第22話 聖女の名を継ぐ者

「あ、ありがとうございます……あ、あれ……」


 ライセリアは助けてくれた彼女へと礼を述べたと同時に緊張の糸が切れ、そのまま地面にぺたんとへたり込んでしまう。

 無理もない。一歩間違えれば彼ら三人に身ぐるみ剝がされ辱められ、そして殺されていたかもしれないのだ。

 ライセリアは助かったという安堵感と恐怖からの解放感で腰が抜けてしまっていた。集中力が途切れたのか、右手に携えていた銃もマナの粒子へ還ってゆく。


(しかし――エデン教会の司祭かあ……助けてくれたのはありがたいけど、私そこから逃げ出したせいでたぶんお尋ね者になってるよね……)


 そんなライセリアの戸惑いを知らずか彼女は私に優しく微笑むとゆっくりとした足取りで近づきそっと右手を差し伸べた。ライセリアはその手を取り、ゆっくりと立ち上がろうとして――


(ん、この人の右手の甲――何か模様が)


 彼女の右手の甲に刻まれた模様。菱形の中に複雑な幾何学的模様が組み合わさっている不思議な意匠。


「あら? 私の聖印に何かついてますか?」

「えっ、あ、聖印?」


 ライセリアは慌てて手を離す。確かに彼女は“聖印”と言った。

 彼女の言い方は誰でも持っているような当たり前のものというニュアンスが感じられた。ということはライセリアも持っているということになる。


「いえ、綺麗な聖印だなーって……あ、あはは……」


 苦しい言い訳だが、聖印って何?と答えるよりかはマシである。


「ふふ、あなたの首筋の聖印もとても素敵ですよ」


 彼女はライセリアの左首筋を指し示すように手のひらを向ける。

 ライセリアは反射的に聖印があるらしい首筋を押さえる。特に変わった感触はない。


 ライセリアはルシルの手の甲の聖印を改めて見つめる。この形には見覚えがある。そう、QRコードだ。間違いなくそうだ。ライセリアはその聖印を凝視していると――



 ルシル・エクレール

 ID:EE-628475-94-HS

 性別:女性

 年齢:18歳

 種族:人間

 所属:エデン教会・アルシオネ司祭/浄罪局・上級執行官

 犯罪歴:なし

 マナ:315/320


 彼女の聖印を見ると視界に文字列が浮かび上がったのはまるでゲームのステータス画面のような表示。

 これは彼女の個人情報で、この紋様は本当にQRコードなのだろうか。


「あの……本当に大丈夫ですか?」

「え、あ、あの……す、すみません。私、怖い目に遭ったせいでまだちょっと……頭が混乱してて……」

「それは致し方ありません……あのような目に遭って冷静でいろと言うのが酷というもの」


 内心の動揺を悟られぬよう、ライセリアはとっさに言い訳をした。

 ルシルはライセリアの言葉を素直に受け取ってくれたようで内心胸を撫でおろす。

 しかし……先ほどののプロフィール表示、ライセリアにしか見えていなかったように見えた。


「改めて自己紹介を私、アルシオネで司祭をやっておりますルシル・エクレールと申します」

「あ、私はライセリ――」


 アとまで言おうとして言い淀む。確かこの名前は伝説の大聖女で今は女神として信仰されている人物の名前だ。

 そしてライセリアは教会によってその大聖女のクローンとして生み出され脱走してきた者。その名前を教会関係者に名乗るわけにはいかない。


「えっと、ライセ・リアーナです」


 ライセリアは咄嗟に思いついた偽名で自己紹介をする。名前以外は嘘は言ってない。うん、嘘はついてない……と自分に言い聞かせる。


「ライセ・リアーナ……」

「親が、女神様にあやかって名付けてくれたんですけど……名前と名字で女神様の名前になってるのは駄洒落みたいですよね。あは、あははは……」


 ライセリアは苦笑いを浮かべる。咄嗟すぎて安直な偽名しか思いつかず、聞かれてもないのに突然自分の名前の由来を語りだした変な人になってしまっている。


「ご両親は素敵な名前を付けてくれたんですね。でも、ライセ・リアーナ……とても良い名前だと思います」


 ルシルは安易な偽名を褒める。ライセリアは気恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じ思わず俯いてしまう。そんな様子を見てルシルはくすりと微笑んだ。


「私……田舎から冒険者になろうとアルシオネまで出てきて、冒険者ギルドに向かおうとしてたら道に迷ってしまいあの人たちに襲われて……」

「それはお気の毒に……あの手の輩はどこにでもいます。このアルシオネも辺境一の大きな街、人が集まる場所というものはどうしてもああいう者は出てきますものなので……」


 ルシルの言葉にライセリアは深く頷く。

 確かにライセリアが元いた世界でも都会の繁華街の裏通りを歩けば危ない雰囲気の場所はあるにはある。それでもいきなり後頭部を殴りつけて拉致するなんてそうそうあるものではないが。


 「ともあれ、無事でよかったです。……もしよければですけど、私が冒険者ギルドまで案内しましょうか?」


 ルシルは胸の前で両手の手のひらを合わせ、柔らかく微笑みながら言った。

 申し出は嬉しいが、これ以上彼女と話をしているといつボロが出るかわかったもんじゃない。ルシルと話をしていると話の主導権をどうも取られがちになるのだ。


 ライセリアはギルドまでの道を教えてもらうだけにしてもらい、同行については丁重にお断りすることにした。


「そうですか……でも、また何かあればいつでも教会に来てくださいね。教会はこの地区にありますので、夜は……女性が一人で訪れるのは危ないので、お昼ならいつでも歓迎しますよ」


 そう言って彼女はにっこりと微笑みかける。ライセリアも精一杯の笑顔を返しルシルにもう一度礼を述べ、踵を返して大通りへと向けて歩き出す。

 こうしてライセリアは無事に表通りに出て冒険者ギルドまでの道のりをしばらく歩いた後、何とかギルドのある中央広場に辿り着く。そこには見慣れた黒い甲冑姿の男と小柄な女の子が待っており、女の子――ノアはライセリアの姿を見つけると同時に、大きく手を振りながら呼びかけてきた。


 ライセリアもほっと安堵の息を漏らすと二人に向かって大きく手を振ったのだった。

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