番外編1 黒木数人の恋~数人目線

 今にして思えば、ひとめぼれだったんだろうな。


 俺、黒木数人は九十九(つくも)東中で吹奏楽部に入っていた。


 きっかけは、小学校の鼓笛隊で一緒にトランペットを吹いていた、佐久先輩に声をかけてもらったからだ。

 帰宅部にはなりたくないと思いつつも、特に入りたい部活がなかったので、吹奏楽部に入部する事にした。


 俺には、3つ歳が離れた兄がいる。この兄が自由奔放に生きていて、いつも親や学校の先生に𠮟られてばかりだ。

 そんな兄を見て育った俺は、兄を反面先生にして、「手のかからないよい子」と言われる様にふるまう。

 また、そこそこ器用な方なので、学校の成績は良く、鼓笛隊でも楽器を上手く吹ける様になるのも早いほうだった。

 でも、目立って学級委員長とかやらされるのはどうしても嫌なので、モブに徹したつもりだ。

 そのせいで、寡黙とか言われているが、気にはしていない。

 こんな寡黙な俺に、群がってくる女子は、なにがいいのかはわからないけれども。

 両親は、見てくれがいいからじゃない?と言っているが、正直鬱陶しかった。

 まぁ、こんな感じで、器用さを発揮したら、中学の吹奏楽部でも、上手くやっていけると、根拠のない自信を持って入部した。


 自信は入った瞬間砕ける。


 全国大会常連だけあって、先輩たちがとにかく上手だった。他の小学校の鼓笛隊上がりの先輩はもとより、初心者から始めた先輩達も、厳しい練習を重ねている。

 俺は、佐久先輩に、『俺もそうだったが、基礎ができていない』と言われ、楽器の構え方や基礎練の方法を教えてもらった。

 

 俺は練習になかなかついていくことが出来なかった。

 基礎もなかなか身に着かず、楽譜を読むのも一苦労だ。

 

 コンクールも終わり、文化祭だ。


 練習していると先生から呼び出された。

 「黒木、ちょっといいか?」

 「はい」

 先生に連れられて、トイレの鏡の前にやってきた。

 俺が戸惑っていると、先生が話を始めた。

 「いい音が出せていないだろう?唇周りの筋肉が上手く使えていない。鏡を見ながら、唇の形を作って行こう」

 こうして、唇の形ができるまで、楽器が吹けなくなる。

 俺は、うつむいてしまい、涙を必死に堪えた。

 先生は続けて、

 「吹けなくても、みなと一緒に腹筋を鍛える練習は参加しろ。後は、先生がクラシック音楽のテープと楽譜を渡すから、よく聞いて、トランペットだけではなく、他の楽器がどの様に吹いているのか学習するように」

 と、指示を出した。合わせて、

 「俺の指導方針は、ただ全国大会を目指すだけで終わりにしない。曲に込められた作曲家の背景や思いを感じながら吹ける様に指導をしている。だから、お前にテープを渡す。コンクールを目指すだけより、まずは音楽を好きになってもらいたいと思っているんだ」

 と、思いを語ってくれた。

 俺は、その言葉を胸に、先生の指示に従う事にした。

 でも、文化祭には出られない。

 悔しさと情けなさでいっぱいだが、来年レギュラーになるためには避けて通れない道だと思い、耐えた。


この経験は辛かったが、高校で美佑を救える事になったのは、この時点では知りようがなかった。

 

 そして、ようやく楽器を吹ける時がきた。

 この時の嬉しさと解放感はいつになっても忘れられない。


 堂々と胸を張って合奏に参加した。

 今練習しているのは、ボランティアで演奏する曲と、3月に行われる定期演奏会の曲だ。


 その練習の中で、来年のコンクールレギュラーが決まる。

 俺は無事レギュラーに選ばれた。あの楽器が吹けず、辛かった時期を乗り越えてよかったと先生に感謝している。


コンクールも終わり、文化祭も終わり、地区の学校が集う、音楽祭が開かれた。

 音楽祭を行うホールのロビーに、各学校決められた場所があり楽器ケースや私物を置く。

 九十九東中の隣は、山野中の場所だ。

 俺は、次に出場するため準備をしていた。

 すると、演奏を終えた山野中の生徒がやってくる。

 その山野中の生徒たちを眺めていると、ふと、


かわいい女の子と目があう。


俺は、世界がまぶしくなるのを感じながらも、とっさの事ですぐ目線をそらしてしまった。

 俺たちの番が回ってきて、無事演奏を終えたが、さっき目のあった女の子が気を悪くしていないか気になって仕方がなかった。


 どうも音楽祭の日から、調子が出ない。楽器を吹くのも勉強するのもだ。

 なぜか、あの子の顔がどうしても浮かんでくる。

 そんな俺の様子を見たのだろう。長い管をスライドさせて吹く、トロンボーンの同学年、田中から、声をかけられた。

 「どうした、数人。ボーっとしていると合奏出られなくなるぞ。なんかあったのか」

 心当たりはなく、困っている。それを田中に伝えると、

 「なんかあったら、相談にのるから、話を聞かせてくれ」

 と言ってくれる。

 「ありがとう」

 だが、田中の心配は杞憂に終わり、俺は調子を取り戻した。


 この後も、厳しい練習は続き、部員全員の念願だった全国大会金賞を果たして、3年生の俺は、引退する。


 俺は、大学進学を考えていた。

 近辺で大学が狙える進学校といえば九十九高校だ。

 器用な俺は、部活と勉強を両立していて、引退後の追い込みも順調に進み、無事九十九高校に入学した。


 高校では吹奏楽部に入る気はなく、テニス部に入ろうと思っていた。

しかし、見学に行くと、毎年インターハイに出場していると聞き、運動経験のない俺はついていけそうにないので、諦め、帰宅部を目指した。


 今日も授業が終わり、帰り支度をしていると、佐久先輩がやってきた。

 「数人、高校入学おめでとう。で、早速だが吹奏楽部に入らないか?」

 中学の時と同様に勧誘される。

 でも俺は、

 「高校で吹奏楽を続けるつもりはありません」と答えた。

 しかし、佐久先輩も引き下がらない。

 「うちには顧問の先生がいないんだ。なので強豪中学の部員が率先して指導に当たっている。だから、数人にも力になってほしい。

とにかく一回見に来てくれ。嫌だったらやめてもいいから」

 俺は押し切られてしまい、佐久先輩に連れられ、音楽室に向かった。


 新入生同士の自己紹介がはじまる。

 

 「山野中学出身の石原美佑です。よろしくお願いします」


 音楽祭で目の合った女の子が俺の前にやってきた。


 驚きと、理由が分からない感情が俺の心をかき乱す。


「九十九東中出身の、黒木数人です。よろしくお願いします」


 努めて冷静に挨拶をしたが、上手くいったのだろうか。


 その後、同じトランペット志望の増田健太郎から、下の名前で呼び合う様にしないかと提案される。何て呼んだらいいか聞かれたので、

「なんでも構わない。中学では、『すうと』と呼ばれていた。『かずひと』は呼びづらいってさ」と答えた。

「じゃぁ、『すうと』って呼ぶね」


美佑に『すうと』と呼ばれると、何だか鼓動が早くなる。

本番前でもこんなことはなかった。

俺はぼろが出ない様、足早に合奏練習の準備を始める。



「俺、吹奏楽続けます」

佐久先輩にそう告げると、大げさに感じる位、歓迎してくれた。



練習が始まって、健太郎は美佑の面倒を見始めた。

俺も話しかけようと思うが、どうしても行動に移せない。

それより、自分の練習だ。

健太郎より上手いと自負しているが、健太郎は目に見えて上手くなってきた。

抜かされないように、練習する日々が始まる。



入部から日付がたつにつれ、健太郎と美佑と共にいると、気を遣わなくていい、と感じる様になっていた。

仲間同士で意見を言い合ったりして、曲を練習するのは、よく考えてみると、今までそんな事、なかったな、と。

顧問がいないと練習がだれてしまうと思っていたが、こうして自発的に動ける、という利点もあると気づいた。

女子の黄色い声は、小学校から今までずっと続いているが、美佑はそんな女子とは違い、仲間の一人として接してくれる。

健太郎も俺を遠巻きに見るのではなく、色々と話しかけてきてくれる。

この事が、どれほど俺を喜ばせているか、2人は気づいていないだろうけど。


こうして、健太郎、美佑と過ごす時間は、俺にとってかけがえのないものになっていった。


そんな時間をあざ笑うかのように噂が立った。

「元部長の岩沢先輩と美佑が付き合っている」


 確かに、岩沢先輩と美佑は同じ方面に家があるため、一緒に帰っていたのは知っていた。

一緒に帰るくらいの仲だ。

付き合っているかもしれないとは、考えておくべき事だった。

俺は、その噂に打ちのめされた。健太郎もショックを隠し切れないでいる。

お互い3人仲間だと思っていたのに。

これくらいの事で仲間の絆が切れるとは思わないが、でも、この関係が壊れてしまうのが怖かった。


健太郎がしびれを切らして、直球で、噂の真偽を確かめると言い美佑の元へ向かう。

健太郎は、はっきり物を言うが、憎まれないという魅力がある。

健太郎は俺の所にやってきて、

「なぁ、数人。美佑、岩沢先輩と付き合っていないんだって」

俺は心の底からほっとしたが、この気持ちが何だかわからない。

冷静を装って、健太郎に確認する。

「本当か?」

健太郎は俺の問いに答えずに、びっくりする発言をした。

「なんだか僕、ほっとしているんだけど。美佑の事が好きだ、って自覚したよ」

健太郎は、美佑の事が好きなのか……でも、俺はどうなんだろう。

「なんでそれを俺に言うんだ。確かにほっとはしている。でも好きと言うわけではないぞ」

健太郎が、真剣な眼差しで俺を見て、

「数人さ、お前、美佑の前でしか笑わないって自覚してる?」

と、聞いてきた。

俺は、その問いで、今まで美佑に対して理由のわからない感情を抱いていたが、それが恋だと自覚した。

「そっか……俺も美佑が好きなんだな」

思いに恋という名前がついた。

健太郎に出会わなかったら、一生この恋という感情に気付く事がなかったかもしれない。

そんな俺を、健太郎はちょっと後悔が混ざった顔で、こう宣言した。

「なんで、自分の事なのに自覚がないんだよ……言わなきゃよかった。でも、僕たちライバルだね」

ずっと美佑を見守っていた健太郎に勝てるとは思えないが、俺も自分の思いに気付いた以上、後には引けない。

「そうだな」

健太郎は続けて、

「美佑は仲間であることをすごく大切にしているから、僕らの気持ちは引退まで伝えないようにしない?」と提案してきた。

健太郎のいう事はよくわかる。美佑だけではなく、俺も、健太郎も、3人仲間でいられることを強く望んでいるから。俺は、

「ああ」と即答する。

さらに健太郎は、

「あと、美佑が僕らのどちらかを選んだ場合、選ばれなかった方は、選ばれた方をぶん殴るという約束もしよう。後腐れがないようにさ。で、もし美佑が僕ら以外と付き合うことになったら、一緒にそいつをぶん殴りに行こう」と言ってきた。

健太郎と付き合うならば一発殴れば諦めもつくが、他の男は許せない。

「わかった。約束する」

不思議なもので、お互いライバル宣言をしたことで、健太郎との仲が深まったように感じた。

恋って感情は持っているが、今は3人仲間でいるのが楽しくもあり、嬉しくもあり、今までと変わらない日々を送っていた。


しかし、健太郎が生徒会長、俺が副部長となってから、3人の仲に亀裂が入いる。

健太郎も俺も、練習に参加できなくなったからだ。


美佑は、相当我慢していたのだろう。とうとう感情が爆発して、

「見損なった」

と、詰られてしまった。涙をぼろぼろ落としながら。


とっさの事で、どうしてよいのかわからずに、動けなくなってしまった。

健太郎も動けないようだ。


怒らせてしまった。泣かせてしまった。

許してもらえるだろうか。


先輩に言われるがまま、健太郎と一緒に音楽室を飛び出して、顔を洗っている美佑に謝罪する。

美佑は、目を真っ赤にしながらも、謝罪をうけいれてくれた。ただし練習に出られるようにして、と釘は刺されたが。


健太郎がおさまりの悪い顔で、

「僕たちさ、美佑にかっこいいところ見せたくて、生徒会長とか副部長頑張ったんだけど、逆効果だったね……」と、つぶやいた。俺も同感だ。

「まったくだ。あんなに泣かせるつもりはなかった」

健太郎は意を決したように、

「何とかしないとね」と言った。

俺もだ。

「ああ」

と、決心する。


その後、2人とも練習に参加できるようになり、また、3人仲間で練習をする日々が帰ってきた。


そんな楽しい日々も、部活を引退したら、終わってしまう。

終わらないとだめなのだ。勉強しないと大学に行けない。


後輩が演奏する文化祭も終わり、美佑から告白される。

嬉しさのあまり、抱きしめてしまった。

本当なら、自分から言うべきだったのだが、勇気がなかったことを恥ずかしく思う。

美佑は俺のすべてなのにも関わらず。


約束通り、健太郎と、美佑を慕う後輩、石橋から、ガチで殴られた。

それで気が済むのであれば、何度でも殴られていいと腹は括っていたが。


告白された時に、同じ大学に行こうと、美佑と約束した。

同じ経済学部を志望していると聞いたので、経済学部がある学校で、2人の手の届きそうな大学を選び、無事同じ大学に入学する。


モテる美佑を独占するために、2人とも家から離れなくてはならなくなるのを良いことに、同棲する様に手はずを整え、決行した。

美佑の両親には、辛い思いをさせたが。


結果、社会人になっても、2人で暮らし、結婚する。

子供も授かったし、マイホームをもった。

俺は美佑の望みを何でも叶えてあげたいと思っている。



そう、恋って奴は厄介で、結婚して子供が生まれても色あせる事がない。

俺は、諦めて恋って奴の奴隷となっている、幸せな男だ。

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