番外編3 雅美と広末先輩の悲しい恋
私、須田雅美は。八谷中学に入学しました。
地元の名士であるお父様とお母様は、私を私立の有名中学校に通わせたいらしく、小学校の時は中学入試のための塾に通ったりしていたわ。
そんな私には、友人がいなかったの。勉強ばかりしているのだから仕方がないのは分かっていても、寂しかった。
なので、勉強に励みながらも、普通の中学に入って、友達を作りたい、という思いが、日々強くなっていったわ。
なので、一人っ子で、親のいう事は何でも聞く、という娘が、
「近くの公立の中学に入りたい」
とわがままを言ったの。
お父様は猛反対したけれども、お母様がお父様を説得してくれて、なんとか八谷中学に入学できる事になったわ。
部活にも入りたいとも思っていて、今まで習っていた、日舞やお茶のお稽古ができる部活はなかったので、ピアノを習っていたこともあり、吹奏楽部を選んだの。
ピアノの経験が役に立ちそうな、打楽器のパートを選択したわ。ピアノがある曲は、基本打楽器担当が弾くらしいと聞いたからなのよね。
練習は厳しそうだったけど、今まで勉強やらお稽古で慣れていたので、どうってことはなかったわ。
まぁ、公立中学に入学しても、お稽古は続ける様に、と言われていたので休みはなかったのよね。
同じ小学校出身の子は、私の事を遠巻きに見ていたけど、部活に入ると、みな話しかけてくれるのがすごく嬉しかったわ。
お父様を説得してくれたお母様に深い感謝の気持ちを伝えたの。
お母様は、
「雅美の人生なんだから、自由に選ばせてあげたかったのよ」
と、事も無げに話してくれたわ。
でも、お母様は、政略結婚だったから、私の気持ちを汲んでくれたんだと思うけれども……
部活は、1日でも早く上手くなりたいという思いが強く、アノ経験から、鍵盤(鉄琴や木琴)を任せると言われ、そちらもがむしゃらに練習したわ。
でも上達して、『鍵盤の女王』と呼ばれるのは、恥ずかしいからやめてほしかった。
あとは、おっとりした見た目なのに、速い演奏もこなせるので、ギャップが大きいとも言われたわ。
こちらは、自分でも驚いているので、笑ってすましているけれどね。
打楽器の先輩方はとても親切に教えてくれたのだけど、その中でも特に指導してくれたのは、パートリーダーの広末先輩だったわ。
広末先輩は、普段あまりしゃべらない人なのだけど、打楽器の事になると人が変わるの。色々熱く教えてくれたから、鍵盤が上手くなるのも早かったし、他の打楽器(シンバルとか)も一通りできる様になったわ。
私は、教わった事ができる様になった時、広末先輩の笑顔が見れて、本当に嬉しかった。
でも、これが『胸の高まり』という事に気付くが遅かったの。
広末先輩が引退したときだったから。
代替わりはしたけれど、広末先輩の教えを胸に練習に励んだわ。
文化祭とかで演奏したときに、幻滅されないように。
「ねぇ、雅美。広末先輩、九十九高校に行くんだって」
部活の友達が教えてくれたのは、いいのだけれど、
「もしかして、私が広末先輩の事好き、ってばれているのかしら?」
と、恐る恐る聞いてみた。
「丸わかりよ。心の中で応援してたよ」
気づいていて、気づかないふりをして見守ってくれていた友人に深く感謝したわ。
私はダメね。どうやら人の機微が分からないのよね。
志望高が九十九高校となったけど、お父様は反対しなかったの。九十九高校は伝統があり、名士を沢山輩出しているからだと思う。
部活に、お稽古を両立させながら、九十九高校に行ける様に勉強に熱を入れる日々は大変だったけれども、友人に囲まれて、楽しく過ごしたわ。
コンクールは結局3年間関東大会止まりで、打倒、九十九東中、は叶わなかったけれども。
引退後、勉強の追い込みも成功して、無事九十九高校に進学できたわ。
仮入部が始まったので、足早に音楽室に向かっているところ、広末先輩から声をかけられたの。
「須田、高校合格おめでとう。早速で悪いんだけど、吹奏楽部に入らないか?顧問が面倒を見てくれないから、強豪中学の指導で成り立っているんだ。だから、協力してほしい。嫌だったら、辞めてもいいからさ」
憧れの広末先輩から、声をかけてもらい、胸の中に眩しい光が灯ったわ。
回答はもちろん、
「入部します」
音楽室では、部活の説明があって、やはり広末先輩が話してくれた状況みたい。
紹介と話がひと段落したところ、気の強い人が多いなか、優しそうな雰囲気の子に、声をかけられたの。
「須田さん、どんな説明を受けたの?」
私は、なかなか友達ができない人間なので、こうやって声をかけてもらえるのは嬉しい。
彼女は石原美佑と言う子で、トランペットパートを志望しているみたい。
自分から話しかけたのに、ちょっと緊張しているみたいなので、下の名前で呼び合わない?と言ってみたの。
彼女は『もちろん、喜んで』と、顔に書いてくれたので、早速だけど部活のお友達ができて安心したわ。
美佑とは帰る方向も一緒で、一緒に帰る事になったの。だけど、美佑は一日で辛くなっている様だったわ。弱小中学では、厳しい練習を行っていなかったみたい。
そんな美佑に励ましの言葉をかけて、その日は終わったわ。
九十九高校は、毎年関東大会に出場していて、顧問の代わりの先輩方の指導は厳しかった。
やはり、休みがないのは中学と一緒なのは覚悟していたけれども。
特にパートリーダーの広末先輩は、厳しく練習をするようにメンバーを指導していたわ。
でも、休憩時間の時、話しかけてくれて、胸が躍るような毎日だったの。
毎日練習に励んでいたところ、入部後初めて1日休みがもらえたわ。
美佑は、須藤先輩と東京に行くと言っていたので、私はなにをしようかと考えていたところ、広末先輩からお誘いがあったの。
「用事がないなら、僕と一緒に遊びに行こう」と。
喜びが体中を満たしたわ。もちろん答えは、
「お誘いありがとうございます。ぜひご一緒させてください」よ。
先輩は、ちょっと赤くなっている私の顔を見ながら、
「こちらこそありがとう。楽しみにしている」
と、照れ臭そうにしていたわ。
私は、今回のお誘いで、自分の気持ちを広末先輩に伝えると決心したの。
言わないで後悔はしたくないと強い気持ちで。
美佑にこの事を伝えたら、
「いつもお似合いだと思っていたの」
と、嬉しい言葉をもらったわ。
背中を押してくれる美佑の存在は、本当に大切だと思っているわ。
休みはあっという間にやってきて、広末先輩とは楽器屋で待ち合わせる事にしていたの。
お互い、スティックを選びあったり、シンバルや、トライアングルをみて、まずは吹奏楽部員らしいお出かけから始まって、お昼を食べた後、近くの公園へ行ったわ。
ベンチに座って、鮮やかな緑に囲まれながらお互い無言のまま時が過ぎていく。
私は、美佑にもらった勇気で思いを告げる。
「広末先輩。中学の時からずっと好きでした。よかったら私と付き合ってください」
広末先輩は、
「僕も須田の事がずっと好きだった。でも付き合う事は出来ない。僕は難病に罹っていて、これからは外出もままなくなるんだ。付き合えない事は分かっていても、どうしても一緒にでかけて思いを伝えたかった」
私の心はぐしゃりとつぶれた。でも、なんとか言葉を絞り出す。
「広末先輩と両想いなのが分かって嬉しかったです。たとえ付き合う事が出来なくても、ずっと先輩の事が好きだと思います」
広末先輩も、
「付き合う事が出来なくても、ずっと須田の事が好きだと思う。思いを打ちあけてくれてありがとう」
お互い思いを伝えあって、手をつないで帰ったの。辛い現実だけど受け止めなくてはいけない。
嬉しい気持ちと悲しい気持ちがせめぎあって、家に帰ったら、一人ベットの中で涙を流したわ。
翌日、美佑にそのことを話したのだけど、落ち着くまでずっと見守ってくれたの。
優しい親友がいるのは、かけがえのないものね。
ある日、練習が終わると、
「ね、雅美。これからは広末先輩と一緒に帰ったら?私の事は気にしなくていいからね」
と、美佑が言ってくれたの。
「ごめんね。ありがとう」
興奮してしまい、ちょっと顔が赤くなっていたのかしら。
「私の事は気にしないで。雅美が喜んでくれるのが嬉しいんだから」
美佑はいつもの様に、優しい笑みを浮かべてくれたわ。
それから先輩が引退するまで一緒に帰ったの。
授業の話や練習の話。
先輩はやっぱり楽器や演奏の事を話すと熱がはいるのよ。
こんな先輩から、打楽器の演奏を奪うなんて、神様はどうして先輩にこんな試練を与えたのだろう。
でも、先輩は覚悟を決めている様だったの。私は同じ境遇だと絶望して耐えられないと思う。
こんな覚悟を決める事ができる先輩をますます尊敬したわ。
先輩は、相当無理をしていたみたい。
引退と同時に、病状が悪化し、学校に通うのも精一杯で、車いすを使っていたわ。
広末先輩の、部長で親友の岩沢先輩が、『無理は承知でお願いしている。何とか最後まで一緒に演奏してくれないか』と頭を下げてきたので、気力を振り絞ったという話をしてくれたの。
それに気づくことが出来なかった自分が恥ずかしかった。
広末先輩が学校生活を送れるようにと、岩沢先輩が、色々手を打ったみたい。バリアフリーではない校舎で移動することはできないわ。岩沢先輩とはクラスが違っていたのだけど、中学からの親友に面倒を見る事をお願いしたみたい。更にもともとの広末先輩のクラスのお友達と協力してなんとか卒業することができたわ。
常々、高校は卒業したいと言っていたので、卒業してしまうのは悲しいけれど、それ以上に嬉しさがこみあげてきたの。
願いが叶うのって、こんなにも嬉しいものなのだと、涙がこぼれそうだったわ。
実は、広末先輩とは、先輩が引退した後は、ほぼ毎日電話していたの。携帯電話すらない時代に連絡が取れるのは家の電話だったから。
卒業式の今日も、広末先輩に電話したわ。
すると、珍しく沈黙が訪れて、なにか話さないと、と思った時、先輩が、
「もう僕は卒業したのだから、達也って呼んでくれないかな」
電話越しに伝わる、ちょっと緊張している声で、お願いをしてきたの。
私は、真っ赤になっていただろう。
「はい。達也さん。私の事も雅美って呼んでください」
嬉しさのあまり、上擦ってしまった声で、返事をしたの。
「ありがとう」
先輩のほっとした声が届いたわ。
その後も、代替わりして、上級生が熱心に部活に臨んでいないと愚痴ったこともあったわ。本当にひどい状態だと。そうすると達也さんは、
「文化祭も卒業式も酷かったもんね。でもめげないで頑張ってほしいな。僕は雅美が3年生になった時の定期演奏会を聴きに行くのが楽しみなんだ。岩沢と一緒に行くという約束をしているからな」
と、励ましてくれたり、
部活は、上級生がダメなので、副部長の関田さんが色々な手を使って、1年生に実力が付きようにしている、と話すと、
「え、あの関田が?随分と人が変わったんだね」
そう。関田さんは、練習をほとんどしなくて、弱そうな子を見るといじめてくるような人だったけど、
「関田さんは、確かにひどかったけど、今は先輩方の部の運営に危機感を持ったので、1年生だけでも腕があげられるように奔走しているわ。ただ残念なのは、彼女自身は練習しない事なんですけどね」
と、話すと、電話越しに苦笑いが伝わってきて、
「ますます、雅美が3年生になった時が楽しみだな」
と、嬉しいことを言ってくれたの。
その後も、お互い励ましあったり、楽しかったことを話したり、と時間が過ぎていったわ。
そんな日々の中、クリスマスがやってきたの。
ダメダメな先輩方が引退して、黒木君が部長になったことで、更に部が良くなってきたわ。
厳しい練習だけではダメで、日ごろの疲れを、クリスマスというイベントで癒してくれという事だったけど……
私は知っている。
美佑のトランペットパート仲間の、部長の黒木君と、生徒会長の増田君は、美佑の事が好きで、このイベントを計画したことを。
案の定、美佑と黒木君、増田君は一緒に東京に遊びに行ったわ。
3人は、好きって感情もあるけれども、3人でいられるのが相当嬉しいみたい。
一つわからないのは、美佑が誰の事が好きなのかという事だけれど。
私は、実は美佑から提案があって、
『広末先輩のお家に遊びにいって見たらどう?先輩が動けないなら、雅美が動けばいいじゃない』と。
美佑は、常々、私と達也さんの惚気話を聞いてくれて、
「雅美が幸せなのが嬉しいの」
と言ってくれるの。だから今回もこんな提案をしてくれる。
私にとって美佑は、何度も思うけど、大切な親友だと思っているわ。
達也さんにお願いしたら、二つ返事で了承してくれたの。ご家族にも伝えてくれていたみたい。歓迎してもらって、ほっとしたわ。
達也さんの部屋でゆっくり過ごしながら、お話をしていたの。
トランペット3人組の話をしたら、爆笑したかったみたい。肩がぷるぷる震えていたわ。
私が卒業するまで、電話と、休みの日は達也さんのお宅にお邪魔する日が続いたの。
部活の人間関係も沢山話したわ。
例えば、黒木君と増田君が、美佑と両想いになった方をぶん殴る約束をひそかに聞いた話を達也さんに話したら、苦笑いして、『なんかすごいな。2人が石原の事が好きなのは気づいていたけどね』と、言って、達也さんの勘の鋭さにびっくりしたり、
達也さんが、美佑に振られた岩沢先輩を励ますのが大変だった。とか。
美佑は、誰が好きなんだろう、と言う話で賭けをしたり。
私は増田君にかけて、達也さんは黒木君にかけたわ。
達也さんがかけた通り、美佑が黒木君と両想いになって、約束通り黒木君と増田君と美佑の事が大好きな後輩の石橋君で殴りあっているのを見たり。
その後、美佑と黒木君が同じ大学に進む事と聞いて、びっくりしたとか話したわ。
でも、私は高校を卒業しても、達也さんのそばに居られる様に、地元の国立大を目指したのだけど、落ちてしまったの。
東京の私立の名門女子大には受かっていたのだけど、浪人する事にしたわ。
両親は、私が自分の人生を貫くのを止められないと、諦めていたみたい。
浪人中は、とても寂しかったけど、達也さんとの時間を勉強に振り分けたの。
無事国立大に進学できた時は天にも昇る気持ちだったわ。
早速達也さんに連絡すると、
「浪人すると決めた時は、辛い思いをさせてすまないとずっと思っていたけれど、無事国立大に合格出来ておめでとう。今度また、僕の家に遊びにこないか?大したことはできないけれど、お祝いするよ」
「ありがとう。達也さんのお宅に行くのが楽しみだわ」
達也さんのお家に伺うと、ご両親が、大きなケーキを用意してくれていたわ。達也さんは食事制限で食べる事が出来ないのだけど、
『雅美がおいしそうに食べてるのを見るのが楽しい』
と言ってくれたわ。ご両親も頷いてくれて、私は達也さんと家族ぐるみでお付き合いできているようで、胸の奥があったかくなっていたの。
大学時代も、高校の時と同じように、電話やお家デートを楽しんでいたわ。
ただ、大学の話をすると、ちょっと悲しい顔をしたの。
やっぱり、進学したかったのね。
胸を突き刺さされたわ。
でも、達也さんは、私の様子に気付いたのだろう。
「雅美の大学の話を聞くのは楽しいよ。僕も文学部を目指していたから、どんな事を授業で学んでいるのか、知りたいしね」
と、言ってくれたわ。
達也さんと私は、文学が好き、というつながりもあって、達也さんが読みたいと言っている本を届けたりしているの。
ある日はお茶のお稽古で、先生に『ご自分の教室を開いたら?』って言われて嬉しいやら困ったわで、達也さんにその話をすると、
『雅美は本当に、色々頑張ってるんだね。雅美が点ててくれるお茶が飲みたいな』と言ってくれたの。お茶は飲めるということだったから、簡単にお茶を点てられる道具を持って、達也さんにごちそうしたの。何回もねだってくれて、そのたびに気合を入れてお茶を点てたわ。
大学を卒業し、地元の銀行に就職できたわ。就職氷河期で銀行に入れたのは、名士であるお父様のおかげだったの。
我がままばかりいう私に力を貸してくれて、感謝の気持ちを素直にお父様に伝えたの。そうするお父様父はこう言ってくれたわ。
「雅美は、自分のやりたいことを精いっぱい取り組んでいるから、親としてできる限りの事はしてあげたいのだよ」と。
私は、お父様がどんな気持ちで私を育ててきたのかと思うと、涙がぽろぽろこぼれたの。
お父様は照れくさそうに私の頭をなでて、仕事に向かったわ。
達也さんは、私とお話していると元気そうに見えるんだけど、確実に弱っていくのが手に取るようにわかってきたわ。
私の中に眠っていた、『達也さんは長生きできない』という事実に胸が張り裂けるけど、受け止めなくてはいけないと覚悟する日々となっていたの。
でも、やっぱり達也さんのそばに居れるのは嬉しいし、今まで通り、悲しさを表に出さないようにしたわ。
そんな中、お互い社会人になった美佑とお話する機会があったの。
お互い忙しくてなかなか会う事が出来なかったので、会えて嬉しかったわ。
一通り、お互いの近況を話していたのだけど、突然美佑が、
「ねぇ、雅美。広末先輩と籍をいれなよ」
と言ってきたの。
私にはそんな発想も、そんな事ができるかなんて考えたことがなくて、最初は美佑が何を言い出してきたか理解が追いつかない。
そんな私の戸惑った表情をみて、美佑は話を続ける。
「学生時代だったらいいけれど、社会人になって、ただの彼氏・彼女だったら、もし雅美が働いている最中に、広末先輩に何かあっても駆けつけることはできないよ。これが、奥さんだったら、真っ先に連絡が来て、駆けつけることが許されるでしょ。だから、そうした方がいいかなって」
やっと美佑がそんな事を言い出したのか、理由が分かって、落ち着くことが出来たわ。
確かにそうだ、と思い、
「いつもいいアドバイスをくれてありがとう、美佑。達也さんと、お互いの両親を説得してみるわ」
と、決意をしたの。
帰ったらまずは達也さんに電話をして、美佑に言われたことを話したの。
明らかに戸惑っている達也さんに、美佑が私に言ってくれた理由を伝えたわ。
でも、返ってきたのは、
「僕は、結婚しても雅美を幸せにできない」
辛そうな一言だったわ。
でも、私は引き下がるわけにはいかないと、
「私は十分幸せよ。結婚したらもっと幸せになるわ。だから良いほうに考えてみてほしいの」必死にお願いしたの。半分は涙声になったわ。
私の泣き声を真摯に受け止めてくれたのでしょう、達也さんは、
「雅美のご両親が許してくれたら結婚しよう。僕の両親は、雅美の事を自分の子供の様に思っている様だから、問題ないと思う」と言ってくれたの。
「ありがとう、達也さん。本当にありがとう」
こんな理由で結婚しなくてはいけない厳しさに、ナイフを突き立てられた私の心は砕け散る。
でも、ほんの少しだけど、達也さんの奥さんになれると言う、体中を満たす嬉しさが勝って、大声で泣きながらお礼を言ったわ。
私の両親は、意外にも許してくれたの。
本当は私がお婿さんをもらって、家を継がなくてはならないのだけど、お父様は、
「雅美の事はあきらめているから、親戚の裕也君にお願いすることになっている。彼なら十分にやってくれるだろう。本人もその気だそうだし。だから、気にすることはない。
でも、死んでいく人間に接するのは、覚悟が必要だぞ。また達也君が亡くなった後の事は考えているのか?戻ってくるならば、裕也君に許可をもらわなくてはいけないし、広末家に居る事になったら、死んだ後にも家においてもらう事を許してもらわなくてはならない。更には、一人で生きていくよう、お金を稼ぐ必要がある。その覚悟はあるんだろうな」
と、厳しい事を言われたわ。でもその言葉は結婚を反対するものではなかった。
「覚悟なら、達也さんが病気とわかった時点で決めていたわ」
お母様は、悲しそうな目で、
「雅美には幸せになってほしいけれども、悲しい恋ね」
と、ぽつりとつぶやいたわ。
両親の了承が取れたと、達也さんに会いにいったら、達也さんのお母様から、
「こんな息子と結婚してくれて、本当にありがとう。達也は幸せ者ね。
ところで、一つ提案なんだけど、婚姻届けを出すだけじゃ味気ないから、達也のお部屋で、両家集まって、簡単にお式をしたらどう?
部屋が狭くて申し訳ないのだけど。雅美さんの和装は見慣れているから、私と一緒にウエディングドレスを選びに行ってくれたら嬉しいわ」
と、ありがたい言葉をもらったわ。正直籍を入れるだけだと思っていたから。
この事を私の両親に話したら、お母様は
「達也さんのご両親とろくな挨拶ができていなかったから嬉しいわ。できれば、雅美のウエディングドレスを選ぶときにはご一緒させてもらいたいの。いいか聞いてもらえないかしら」
両家のお母様と一緒にドレスを選びに行くことになって、狭いお部屋でも邪魔にならないような、シンプルだけど、かわいらしいドレスを選んだわ。
なるべく急いだほうがいいだろう、と私のお父様が言って、ドレス選びの一週間後の日曜日に、お式を行ったの。本当は美佑を誘いたかったのだけど、お部屋が狭いので断ることになったわ。『写真は絶対見せて頂戴ね』と言われたから、きれいな写真を選んでみてもらう予定よ。
両親の見守る中、二人で婚姻届けにサインをしたわ。
これでお式は終わり、と思っていたら、達也さんから小箱を受け取ったの。
「婚約指輪と結婚指輪と同時になって悪いな。結婚指輪は、僕は自分の分を持っていくから、雅美にもはめてもらいたいと思ったんだ」と。
達也さんのお母様から、
「達也から指輪の相談を受けていたの。デザインは、雅美さんのお母様と一緒に、雅美さんを思い浮かべながら、こんなのがいいかしら、とかなり迷って決めたわ。気に入ってもらえると嬉しいのだけれど」
私は嬉し涙が止まらなくなり、
「こんな素敵な指輪をありがとうございます。指輪は大切に、ずっとはめていようと思います」
私の、その涙がおさまるのを見届けてお式は終わったわ。
達也さんの容体は、お式を済ませたあたりから、急激に悪くなっていったの。
とうとう、自宅療養では厳しくなって、入院する事になったわ。
いよいよ、明日から入院だという事になり、入院の準備を手伝っていたら、ふと達也さんが、『雅美が点てたお茶が飲みたいと』つぶやいたの
話すのもやっとなのに…
私は、自分の持てる力の限りおいしいお茶を点てたの。
ゆっくりだけれども、おいしそうに飲んでくれている姿を見て、つかの間の安寧が訪れたわ。
私は、達也さんの病室にお見舞いに行く日々となっていき、とうとうとなったとき、達也さんが、苦しそうにこういったの。
「雅美。僕がいなくなったら、いい男探すんだよ」と。
「私はそんな気持ちになれない。多分達也さんの事を思って一生生きていくわ。それだけ、達也さんと過ごした日々は嬉しくて楽しくて、幸せだったの」
達也さんは、私の言葉をうけ、
「僕は物分かりがいいやつを演じようと思ってさっき話したけど、諦めが悪い様だ。
雅美を他の人に渡したくないと思ってしまう。
雅美と過ごした日々は僕にとっては、眩しかった。
この思い出を胸に一生を終われる僕は、幸せだ」と、私の涙をぬぐいながら、言葉を紡いでくれたの。
そんな達也さんに私は、絶対に告げたい事があって、
「達也さん。愛しています。ずっと。死ぬまで。私にその時が来たら迎えに来てください。約束してほしいです」と声を振り絞ったわ。
「雅美。僕も愛している。約束は守るから安心して」
これが最後の会話だった。
私が仕事中、『達也は峠を越せない様だ。間に合うように駆けつけてくれないか』という連絡を受けたわ。
もちろん、駆けつけたわ。美佑の助言で籍を入れていて良かったと、悲しいけれどほっとした気持ちも沸いたの。
お通夜と告別式の間、お互いの両親と美佑が私を支えてくれて、達也さんの旅立ちを最後までしっかり見届ける事ができたわ。
私は、達也さんのご両親に甘えて、達也さんのお部屋を引き継いだの。
「達也の事を思ってくれるのは嬉しいのだけど、雅美さんにいい人が出来たら、いつでも言ってね」と言ってくれるのだけど、
「私は諦めが悪くて、達也さんとも、他の人を選ばないって約束したんです」
と言っているので、自分の娘の様に接してくれているの。
今年も命日にお墓詣りにきたわ。ガーベラの花を持って。
私は以前、達也さんにお花を習っていると話したら、部屋に花を活けてほしいと言われ、色々なお花を持って行ったの。
達也さんは、その時活けている花をみて、『雅美みたいに優しくてかわいい花だね』と言われたから……
「達也さん。天国では心置きなくドラムを叩いていますか?」
返事はないけど、きっとそうだと思っているの。
左手の薬指に輝く指輪を見ながら、『こんなに一途に愛せる人に出会えて、私は幸せね』
と、思いながら、達也さんのいない日々を過ごしているわ。
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