第43話 愛し合う2人を襲う残酷な余命宣告
柔らかい日差しが、病室の白さを春色に染め上げる。
俺、黒木数人は、側で寝ている妻、美佑の顔を覗きこんだ。
九十九高校吹奏楽部の同窓会が終わったあたりから、美佑が明らかに痩せてきた。
最初は、『ダイエット』と二人で喜んでいたが、どんどん痩せていく美佑が心配になり、高校の後輩、石橋の病院に連れて行った。
石橋は、美佑を見ると真っ青になり、美佑を待合室に戻して、俺には、非難の言葉をぶつけてくる。
「黒木先輩、なぜここまでほっといていたんですか?明らかにおかしいの、わからなかったんですか?」
石橋の顔色と厳しい口調に、俺は唇を噛みしめ、
「すまん」
という言葉しか出せない。
石橋は、ずっと美佑が好きだった。
美佑が俺を選んだ時点で失恋となったわけだが、今も伴侶がいないので、俺も、美佑も口にしないが、彼の人生を見守る事しかできずにいた。
そんな石橋としては、本当なら俺を殴りつけたいところだろう。
石橋は書類をしたためると、俺に、
「総合病院への紹介状です。なにがなんでも、明日受診してください」
と、突きつけた。
「わかった。明日行くよ」
「絶対ですよ」
石橋が紹介してくれた病院で、美佑は色々な検査を受け、検査結果を待っていた。
看護師から声がかかり、俺だけ来てほしいと言われ、告げられたのが
「すい臓がんです。余命3か月、持って半年でしょう」
余命だった。
俺は、この余命宣告を受けたことを美佑に話す、と先生に言った。
この言葉を受けた先生は、
「この段階だと、治療は難しいですが、ご希望があれば抗がん剤の投与とかはできます。奥様と今後どのようにするかよく相談してください」と、事務的な会話で終える。
俺は、美佑とどのように家へ帰ったのか全く覚えていない。
ただ、
「数人ごめん。治療は行わずに、余生を過ごしていいかな?」
と、悲しく微笑んだ美佑の顔だけが、今も頭から離れずにいる。
そう、美佑とは、毎日何時になっても夕飯を一緒にご飯を食べ、一緒にお風呂に入り、一緒のベッドで寝ていた。
出かける時も、もちろんいつも一緒だ。
会社に行くときだって、行ける所までは一緒に行く。心配だからな。
本当は飲み会になんか参加したくなかった。美佑と一緒に居られる時間が減る。
単身赴任なんて考えたくもないので、まずない会社を選んだ。
毎日できるだけ早く帰る。その事しか考えていない。
こんな俺が同期より出世しているのは奇跡だと思っている。
だけど、美佑が俺の出世を喜んでくれるので誇らしい。
女友達と会うときは快く送り出していたはずなのに、いつからか家を訪ねてくるようになった。
俺は美佑が何歳になっても、かわいくてかわいくて仕方がない。
異常なのはわかってる。
でも、美佑がなにも言わない事を良い事に、やりたい放題だ。
この幸せな日常はずっと続くと思っていた。
こんなに簡単に崩れ去るとは知らずに。
美佑の意思を尊重して、治療ではなく、がんの疼痛を和らげてその日を待つ、緩和ケアをおこなう事になった。
俺は後悔にまみれた。
仕事で辛そうな時に、もっと話を聞いてやれば、もっとおいしいものを食べに行けば、もっと一緒に旅行に行けば、とか考えれば考える程、美佑のストレスを解消させることが出来たのではないかと、どうしても思ってしまい、自分の心から離れない。
ほとんど眠れなくなった俺を、恋敵の健太郎と石橋は責めなかった。
しかし、心配してくれる。
石橋は『心療内科もやってるから』といい、俺に強力な睡眠薬を処方してくれた。
でも俺は心配されるような立派な人間ではない。
大切なものを守れなかったのだから。
いっそのこと詰ってくれた方が良かった。
美佑は、俺の前では涙を見せなかった。目は赤くはれているのに。
心のケアは、カウンセラーにまかせっきりだ。
俺では、情けないことに美佑の感情を受け止める事が出来なかったからだ。
なので、死ぬのが分かっているのに、どうやって自分の気持ちを整理しているのか俺には分からない。
でも。美佑が強がりだと分かっているが、本当はもっと俺を頼ってほしいと思った。しかし、美佑の話を聞くだけしかできない。
死んでしまう美佑に、なにか言おうとすると、『死なないでくれ』と困らせてしまいそうな弱い自分に腹が立った。
俺の両親は、もう両親がいない美佑の世話をしてくれている。
息子も毎日病室にやってきて、美佑の世話を手伝っている。
息子だって顔色が悪いのに、なにもできない俺よりしっかりしていた。
次々に見舞い客がやってくる。
俺たちの親族、中学の友達、高校の同学年、高校の先輩後輩、大学の先輩後輩、会社関係の人と、息つく間もない。みな美佑と思い出話をして帰って行く。
病室では笑顔を見せていたが、美佑の変わり果てた姿をみて、病室を出ると、涙をこらえている人が多かった。
健太郎も、かなりの頻度でお見舞いに来ては、高校時代の3人の思い出を語る。
石橋に至っては、自分の病院はどうしているのかと不安になる位お見舞いに来て、
「今からでも遅くありません。黒木先輩とは別れて、僕と一緒になりましょう」
と、言って憚らない。
元気づけているのかなんなのかはわからないが、そのたび美佑は苦笑いしていた。
須田(雅美)と裕子さんも頻繁にお見舞いにくる。
やはり楽しい思い出話だが、一回だけ美佑が須田に謝った事があった。
『広末先輩に先立たれた雅美を、また見送る人にしてしまってごめんね』と。
須田は泣きじゃくってしまった。厳しい現実に耐えられないという様に。
美佑は両親を見送った。残された方の気持ちが痛いほどわかるのだろう。
頻繁にお見舞いに来る、健太郎と石橋は、他の人とは違い、顔に『死なないでくれ』と強く悲痛な思いを書いている。
俺はその顔を見るたび、『俺だってそうだ』と叫びたくなっていた。
明日、所属していた大学吹奏楽部の同学年がお見舞いにくる。
多分これが最後の見舞客だ。
美佑のがんは進行が早く、限界に達しているのだが、気力を振りぼって、みなが来るのを待っている。
俺は思い出話に花を添えられる様に、美佑と過ごした大学時代に思いを馳せることにした。
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