなるのだ。
なんでも、どうしても休みたいがために睡眠薬まで広まっていたとの噂もあるので……まあ真偽はともかく、渡りに船だと思った人が多かったのだろう。
そこにクノンの商売がピタリとハマッたわけだ。
でもそれは結果論だ。
最初からそれを見越していたわけではない。
需要の確信があったのは、同期の聖女の霊草シ・シルラ方面くらいだ。
ああ、それと、今開発している魔建具もか。
「他には何か考えました?」
「もちろん考えたよ」
睡眠の提供が、思った以上にスムーズに軌道に乗った。
だから二の矢が必要なかっただけだ。
「現実的じゃない、開発方法がややこしい、単純に難しいとか時間が掛かるとか、需要がなさそうとか、そういう理由でやめたのもたくさんあるよ」
一年前。
生活費を稼ぐために、あの睡眠の商売を考えたが。
もちろん、他も考えた。
まあ、考えているのはあの時だけじゃなくて、今もだが。
「そうですか。失敗や諦めたものも気になりますね。差し支えなければ、一年前は何を考えていたか聞かせてください」
まあ、話すことに問題はないが……。
「……なんだったかな」
思いついたことはメモする癖があるクノンだが。
その代償だろうか、書いたことを忘れてしまうことが増えた。
メモを見ればいいのだから、覚えておく必要がない。
……と、思っていたが。
正直メモを見ても「こんなの書いたっけ?」と思うことも多い。過去の自分のメモが興味深く、それを見ているだけで時間が過ぎていくことが多々ある。
そんなメモが今手元にないので、一年前の自分の思考が思い出せない。
「確か――」
クノンは一年前のことを振り返る。
「うーん……確か、働くことも考えたんだよなぁ」
「働く?」
「うん。水属性でできる仕事をしようかな、って」
魔術学校があるディラシックだけに、街で仕事をしている魔術師は多いのだ。
魔術師の実験や開発は、お金になるまでに時間が掛かる。
更に言うと、それがお金になる保証もない。
確実、堅実に稼ぐには、やはり普通に働くのが一番だ。
クノンは一年前、そんなことも考えた。
「ただの水はあまり需要がないみたいだけど、氷は需要があったんだ」
食堂やレストラン、市場、雑貨屋など。
食材を保存する方法として、氷は重宝するのだとか。
「調査した結果、頑張れば一日五万から十万ネッカは稼げるみたいでさ」
各店舗を訪ね、氷を提供する。
一件の報酬が五千から一万という話だったので、一日十件も回れば生活費と侍女リンコの給金くらいは稼げると思っていた。
睡眠の商売が不発なら、地道にこれをやっていこう。
この街に、そして魔術学校に慣れるまではこれでいいだろう、と。
「へえ! 大金ですわね!」
具体的な数字が出てきて、セララフィラは興奮した。
――アーシオン帝国のクォーツ家といえば、高位貴族である。
そのクォーツ家の娘であるセララフィラからすれば、五万も十万もはした金である。なんなら一日の小遣いくらいのものだ。
実際お金に困ったことはないし、そもそもお金を手にしたことさえない。
そんな正真正銘のお嬢様だった。
しかし。
ディラシックにやってきて、特級クラスの洗礼とも言うべき金策問題に直面して。
彼女は庶民的金銭感覚を身に付けた。
なんの役にも立たない浮ついた貴族的金銭感覚など捨て去って、地に足が着いた金銭感覚を。
それはもうしっかりと気に付けた。
今やタイムセールに食らいつく、一匹の狼である。
「一日五万ネッカですか……真面目に働くのもいいですわね。でもわたくしには無理かしら」
土属性は供給過多で、魔術師としての仕事が少ない。
――実は土属性だけではなく、他の属性もそうだったりするのだが。少なくとも魔術師が足りない、ということはなさそうだ。
一番需要があるのは、風だろう。
伝達と荷運び。
重い物を運ぶ、という作業は、日常の中にたくさんある。
引っ越しの時、家具を動かす大掃除の時、建築資材を移動させる時。
「飛行」ができれば更に仕事の幅はかなり広くなる。
「あと、やっぱり魔道具は考えたよ。簡単に作れるちょっとした物とか、売れるんじゃないかなって。でもこれも需要の問題があるよね」
「魔道具は特殊ですものね。使う者が魔術師に限られるわけですし」
そう、魔道具は魔力がないと動かない。
基本的には魔術師専用の道具なのだ。
「そっちじゃない方だよ」
「というと?」
「消耗品方面」
「あ、なるほど。魔法薬みたいな使い切りのものですわね」
「そうそう。土の妖精のような君はどんな魔法薬をご所望かな?」
「そうですね、使用人が喜ぶ魔法薬をくださいな」
これはきっと、貴族的に「使用人に給料を払える魔法薬」という意味だろう。
大っぴらに「お金になる魔法薬」とは言えないから。
「……まあ、そうなるよね」
愚問だった。
今お金に困っているのだから、当然お金になる魔法薬が欲しいだろう。
「それで先輩はどんな魔法薬を作ろうと?」
「僕もまだまだ未熟だからね、大層なものは作れないんだ。一定時間で色が消える染色剤とか、怖くなるほど油汚れに強い洗剤とか」
――少し離れたところで刺繍をしているマイラが反応したが、二人は気づかない。
「失敗作もあったなぁ。『携帯水』とか、アイデアはいいと思うんだけどなぁ」
「携帯水?」
「大容量の水を圧縮して、簡単に持ち運べるようにコンパクトにしたやつだね。小さな『水球』を破裂させたら桶一杯の水になる、みたいな」
「それは便利ですわね。でも失敗?」
「うん、失敗だね。日持ちしないし、ちょっとした衝撃で破裂するから携帯するには怖いよね」
「ビンか何かに入れれば?」
「たぶん壊しちゃうかな」
「金属製の頑丈な何かに入れれば?」
「その分コストが掛かるし、そもそも水って基本的には圧縮できるようなものじゃないんだよね。魔術だからできるってだけで。
だから生半可な物じゃたぶん閉じ込められないよ」
「結構難しいですわね……」
そう。
一年前、クノンも色々と悩み――
「あ、そうだ」
思い出した。
「魔法薬と言えば、実際作った物もあるよ」
今頃は資料やメモなどを置いている倉庫に、一年前に作った試作品があったはずだ。
「へえ、実際に。売り出すおつもりで?」
「当時は面白いかな、って思ったんだけどね。今考えると売れなかったと思う」
なんというか。
冷静に考えると、ただの玩具のようなものだから。
「一年前に作ったものだから、もう効能が消えているかもしれないなぁ。
明日持ってくるから、どんな魔法薬かは明日教えるね」
「あら。紳士の隠し事ですね」
「そう、紳士の隠し事。紳士の隠し事はレディを喜ばせるために存在するんだよ。……って言いたいところだけど、あんまり期待しないでね。大したものじゃないから」
一年前の自分は、なぜこれで稼げると思ったのか。
きっと新天地の真新しい生活に、浮ついていたのだろう。
――そして、翌日。
魔建具開発のため、クノンは今日も、セララフィラの住むアパートへやってきた。
「只今お嬢様は買い物に出ております。もうじきお戻りになりますので、中でお待ちください」
老侍女マイラに通されたクノンは、好都合とばかりに笑う。
「マイラさん、この飴をどうぞ」
「はい? こちらは?」
「昨日話した魔法薬です。まだ使えるみたいなので、ちょっとセララフィラ嬢にイタズラしてみませんか?」
「イタズラ?」
柔和な老女の顔に、かすかに警戒の色が……見えた気がするが、気がしただけだ。
――マイラはクノンを疑うつもりはない。
毒物を疑うこともないし、セララフィラを害するつもりもないだろう、と。やるならもっといい方法がいくらでも思いつくから。
「ただいま戻りました」
程なく、買い物を済ませたセララフィラが帰ってきた。
「おがえりなざい」
「は……はい!?」
セララフィラは驚いた。
淑女たるもの、強く感情を露にするものではない。
そう教わってきた彼女だが、それでも驚かざるを得なかった。
もう淑女が台無しだ。
「な、何!? 今のはなんですか!?」
いつものように、マイラが荷物を受け取りにやってくる。
いつものようにセララフィラもそれに応じようとした、のだが。
問題は声だ。
姿形は、さっき買い物に出る前に出た、いつもの老侍女である。
しかし、その声は。
「おっふふふふふぅ。いい声でしょぉう?」
「え、え、え、ええ、まあ、その、とても低くて実に雄々しい、お、お、おじさまみたいな声ですが……」
マイラは、とても低い雄々しい中年男性のような声を発する。
低すぎて少し声が濁っているような、実に渋い響きだ。言葉のペースが少し遅いせいか、色気を感じさせるねっとりした雰囲気を帯びている。
実に奇妙、というか、なんというか。
「ふっふっふっふっ」
戸惑うセララフィラの目の前に、二人目が出てきた。
とても低い雄々しい声で。
「どう? 驚いた?」
クノンだ。
いつもの声ではなく、とても低く雄々しい声だ。
「昨日話した魔法薬だよ。一時的に声が低くなるってやつなんだ」
これこそ、一年前クノンが作った魔法薬だ。
食べやすい飴玉タイプに加工して、売り出してみようかと思っていた。
口の中で音のフィルターが掛かり、出てくる声が低くなる、という仕組みである。効果は、口の中の飴がなくなるまでだ。
――一年前、なぜこれで商売ができると踏んだのだろう。
そこがクノンにもわからない。
こんなの玩具以上の何物でもないではないか。
しかもちゃんと魔法薬だから、素材の値が張る。だから値段もそれなりに高いし。
「――面白いですわね!」
ただ、玩具の価値でも構わない。
イタズラに掛かったセララフィラが笑ってくれたから。
「ふっふっふっ」
「おっほっほっ」
「くっくっくっ」
三人は渋い声で笑い続けた。
とても低く渋い声で、ずっと。
口の中の飴がなくなるまで。
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