サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと/依空まつり

  <ウニョウニョチョコレートドリーム>



 ここ最近、セレンディア学園の空気は少し慌ただしい。学園祭が近づき、人の出入りが増えたからだ。

 当然に生徒会役員達の仕事も増え、今もフェリクスが教師との打ち合わせのために離席している。

 生徒会室で作業をしているのは、副会長のシリル、書記のエリオットとブリジット、庶務のニール、そして会計のモニカの五人だ。

 そこに、演劇クラブのクラブ長がやってきて、シリルに声をかけた。演劇の舞台の仕様で、確認したいことがあるらしい。

 人望厚いシリルは、クラブ長や委員長から相談を受けることが多く、こうして呼び出されることが度々あった。


「すまない、少し離席する。ハワード書記」


 シリルがエリオットに声をかけ、二つに畳んだ紙を差し出す。


「先ほど、生徒会室の備品の発注書を書いていただろう。私の方で気づいた物をメモしてあるから、付け加えてほしい」

「分かった。そこに置いといてくれ」


 案内書の草案と向き合っていたエリオットが机の端を指差し、シリルがそこに二つ折りのメモを置く。


「確認が済んだら、ノートン会計に渡してくれ。学園祭の発注書と一緒に提出してもらう。では、頼んだぞ」

「あぁ」


 草案作りに忙しいエリオットが、さっさと行けとばかりに片手を振ったので、シリルは慌ただしく部屋を出ていく。

 モニカはそれを横目に見送り、学園祭絡みの発注書の確認を進めた。

 発注書は結構な枚数になっているが、数字が大好きなモニカには何の苦もない。


(金額は全て一致している。承認印も貰った……うん、大丈夫)


 あとは、シリルがエリオットに託した発注書とまとめて、提出するだけだ──というところで、エリオットが声をあげる。


「うぉ……」


 驚きが六、呆れが三、絶望が一。つまりはあまり嬉しくはない驚きの声だ。

 モニカ、ニール、ブリジットの三人は、作業の手を止めてエリオットを見た。

 三人の視線に気づいたエリオットは、フーッと鼻から息を吐き、手にした紙を広げて掲げる。


「見ろ。これが備品の発注メモだ」


 そこに書かれて──否、描かれているのは、ウニョウニョした何かだった。その横に、申し訳程度に数字が添えられている。

 いつも温和なニールが、顔を引きつらせて声を漏らした。


「こ、これは……」

「シリル・アシュリー画伯の新作だ。最悪だな」


 低く吐き捨て、エリオットはシリルが残したメモを作業机に置いた。

 紙面には、丸みのある何かと黒い粒々が複数書かれている。

 丸みのある何かは、曲線が多いからそう表現しているが、綺麗な円形ではない。シリルの絵は全体的に直線より曲線が多いので、そう表現するしかないのだ。

 丸みのある何かは、大中小の三種類に分けることができ、それぞれ触肢のようなものが生えていた。

 その周囲の黒い粒々は血飛沫だろうか? 或いは虫の死骸が散乱しているようにも見える。

 エリオットが真顔で言った。


「タイトルは、『絶望』にしよう」

「ふざけている場合ですか」


 ブリジットが鋭く言い、エリオットが肩を竦める。


「ふざけているのは、これを描いた奴だろ? なんでこれで伝わると思ったんだ」


 皮肉を隠そうともしないエリオットに、温和なニールが控えめに言う。


「あの、アシュリー副会長は、ふざけていたのではなく、きっと大真面目に……」

「だったら尚更タチが悪いだろ」


 重い空気が生徒会室に立ち込める。

 その如何ともしがたい空気の原因が、セレンディア学園一の堅物であるシリル・アシュリーが描いたウニョウニョだなんて、部外者には想像もできないだろう。

 既にシリルはクラブ長の元に向かってしまっている。いつ戻ってくるかは分からない。

 エリオットがグシャリと髪をかき、椅子から腰を浮かせた。


「仕方ない。受け取った時に内容を確認しなかったのは俺のミスだ。俺がシリルを探してくる」


 ついでにたっぷり嫌味を言ってやろう、とその顔が言っている。

 モニカはキュッと拳を握り締め、顔を上げた。


「あのっ、待って、ください」


 エリオットが動きを止め、胡乱な顔をする。

 モニカは唇を噛み締め、作業テーブルに置かれた紙を見据えた。


(……シリル様が描いた絵は、何度か見たことがある)


 初めは、とある商会の紋章。エリオット曰く「うさぎと腐りかけのオレンジ」は、雄牛と車輪を模したものだった。

 それ以降も、モニカは折に触れてシリルの絵を目にし、つぶらな目のウニョウニョと見つめ合ってきた。

 潰れたパンは猫だった。

 空飛ぶ魚は翼竜だった。

 モニカはまだ、その全てを理解はできない。

 それでも、そのウニョウニョに込められたシリルの意図を汲み取ろうと、モニカは日々、観察と考察を続けてきたのだ。

 理解できないものがあるのなら、理解できるまで考えるまで。

 たとえそれが未知の魔術式であっても、何らかの法則があれば、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉は不可思議を読み解くことができるのだ。


「まず、この三種のウニョ……物体ですが」


 エリオットが、げんなりと口を挟む。


「もう諦めて、ウニョウニョと言ってくれ。その方が分かりやすい」


「で、では、この三種のウニョウニョを、大ウニョ、中ウニョ、小ウニョとします。これらは適当な配置ではなく、三段に分けて描写されているように、見えます。ここに何らかの意図があるのでは、ないでしょうか?」


 一段目は大ウニョが一、中ウニョが三。

 二段目は大ウニョが一、小ウニョが一。

 三段目は大ウニョが一、中ウニョが三。


 ただし、二段目の大ウニョは、心なしか肥大化しているように見える。

 モニカは大中小のウニョウニョ達と心を通わせ、シリルの真意を考えた。


「ここで、絵の横に書かれた数字の九に注目してくださいっ。シリル様はいつも文字や数字を書く時、お手本のように綺麗な字を書きます。なのに、この九だけウニョ……その、歪です。もしかしたらこれは、数字ではなく絵の一部なのではないでしょうか?」


 紙面を覗き込んだニールとエリオットが納得顔になる。


「確かに……アシュリー副会長は誤読が起こらないよう、文字も数字も崩さずハッキリ書きますよね」

「言われてみれば、そうかもな。他の数字はきっちりしてるのに、この九だけ妙に下手だ」


 三段に分けて描かれた大中小のウニョ、飛び散った黒い粒々、数字の九に似た何か──それらを並べると、モニカの目には答えが見えてくる。


(きっと、シリル様の答えは、こう……!)


 モニカはフスッと鼻から息を吐き、力強い口調で言った。


「つまりこれは、竜の分布図を三段に分けて記しているんですっ。この大中小のウニョは町を意味し、そこから伸びる触肢らしき物は川、右上の数字の九らしき物は水源地、そして黒い粒々が竜の分布を……」

「備品の発注は、どうなったのです?」


 ブリジットの指摘に、モニカはハッと我に帰る。

 そういえばこの紙は、補充が必要な備品をシリルがメモしたものだった。これを補充してくれ、と言って、分布図を渡すのはあまりにおかしい。

 エリオットがしみじみと呟く。


「ふりだしに戻ったな」

「あう」


 観察と考察を重ね、ついにウニョウニョと心通わせることができた気がしたのに……。

 やはりこのウニョウニョは、魔術師の頂点に立つ七賢人でも解けない謎だったのだ。

 モニカが無力感に打ちひしがれていると、背後で声がした。


「おや、紅茶の淹れ方の勉強会かい?」


 その声が、あんまりすぐ近くから聞こえたものだから、モニカは口から心臓が飛び出すのではないかというぐらい驚いた。


「ひぎゅぶっ!? でっででっでんでで……」

「殿下、お戯れは程々にしてくださいまし」


 ブリジットがピシャリと言い、モニカの背後に立つフェリクスが小さく微笑む。


「すまないね。白熱しているものだから、水をさすのも悪いと思って、静かに入ってきたんだ」


 仮にそうだとしても、気配を消してモニカの背後に立ったのは、狙っているとしか思えない。この王子様は時々、そういう悪戯をするのだ。華やかで煌びやかな容姿なのに、気配を消すのが異様に上手い。

 だが、今はそれよりも気になることがあった。


「……紅茶?」


 先ほどフェリクスは言ったのだ。「紅茶の淹れ方の勉強会かい?」と。


「その紙の絵、紅茶の淹れ方の説明だろう?」

「……え?」


 大中小のウニョ、散乱する黒い粒、数字の九に似た何か──フェリクスはまず、大中小のウニョを順番に指さす。


「これは大きいのから順番に、ティーポット、ティーカップ、砂時計。ほら、二段目はティーポットにティーコゼーが被せてある」


 何回見ても大ウニョは大きなウニョウニョで、ティーポットには見えない。

 だが、確かに二段目の大ウニョは肥大化していた。おそらく、ティーコゼーを被せたところを描きたかったのだろう。

 それらを三段に分けて描いているのも、紅茶の淹れ方の手順を描写しているのだとしたら、納得がいく。

 つまりはこうだ。


 一段目、ティーポットとティーカップをお湯で温めておく。

 二段目、ティーポットに決まった量の茶葉と湯を入れ、ティーコゼーを被せて、砂時計で時間を測る。

 三段目、ティーポットの紅茶をティーカップに注ぐ。


 モニカは恐る恐る、黒い粒々を指さした。


「じゃ、じゃあこの黒いのは……」

「紅茶の葉だね」

「こっちの数字の九みたいなのは……」

「ティースプーン。それ以外の数字は、茶葉の分量や蒸らし時間のメモ書きかな」


 モニカは両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。

 セレンディア学園の淑女にあるまじき振る舞いだが、今だけはモニカを責める者はいない。


「大ウニョがティーポット……触肢は持ち手……だから、砂時計の小ウニョだけ触肢が内部に? でも、この曲線が砂時計……?」


 ウニョが、ウニョで、ウニョなのに……とブツブツ呟きながら、モニカは紙を凝視する。

 そんなモニカを憐れみの目で見ていたエリオットが、ふと何かに気づいたような顔で言った。


「いや、待て、殿下の読みはおかしいだろ。だってこれは、発注する備品のメモ書きなんだぞ。なんで紅茶の淹れ方なんか……」


 その時、生徒会室の扉が廊下側から勢いよく開いた。

 早足で中に入ってきたのは、まさに今話題のウニョウニョ職人、シリル・アシュリーである。


「すまない、ハワード書記! 渡す紙を間違えたのだが、発注はまだ間に合うだろうか……」


 なんてオチだ。とエリオットが唸り、フェリクスが苦笑する。

 シリルはエリオットの反応に不思議そうにしていたが、フェリクスがいることに気づくとすぐに姿勢を正した。彼にとって常に最優先されるべきは、敬愛する殿下なのだ。


「おかえりなさいませ、殿下! ……ノートン会計、具合が悪いのか?」


 膝をついて「ウニョウニョ……」と呟くモニカに、シリルが怪訝そうな顔をする。

 エリオットが半眼で言った。


「お前のせいだろ」


 シリルはキョトンとしている。彼は、自分の描いたウニョウニョが、生徒会室に混乱をもたらしたことなど、想像もしていないのだ。

 フェリクスがウニョウニョのメモを手に、穏やかに訊ねた。


「シリル、これは紅茶の淹れ方のメモかい?」

「はい、それは……書き損じです」

「書き損じ? ……ふぅん」


 フェリクスが何かを察したような顔で、意味深に笑う。

 シリルは気まずそうに咳払いをし、自分の机から折り畳んだ紙を引き抜いた。彼はその中身を確認して、エリオットに渡す。


「こちらが、本来の発注メモだ。それと、ノートン会計」

「ウニョ……あっ、はいっ」


 ウニョウニョに囚われていたモニカは、慌てて立ち上がり、姿勢を正した。


「殿下がお戻りになられたから、紅茶を用意するぞ。手伝ってくれ」

「はひっ!」


 シリルがキビキビと歩き出したので、モニカは慌ててその後を追いかけた。

 本当は発注書の提出作業が残っているのだが、シリルがすぐに戻ってきたから、時間に余裕はある。

 シリルが向かったのは、生徒会室と同じ階にある給湯設備を揃えた小部屋だ。

 茶器や茶葉だけでなく、湯を沸かすための高級魔導具も設置されているので、生徒会室の茶を用意する時は、いつもこの部屋を使う。

 生徒会室では使用人が茶を淹れることがあれば、手隙の生徒会役員が自分で淹れることもある。特に生徒会役員の中だと、シリルが淹れることが多い。そういう時は、モニカもよく手伝うので、なんとなく勝手は分かる。


(えっと、ティーカップは、こっちの棚で……)


「ノートン会計」


 カップを探すモニカの背に、シリルが声をかける。

 振り向いたモニカの鼻先に、何かが突きつけられた。


「これを。寮に持って帰っていい」


 突きつけられたのは、茶色い粉末の入ったガラス瓶と二つ折りにした紙だ。

 恐々受け取るモニカに、シリルはいつもの業務連絡をするような口調で言う。


「この部屋にある紅茶の淹れ方をメモしておいた。茶葉によって抽出時間が異なるし、大人数の時と少人数の時とでは勝手が違うので、このメモ書きを参考にしてくれ」


 二つ折りにした紙を開くと、先ほど目にしたばかりのウニョウニョが再び現れた。

 大中小のウニョウニョと、黒い粒々に数字の九──ティーポット、ティーカップ、砂時計、それと、紅茶の茶葉にティースプーンである。

 ただし、今回は絵の横に、紅茶の淹れ方の詳細が綺麗な字で書き込まれている。先ほどの書き損じは、このための物だったらしい。

 モニカはメモ書きと小瓶を見て、困惑気味にシリルを見上げる。


「あ、ありがとう、ございます……えっと、あの、こっちの瓶……は?」


 メモ書きと一緒に渡された瓶には、サラサラとした茶色い粉末が入っている。挽いたコーヒー豆とは別物だ。

 ふと、モニカは気がついた。


「もしかして……この間のチョコレート、ですか?」


 脂肪分を抜いた最新技術のチョコレートは、先日シリルに飲ませてもらった物だ。

 シリルが小さく頷く。


「そうだ。殿下もお召しになるとのことだから、ノートン会計も淹れ方を知っておいた方が良いだろうと思い……つまり、これは殿下のためだ! 分かったな!」

「は、はいっ、時間がある時に、練習しますっ」


 モニカは改めて小瓶を見下ろした。サラサラの粉末。最新技術のチョコレート。

 まだ流通は少なく、街で気軽に買える物ではないはずだ。


(こんな立派な物、貰っていいのかな……でも、練習のため、だし)


 多忙なのに、手間をかけて、チョコレートもメモ書きも用意してくれたのだ。

 申し訳ない気持ちが半分、じんわりと嬉しい気持ちが半分、胸に込み上げてくる。


「シリル様」

「なんだ」

「チョコレート、ありがとうございます」


 モニカがペコリと頭を下げると、シリルは腕組みをし、細い顎をツンとそらして言った。


「……淹れ方は、二枚目に書いてある。練習するように」

「はい」


 頷き、モニカは紅茶の淹れ方の紙を捲る。

 そこに現れた未知のウニョウニョと目が合った。

 目が、合ったのだ。


(これ、目? だよね……こっちは口? 大きなウニョウニョに、目と口? なんで?)


 モニカはウニョウニョを凝視したまま、硬い声でシリルに訊ねる。


「……シリル様。あの、えっと、これは……?」

「あぁ、チョコレートだ」


 モニカは困惑した。

 どれがチョコレートで、どれが器具で、どれがカップか分からない。


「シリル様。このチョコレート? ……目と口が、あります」

「あぁ、無機物に目と口を描くと、親しみやすくなるだろう」


 セレンディア学園に来て、初めて触れるものが沢山あった。

 時にモニカには理解できない慣習や文化も多々あったが、今のシリルの発言はその中でもダントツで理解できない。

 理解できなかったが、シリルが何らかの心遣いで目と口を描いたのだろうということは分かったので、モニカはぎこちなく礼を言った。




 その晩、モニカは目と口のあるウニョウニョとチョコレートを飲む夢を見た。

 モニカの周囲には、大中小のウニョ達が踊っていて、数字の九のなり損ないみたいなティースプーンがクルクル回っている。

 甘くて、美味しくて、不可思議で、ウニョウニョした夢だった。

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