君の手を離さない

夕緋

君の手を離さない

「君、私とは別れたほうがいいからさ、別れよう」

 ついさっきまでプールではしゃいでいた君は、西日に目を細めながらそう言った。

 むわっとした空気が纏わりつく酷暑の夕暮れにそんな冗談はまるで似合わない。

「何言ってんだよ。疲れすぎて頭どうかしたんじゃねーの」

「君ならそう言うかなって思ったけど、本気だよ」

 正直、判断に困る。君は冗談みたいなことも本気で言うから、今のこれが嘘か本当か決める術がない。

「俺は信じないぞ」

「……どうして?」

「俺たちに別れる理由がない」

 キッパリそう言うと君は一瞬目を丸くして、ため息を吐いた。

「ほんと、嫌になっちゃうな。君は私に嫌いになる理由を与えてくれない」

「じゃあなんで」

「だからだよ」

 話が見えてこない。君の諦観が籠ったような口ぶりから、本気なのだということは分かったけれど、今のところ何も分からない。

「……君って優しいけど察し悪いよね」

「悪かったな。全部言ってもらわないと分からなくて」

 君はやっぱり諦めたような表情をする。それは俺に理解を求めるのを諦めたのか、それとも別の何かなのか。

「……私さ、いじめられてるの」

「……は」

「能天気で考えなしで、みんなが計画してたこと台無しにしたんだってさ。私は改善案を出しただけのつもりだったんだけど。で、反感買っていじめられて、君と付き合ってることもバレちゃったわけ」

 ここまで言われたら、さすがに分かる。君が何を考えて俺と別れようとしているのか。

「悪いのはそいつらだろ。お前は何も悪くない。俺たちが別れる理由にはならない」

「私が何も悪くなくても、今起きてることは変わらないんだよ」

 心の中に切り傷をつけられたような痛みが走った。君の怒りを、悲しみを、やるせなさを感じ取った。

「あいつら、本当に何するか分からないからさ、せめて君だけでも逃げてよ。私を助けるためだと思って、お願い」

 真剣な声だ。でも少し震えている。君だって、怖いんだろ? 怖くないわけないよな。何されるか分からないと思いながら日々を乗りこなさないといけないのは、怖いよな。

 今の今まで、俺に言って来なかったなら、きっと誰にも言えてなかったはずだ。1人で全部抱え込んで、俺には笑顔だけ見せて、辛そうなところなんて見せないで。

でもさ。

「……まだ、手繋いでるだろ」

「……うん。今日は最後のデートをとことん味わってやろうと思って」

「俺、この手離さねーから」

 俺は君を真っ直ぐ見て言ったけど、君は視線を合わせてくれなかった。

「お前がどれだけ俺を突き放そうとしても、しつこくお前の隣に立ち続けるから。お前が本当に俺を嫌いにならない限り」

 君の頬を涙が伝う。君は右手でそれを拭う。

 後から後から涙が溢れ出してきて、もう片手では拭いきれていなかったけれど、それでも君は俺の手を離さなかった。

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