第4話 前世の記憶~ありふれた死~

「はぁ……はぁ……大丈夫じゃないけど大丈夫。ワープの瞬間、ここに来る前の――死ぬ前の感覚を思い出してパニクっちゃっただけよ」


 少女は大きな木に寄りかかり、激しく動悸する胸に手を当てた。さっきの転送の感覚がまるで走馬灯みたいに頭の中を駆け巡る。


(そう……今のではっきり思い出したけど、私は一度死んでるんだ……)


 ここではない地球の記憶。日本の記憶。

 あの日――連日の残業で心身ともに疲弊していた彼女・・はおぼつかない足取りで電車を待っていた。

 朝のラッシュ、人ごみでごった返す駅のホーム。

 駅を通過する快速電車がホームに入ってきた瞬間、誰かに背中を押された感触がして――最期に聞こえた音は“ぐちゃ”っという自分の身体が潰れる音だった。


 その後は……闇の中を漂っているような感覚。

 光が見えたからそれに手を伸ばすと――この世界で目覚めていた。


「てかあなた! さっきから私のことライセリアライセリアって呼んでるけど一体どういうことよ。私の名前は――」


 少女はなんとなく言葉に詰まった。

 前世の末路が新聞記事にも載らないような有り触れた人身事故。


 あの駅に居合わせた人たちは「ちっ、よりにもよってこの時間に……」ぐらいの感想しか持たなかっただろう。

 少女も同じ立場だったら同じ感想を抱き、すぐに意識の外に追いやるようなありふれた人身事故。


 学生時代はガリ勉でろくな恋愛経験もなく、就職したらブラック企業で馬車馬のように働いて最期は電車でミンチ。

 あまりにも虚しい人生すぎて、死にたくなってくる。いや、もう死んでいるが?と一人ツッコミを入れる。


 元の名前を言ってしまうと、つまらない人生がリフレインしそうで嫌だった。

 ノアは少女の内心の葛藤などお構いなく、回転する羽を鳴らしてのんきに浮遊していた。


「いえ……私のことはライセリアでいいよ。もう元の世界の名前なんてどうでもいいわ。とりあえず。今の私はこの世界にとってすごく重要な人間、そうでしょ?」

「その適応力さすがですね。聖女の魂としての選定理由にも納得です。人格と肉体の不一致による弊害も特に認められず。これらのデータをエデンに送信――」


 ノアが何やらぶつぶつ呟いていたが少女は――ライセリアは気にしない振りをした。

 ……いちいち構ってたら話が進まないからスルーだ、スルー。


「ライセリア様、あなたは千年前世界を崩壊の危機から救った聖女ライセリア・ダ・ルーナ・サクラメンタ様の写し見としてこの世に再び顕現されたのです。現代では大神エデンが一人娘、女神ライセリアと信仰される存在。私たち天使はあなたをそう認識します」

「ちょっと聞いてよ奥さん、私ったら女神の化身として転生したんですって!  ――だったらあんな目に遭うわけないでしょ!」

「あんな目、とは?」

「あー、すみません。ちょっと取り乱しちゃって。……だってさ、さっきあの騎士たちに殺されそうになったじゃない。女神とか聖女の生まれ変わりとかいうなら、もっと大事にされるもんじゃないの?」


 ライセリアは殺されそうになったことでついつい早口でまくし立ててしまったがノアは特に気にした様子もなく、説明を続けた。


「人々は魔物からの脅威への救世主として、ライセリア様の再来を待ち望んでおりました。そして大神エデンは人々の祈りに応えてあなたを遣わしたのですが……人間たちの期待があまりにも大きすぎて、あなたの覚醒を待ちきれなかったようです」

「待てなかったって……私を殺そうとしてたじゃない!」

「はい。教会の高位聖職者たちは、すぐに奇跡を起こしてくれる聖女を求めていたのです。あなたが眠ったままでいると、民衆の信仰が揺らぐことを恐れたのでしょう」

「アホくさ。バァァァッカじゃねーの! 勝手に期待されて、目覚めを待たれて、使えなかったら殺そうとしてたなんてそんな身勝手な都合に振り回されるとかふざけんなってのよ。こちとらそんな事情知ったこっちゃねーっつーの!! 」

「さすがに大神エデンもこれには想定外で急遽あなたの覚醒を早め、その補助として私を遣わせたのでございます」


 ノアの口調は相変わらず平坦だったが、少しだけ申し訳なさそうな雰囲気を感じる。

 ――悪いのは全部教会の連中よ。あいつら絶対許せないわ。いつか必ずぶっ飛ばしてやるんだから……!


「はぁ……教会のアホ共は置いといて……それで、あなた達は私に何を望むの? 世界を救うために魔物退治しろってでも?」


 ノアはライセリアの問いには答えず、空中に静止したままじっとカメラアイでの彼女の目を見つめている。


「いいえ、ライセリア様がそれを望むのでしたらともかく、我々は魔物と人類が呼称する異常生態系を脅威だとは考えておりません」

「はぁ? 魔物が脅威じゃないってどういうことよ。魔物って人間を襲ってるんでしょ?」

「はい、襲います。が、人類を絶滅させるほどの脅威ではございません。確かに出現すれば作物を荒らし、人間の集落を襲い少なからず死傷者を出すこともありますが、定期的に人間の有志達に駆除されておりますので大きな脅威にはなり得ないのです」


 ノアの言ってることが呑み込めず、ライセリアは思わず口をぽかんと開けてしまった。

 正直意味がわからない。大神とやらは魔物の脅威から彼女を生み出したのに、魔物は人類の脅威となり得ないと言うのだから。


「これは――我々神に連なる存在と人類の視座の違いでございましょう。我々は魔物を人類を絶滅させる脅威とは認識しておりませんが、地上を日々生きる人間にとっては脅威そのものでございます。その祈りが大神エデンに届いたのです。あなたは人々の信仰心により地上へと降臨した、正真正銘の女神様なのです」

「神と人間の視点の違い、か……」


 ライセリアは深く考え込んでしまった。

 確かに日本にいた頃を思い出せば台風や地震といった自然災害も、人類全体から見れば大きな脅威ではないのかもしれない。

 でも、被災地の人々にとっては生活を根こそぎ奪われる大惨事だ。


「ねえ、ノア。じゃあ私たちにとって人間って……なんていうか、蟻とかゴキブリみたいな存在ってこと?」


 ノアは少し驚いたようなそぶりでカメラアイを動かした。


「そのような卑下した例えは適切ではありません。人類は大神エデンにとって大切な存在です。ただ、その視点が異なるだけです」

「でも、結局のところ神様は人間の苦しみをちゃんと理解できないってことでしょ? 私ねさっきまで普通の人間だったの。人間の気持ちも、痛みも、恐怖も、全部わかるつもりなの。だから……神様とか女神様とか聖女様だからって、高みから見下ろすようなマネはしたくない」


 ライセリアはしっかりとノアを見つめる。

 ノアはしばらく沈黙していたが、やがて胴体を縦に揺らした。

 それは頷きのジェスチャーなのだろう。


「理解いたしましたライセリア様。貴方のその考えこそが大神エデンがあなたを選んだ理由なのかもしれません」

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