図書館の天才少女 〜本好きの新人官吏は膨大な知識で国を救います!〜/蒼井美紗

  <九冊の本の贈り主>



 ある日の昼食後。マルティナがいつも通り王宮図書館の書庫に戻ると、いつもマルティナが座っている場所に九冊もの本が積まれていた。最初は歴史研究家の誰かが置いたものだろうと思い、何気なく一番上の本に手を伸ばしたのだが……その表紙を見た瞬間、マルティナは瞳を見開く。


「この本、初めて見た……」


 王宮図書館にある本は全部読んでいないにしろ、タイトルは全て記憶しているマルティナが知らない本。それは今手に持っている本が、少なくとも今までは王宮図書館に存在していなかったことを示していた。


(読んでみたい……!)


 新たな本に心を躍らせながらも、自由に読んでいいかどうかも分からないので、マルティナはあまり本に目を向けず意識を逸らした。そしてまず、これらの本が王宮図書館に入った新しい本かもしれないと考える。

 そこで九冊の本のタイトルをさらっと見てみると……その全てが知らない本だった。


(知らない本が九冊もある!)


 内心の興奮をなんとか落ち着かせ、マルティナは思考を続ける。

 全てが王宮図書館になかった本ということは、これは新しく入った本でほぼ確定だろう。しかしなぜマルティナの席に置かれているのか、そこはいくら考えても答えが出ず、マルティナはとりあえず本を置いたままにして開架に向かった。そしてちょうどいた司書の一人に声をかける。


「すみません。書庫の中に置かれていた九冊の本って、新しく王宮図書館に入った本ですか? 何か私がお手伝いできる作業があるのでしょうか」


 何か仕事を求められてあそこに置かれていたのではないか。そんな考えでの問いかけに、司書の男性は首を傾げた。


「新しい本、ですか? 最近は新しい本が入ったという話は聞いていませんが……」


 前提からの否定に、マルティナは困惑する。


「え、でも私がいつも使っているテーブルに、王宮図書館にはない本が九冊も積まれていて」

「……本当ですか? それは多分、司書ではないと思うので……歴史研究家の方々が、自らの蔵書などを持ち運んだものではないでしょうか」


 確かにその可能性もあるか。そう納得したマルティナは、司書の男性に頭を下げた。


「分かりました、ありがとうございます。皆さんに聞いてみますね。お仕事の邪魔をしてしまってすみません」

「いえ、問題ありませんよ。また何かありましたら仰ってください。少しでもお手伝いできたらと思っております」

「いつも助かっています」


 そうして男性と笑顔で別れたマルティナは、書庫に戻った。するとさっきは一人もいなかった歴史研究家の面々が、何人か戻ってきている。そこで今度はその数人に、九冊の本について聞いてみることにした。


「皆さん、少し聞いてもいいでしょうか」

「もちろん構いませんが、マルティナさんからの質問とは珍しいですね」


 興味深げな表情で集まってくれる歴史研究家の皆に、マルティナは九冊の本を示す。


「この本が誰のものかを知っていますか? 実は昼食から戻ると私がいつも使っている席に積まれていて、置き手紙などもなく……」


 皆は九冊の本を覗き込み、手に取ってタイトルなどを確認した。


「私は知らないですね……」

「同じく知らないです。というよりも、タイトル的に歴史研究家の誰かの持ち物ではない気がします」


 その可能性はマルティナも薄らと考えていたので、曖昧に頷く。


「確かに、あまり歴史に関係がないタイトルなんですよね」


 歴史どころではなく、今マルティナたちが研究している魔法陣にもほとんど関係がないような本ばかりなのだ。さらに九冊の本にあまり規則性がない。


 ただそうなると、この本を置いたのは誰なのか。王宮図書館の書庫に出入りできるのは、歴史研究家の面々とロランたち官吏が数人、さらにこの図書館の司書だ。司書は知らないと言い、歴史研究家の皆でもないとすると……あと可能性があるのはロラン、ナディア、シルヴァンたち官吏になる。


 そこまで考えたところで、マルティナの脳裏にある記憶が浮かんだ。そしてその記憶を頼りにタイトルを改めて確認すると、ここに積まれた九冊の本の規則性に気づく。


 これらの本は全て、少し前にマルティナが欲しいと言った本と同ジャンルなのだ。貴族家の使用人の仕事内容など内情に関する本や、貴族家に代々伝わる過去の偉人の日記、それからお金持ちが趣味で行っていたコアな研究成果や、貴族家の美しい庭園の世話日記など。


 貴族は裕福であり、その家の歴史を重んじる者たちもまだ多くいる。そのため貴族家にまつわる本は王宮図書館ではなく、それぞれの家にある書庫で保管されていることが多いのだ。

 マルティナはなんとか読む方法がないのかと思い、ロランたちに向けて溢した願いだったのだが……目の前に今、まさにその願いを具現化したような本があった。

 貴族に関すること以外にも、読んだことがない物語本も三冊ある。


(あの話をした時、王宮図書館には物語が少ないんだって、ちょっとした不満を漏らしたよね)


「ロランさん、ナディア、シルヴァンさん、誰かが私にくれたのかな」


 マルティナは、この九冊の本を準備してくれたのは三人のうちの誰かだと的を絞った。しかし、誰からもこれらの本について話を聞いていない。


(ということは、シルヴァンさんなのかな。それとも声をかけるのを忘れていた可能性で、ロランさんかナディア?)


 そんなことを考えていると、書庫にロランとナディアがやってきた。二人の姿を確認したマルティナは、すぐに手を上げて二人を呼ぶ。


「ロランさん、ナディア」


 呼びかけに応じた二人はマルティナの下に向かうと、積み上げられた本に気づき、不思議そうに首を傾げた。


「この本どうしたんだ? 随分と積み上げてるな」

「タイトル的には、あまり研究に関係がなさそうだけれど……」


 そんな二人の反応で、マルティナは九冊の本の贈り主が分かる。


「これ、お昼から帰ってきたら積み上げられていたんです。司書さんも歴史研究家の方たちも知らなくて、本のタイトル的にロランさん、ナディア、シルヴァンさんの誰かが準備してくれたものだと思っていたところで……」


 マルティナがそこで言葉を切って二人に視線を向けると、ロランとナディアは顔を見合わせた。


「ナディアじゃないんだな」

「ええ、違うわ。ということは……」

「シルヴァン、だな」


 ロランの言葉に、マルティナとナディアは同時に頷く。そしてマルティナが口を開いた。


「やっぱりそうですよね。前に私が欲しいって溢した本で、とても嬉しいのですが……なぜ準備してくれたのでしょうか。それに何も聞いていなくて、読んでいいものなのか」


 シルヴァンだと分かっても、準備してくれた理由は分からない。マルティナが困惑の表情を浮かべていると、ロランがふっと口元を緩ませた。


「多分日頃の礼じゃないか? ほら、マルティナはほぼ自覚なしに俺たちを助けてくれるだろ? あいつはそういうの気にしそうだからな」

「助けてますか……?」


 三人が探している書類の在処だったり、必要なデータをまとめる作業だったり、マルティナが何気なく口にする情報が凄く役に立つのだ。しかしマルティナにとってはほぼ無意識のことで、近くにあるペンを取ってあげた程度の助けなので、対価をもらうようなことだという認識がない。


「いつも助けられているわ。ありがとう」

「本当? それなら良かったよ」


 笑顔のナディアにマルティナが笑みを向け、そんな二人を見てロランが苦笑を浮かべた。


「あいつもこんなふうに、素直に伝えられたらいいんだろうけどな……」

「シルヴァンさんに、これらの本の話をしてもいいでしょうか。本当に私への贈り物なのか確認したいですし、もしもらえるのならば全力で感謝を伝えたいです」


 ここにある九冊の本が全て自分のものかもしれない。その事実にマルティナの心は浮き立ち、無意識のうちに前のめりになる。


「そうだな……あいつは嫌がりそうだし、認めるか分からねぇな」

「確かにシルヴァンは、澄ました顔で『私ではない』なんて言いそうだわ」


 ナディアのシルヴァンのモノマネがよく似ていて、マルティナとロランは思わず吹き出した。


「お前……っ、似せるの上手いな」

「ナディア凄いね。口調がそっくりだよ」


 笑いながら何気なく一冊の本を手に取り、ページをパラパラと捲っていると……マルティナはそこに書き込まれた手書きのメモを見つけた。


「あっ」


 思わず声を上げたマルティナに、ロランとナディアもそのページを覗き込む。


「何があったんだ……って、ちょっとしたメモか」

「これがどうかしたの?」

「うん。このメモ書きで、確実にシルヴァンさんだって分かったよ。この筆跡はシルヴァンさんのものだから」


 人の筆跡には意外と癖が出て、手書きの文字をそのまま画像として記憶できるマルティナは、脳内で筆跡の比較をすることができるのだ。

 その結果、この文字はほぼ確実にシルヴァンが書いたものである。


「お前、そんなことまで分かるのか……」


 ロランが呆れたような笑みを浮かべたところで、書庫のドアが開いた。そして入ってきたのは、まさに話題の中心であるシルヴァンだ。シルヴァンはチラッと九冊の本に視線を向けると、一切表情を変えることなく三人の下にやってきた。


「マルティナ、一つ相談があるのだが」


 その言葉をマルティナは手のひらで遮ると、九冊の本を示す。


「まずこちらの話からいいですか? ここにある九冊の本、準備してくださったのはシルヴァンさんですよね。ありがとうございます。とても嬉しいです。……私がもらってしまっていいのですか?」


 その問いかけから一拍遅れて、シルヴァンは首を横に振った。


「私ではない」


 その言葉がナディアのモノマネとそっくりで、マルティナは吹き出しそうになるのをなんとか耐えた。お腹に力を入れながら、さらに言葉を続ける。


「ぜひ感謝を伝えさせてください。……あの、少し言いにくいのですが、このメモ書きの筆跡がシルヴァンさんでしたので……」


 嘘を暴くみたいで少し躊躇ったが、このまましっかりと感謝を伝えられず、すっきりとしないまま本をもらうのは嫌だったので、マルティナはあえてその事実をシルヴァンに伝えた。


 するとシルヴァンはメモ書きとマルティナの顔を何往復かして、ブワッと頬を赤く染める。


「なっ、わ、私では……」


 一気に動揺を露わにしたシルヴァンに、全員が温かい目になった。


「シルヴァン、日頃の礼なら直接渡さなきゃ伝わらないぞ。照れるっていうのは分かるんだけどな」


 ロランがシルヴァンの肩に腕を回しながらそう伝えると、シルヴァンの頬はさらに赤くなる。シルヴァンはロランの腕から強引に逃れると、全員の顔を見回して「ぐっ」と詰まった。


 そして観念したのか、マルティナに声を掛ける。


「マルティナ……その、あれだ。その本は実家の片付けで処分対象になっていて、たまたま手に入った。助けてもらってばかりは性に合わんからな。それは好きにすると良い。マルティナが持っているのが、その本が活用される一番の道だろう」


 早口でそう告げたシルヴァンに、マルティナは満面の笑みを向けた。


「本当にもらっていいのですね! シルヴァンさん、ありがとうございます……このご恩は一生忘れません! これから何かあったら言ってくださいね。私にできることならなんでもしますから」


 瞳を輝かせながらそう伝えたマルティナは、九冊の本が正式に自分のものになったことで、抑えていた興奮が一気に湧き上がる。


(とっても貴重な新しい本が九冊も、しかも自分のものだなんて! 寝る前に読んだら絶対に幸せだ。今日からは何日幸せな夜になるだろう。ふふふっ、早く読みたいなぁ)


 なんとか口にしないで内心で留めたマルティナだったが、ニコニコとした表情と瞳の輝きで、口を開かずともその興奮は三人に伝わっていた。


 そんなマルティナの様子にシルヴァンの照れもどこかに行ったのか、呆れた表情を浮かべる。


「これはマルティナの行動に対する礼なのだから、それにマルティナが何かを返したら、また私も返さなくてはいけなくなり、無限に続くではないか」

「それ、素敵ですね!」


 シルヴァンの指摘に笑顔でそう返したマルティナに、シルヴァンは面食らったような表情を浮かべたあと、頬を少し緩めた。


「そうだな」


 素直にそう返したシルヴァンに、ロランとナディアも笑顔になる。


「じゃあマルティナ、それを読むのは仕事が終わったあとだからな。まずは午後の仕事をするぞ」

「そうね。もう少し頑張りましょう」


 二人の声掛けに、マルティナは後ろ髪引かれる思いながらも頷いた。


「……はい。今夜の楽しみにとっておきます。じゃあ、シルヴァンさんの相談から――」


 そうして四人は、穏やかな雰囲気で仕事を再開させる。そんな四人のことを密かに見守っていた歴史研究家の面々も、柔らかい笑みを浮かべていた。

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