第13話 恋バナと、先輩達の騙しあい
コンクールレギュラー組も降り板組も、最後の仕上げに合宿を行う。3日間、音楽に集中するためだ。
合宿所は、定期演奏会の打ち上げで使ったセミナーハウスである。食事は卒業生とマネージャが作ってくれるので、朝は7時から夜9時まで練習に専念する事になる。
音楽漬け2日目の自主練習時間に、岩沢先輩がいたずらっ子の笑みを湛えながら、私のところにやってきて、
「今日の夜は僕がいい、って言うまで食堂に残っていてね」
と言った。
急な話で、戸惑ってしまう。なにが理由なのか、聞いてみたが、こう返された。
「面白いイベントがあるからだよ。達也は須田に声をかけているぞ。2人で残ればいいよ。他の人には内緒な」
岩沢先輩と広末先輩が友達だと知ったのは、最近の事だ。
何が起こるかはわからないが、
「はい」
とだけ答える。睡眠時間が減るので嫌です、とは言えなかった。
降り板組は、4時から合奏なので、それまでは昼の休憩時間が長いという、ボーナスタイムがあるのだ。その時間はみな、セミナーハウスに戻り、昼寝をしていた。
寝起きがすっきりしないので、顔を洗いに行くと、健太郎と数人が、ぶつぶつ文句を言いながら顔を洗っている。何事かと、鏡にうつる2人の顔を見たら、盛大ないたずら書きが施されていた。吹き出しそうになるが、健太郎と数人の『笑ったら殺す』という目力により、なんとかもちこたえる。
「どう考えても、こんな事をするのは佐久先輩だよね。油性ペンだから落ちない……」
「佐久先輩以外考えられない。最悪だ……」
今なら、化粧落としを貸してあげるのだが、当時、田舎の高校生がお化粧をしている訳もなく、消えるのを願って、その場を去った。
練習が終わり、レギュラー組も降り板組も、昼間の強烈な暑さで削られた体力を、セミナーハウスの冷房で回復させていた。しかし、気持ちがいいのは最初だけで、次第に寒くなる。
寒さと疲労と、睡魔が押し寄せていた私は、思わず雅美に愚痴を言ってしまった。
「いつまで起きていればいいんだろうね。岩沢先輩は『いいよ』と言うまでって事だけど」
「本当にね。私も眠たくなってきたわ」
雅美と私は、お互い眠い目をこする。
そうだ、と思って、私が気にしている事を話題に振ってみた。
「広末先輩と一緒に帰って楽しい?」
「ええ。練習の事とか、勉強の話。時々、恋バナをしてくれるわ。岩沢先輩と仲がいいのもあるのでしょうけど、部内の人間関係に詳しいのよ」くすくす、と笑う。
「私、ご存じの通り、岩沢先輩と帰っているのに、部内の人間関係の話、聞いたことないよ」
ちょっと不満げに返した。
雅美は笑いをおさめようとせず、からかってくる。
「付き合っていない、からじゃない?」
「まぁ、先輩も私も付き合う、という感じではないからね」
と、そう笑って返すと。雅美は驚いた様に、
「えっ?」―――
雅美の言葉は、佐久先輩の突然の大声でかき消されてしまう。
「岩沢をす巻きにしろ!」
す巻きとは、ターゲットを布団と縄で巻いて、プールサイドに放置するという、毎年恒例の儀式と教えられていた。どうやら佐久先輩は岩沢先輩をターゲットにしたようだ。
巻き始めたからだろうか。どたばたと、騒がしい。
そんな男子部屋から、戸惑った佐久先輩の声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと待て。なんで俺なんだ」
よくわからないが、佐久先輩が巻かれているようだ。
「お前ら、裏切ったな!」
1年と2年の男子が裏切ったらしい。ぐるぐる巻きにされた佐久先輩がプールサイドに運ばれていく。
「な、面白いものが見れただろう?」
岩沢先輩は、いつものいたずらっ子の顔に、『してやった』感をまぜて、声をかけてきた。
私は半分呆れながらも、気になった事を聞く。
「どうやって、佐久先輩が、先輩を巻く、と言う計画を知ったんですか?」
岩沢先輩は得意げに、こう語る。
「計画が漏れたんじゃなくて、佐久の事だから、絶対僕をターゲットにすると踏んだんだ。後は、1年生、2年生に、佐久が号令をかけたら、佐久を巻く様にお願いしたんだよ。次の中間テストで勉強を教えると言ったら、みな協力的だったぞ」
多分、健太郎と数人は、それだけが裏切りの理由ではないだろう、と思っても口には出さなかった。
終始ご機嫌な岩沢先輩は、雅美と私の苦笑いには気づかず、
「遅くまで付き合わせてしまったな。僕はこれから達也と一緒に佐久を救出しに行くから、もう寝ても大丈夫だぞ」
と、言い残し、軽い足取りで救出に向かった。広末先輩は『やれやれ』といった調子で岩沢先輩の後に続いていく。
一部始終を見終わった。雅美と私は、2人で顔を見合わせながら、
「寝よっか」
「そうね」
疲れ切った体を引きずって、女子部屋へ向かう。雅美がなにか言いたそうだったのを思い出したが、聞く体力は残っていなかった。
合宿はあと1日。明日も練習だ。
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