京都南禅寺の山門で


藤堂部長「あかんたれがおるようやな」


 この呟きにコメント、引用リプ、空リプをする者はいなかった。いつも無神経ぎりぎりのことをラインを見極めてツイートしている連中ゆえに、理由は分からないながらも誰もが不穏な何かを感じ取ったのかもしれない。


 9月17日、藤堂は京都にいた。

 夜半、南禅寺前の湯豆腐屋『逆正』を出た藤堂は、連れもなく一人、南禅寺山門へと足を運ぶ。

 中秋の名月の夜である。既に満月は天辺てっぺんに差し掛かろうとしていた。

「おっ月さん、えらいたっかいのう」

 独り言にしてはやや声高である。応えるようにどこかの庭先で犬が吠えた。

「ええ月や、そないなところからやと、よう見えんやろ。のう」

 のう、と言いながら藤堂は山門の柱を見やった。

「さいでんな。ほな」

 柱の影から、巨体がのそりと現れる。新戸先生の鍛え抜かれた巨躯だ。

「ほんま、ええ月でんな。うさぎさんまでくっきり見えはりますな」

「せやろがい。こういう風流も時々は嗜んでいかんとな。ごっつ美味い湯豆腐、ほんでええお月さん。やっぱこれやで、のう」

 藤堂は参道の白玉石を無造作に取ると、掌中でゴリゴリと音を立てた。

「湯豆腐はな、もちろん豆腐も大事や。けどいっとう気をつけなあかんのは茹だり具合や。中まで火が通っておらんくて、口にしたら冷たいのは論外、文字通り興醒めや。かといって茹だりきってしまうと味わいががくんと落ちよる。このやな、ぎりぎりの温度管理っちゅうのだけは、素人にはなかなか難儀やからの。掛け値なしでほんまに上手い湯豆腐が食いたい思たら、こうして京都くんだりまで足を伸ばさなならん。

 可愛がりもそんなもんかも知れんな。構い過ぎれば付け上がりよるし、あっさり躱しとると寂しがってとち狂いよる。難しいもんやで」

 藤堂部長はそこで言葉を切った。ふ、と力を入れると手中の小石が音を立てて砕けた。手の平を払い高級そうな上着を丁寧に脱ぐと、境内の松の枝にかけた。

「…始めよか」

 藤堂は言った。

「わいは、藤堂はんのように湯豆腐には造詣が深ないんやけどな」

 新戸先生も口を開いた。

「そないにやっこが好みなんやったら、毎年墓前に備えるくらいはしまっせ」

 そういうと新戸先生は懐から風呂敷包みを取り出し、日の子の首を掴み出した。首の下からは何本もの極太ちぢれ麺が垂れている。


日の子脊髄麺キャット・オ・ナイン・テイル


 と、極太ちぢれ麺はしなり、生き物のように藤堂に飛んだ。バラ鞭と化した縮れ麺が参道脇を埋める白玉石を打った。

 大きく身をかわした藤堂は、その威力に思わず舌なめずりをした。本気やな、新戸先生、そんな昂ぶりからだろうか。

 新戸先生は右手首の返しで鞭をしならすと、手首をしゃくる。再び無数の鞭先が、八岐大蛇のように藤堂に襲いかかった。

 一振り目で早くもバラ鞭の間合いを見てとったのか、藤堂部長は今度は先ほどよりも小さな挙動で攻撃を避けた。が、それが新戸先生の狙いだった。鞭先が伸びた瞬間に手首を返し、逆反りした数本の鞭先が藤堂部長の身体を掠った。

「ちっ」

 おろしたてのブラックレーベルのワイシャツが数カ所で避けた。やりよる。一撃目と二撃目にきっちり意味を持たせとったか。

「たいしたもんやな。わいの身体に傷をつけよる、さすが日の子っちの麺や」

 年間350杯のラーメンを食しても痩せぎすだった日の子。凝縮された麺力は彼の脊髄を鞭のようにしなり、刃物のように切れる、凶器と化していた。

「次々行くで」

 言いながら新戸先生の右腕は上下左右に巧みに振られた。鞭先、いや麺先が四方から藤堂を襲う。

「いつまで避けられるか、見ものでんな」

 叫びながら新戸先生は湧き上がる喜びに身が焦げるようだった。因果なもんやで。ち転がしたると思うほどに藤堂はんに近づけている、そう確信できる。愛憎裏表なん言うけど、ほんまに裏表で別れられへんのは愛と殺意や。

 と、飛び交う鞭先に一匹の野良猫がついと現れた。藤堂が立ち塞がる。あほが、これで終わりや藤堂はん。


そうなんですか分子間力ゼロ


 藤堂が呟いた。それまで生き物のようにしなやかに飛び交っていた脊髄麺が霧散していく。

「所詮借り物やな。新戸先生、小細工でどうこうしようとすな。全力でんかい」

 新戸先生は、手にした頭部を放った。

「小細工、言わはりますか。ちゃいますで。どないな手ぇ使つこても勝ち来たんや。わい、本気です。純愛ですわ」

「あほだら。なにが本気じゃい。身内に手ぇ出さへんとわいを本気にさせられん自分を呪わんかい。本気にさせたいから日の子っちに手ぇ出した言うんか。男一匹、おどれの力のみでわいを本気にさせんかい。純愛が聞いて呆れるわ。他人様を巻き込まんとそないなこともできん、不純も不純、大不純じゃ」

 そう言って一歩踏み出そうとした藤堂の足が止まる。何かが足に絡みついている。怪力の藤堂をして振り解けないそれは、脊髄麺を振るいながら少しずつ千切れ飛んでいた新戸先生の体のカケラだった。

「これは」

「発動させてたんですわ。わいの


全身粘体化ねちっこくまといつく愛情


 しまいやね藤堂はん。最後はわいの殺意に溺れてね」

 動けない藤堂ににじり寄る新戸先生。彼は粘体と化した全身で藤堂を覆い、その身中で圧殺しようとした。藤堂の豪腕が唸る。しかしその拳は新戸先生の身体にどぷりと飲み込まれていった。


元気に歌うなあ凍る空気

 

 藤堂は告げた。新戸先生の動きが止まる。全身が粘体と化していても、凍った空気の中で動けるものはない。

「考えよったようやが、浅はかやで新戸先生」


一撃破壊おどれもオナホと同じ目に合わせたるわ


 凍った空気の中、藤堂の三本目の足が新戸先生を貫いた。


 * * * * * * * * * *


最後まできっちりとねギロチン執行


 転がった日の子の首を拾い上げると、藤堂は横たわった新戸先生の躯体に歩み寄り、一言唱えた。瞬間、新戸先生の首が飛ぶ。

「どや、日の子っち。これやったら移れるか」

「大丈夫でしょ。正直そろそろボディ換えないとなーと思ってたし、ちょうど違いっちゃあちょうど良いんですよ。目を付けてた新人が辞めちゃってどうしたもんかと思ってたし」

 数十分後。新戸先生のボディの上の、白髪まじりの好青年の顔が歪んだ。

「あかんか?」

 藤堂が言う。日の子は苦笑いした。

「あかんわけじゃないんですけど、新戸先生の身体、ラーメンが足りなすぎてなんか気持ち悪いんですよ。早くラーメン食べないと。あれ、これって禁断症状ですかね」

「ほんま筋金入りやな」

 藤堂は呆れた調子で言った。

「せやな、わいも小腹が空いたし。ほな天一本店にでも行ってみよか」

「天一っすかぁ。いやぁ、せっかくの京都なんだし、僕はそう、高野辺りのラーメン屋行きたいですけどね、あの辺り京都じゃ評判の良いラーメン屋が集まってるんですよ」

「天一本店も捨てたもんやないで。スープも自家製やから、ごっつドロドロしとる。一度は食べといて損はない」

「そうっすか?そうですか、んじゃまあ行きましょか。とにかくもうラーメンが食べたくて堪らんですよ」

 藤堂と日の子は、連れ立って南禅寺の山門を潜った。疏水記念館前でタクシーを拾うと、一路北へと進んでいった。


 先ほどまでの争いが嘘のように、静寂が包む南禅寺。その静かさに、遠く祇園の嬌声が微かに届く。

 と、境内に打ち捨てられた、新戸先生の首が揺らめき出す。頭部の消えかけた蝋燭の火の上をくるくる舞っていた一匹の蛾が、惹かれるように燃えさした炎に飛び込んで行った。


 終わらんで。


 声にならない声が響く。


 こないなとこで終わらん。世の中から嘘がなくならん限り、わいも終わらん。藤堂はん、待っててや藤堂はん、わいがあんたに本当ほんまもん殺意を教えたるさかい。


 一陣の風が吹き燃えさしの火が身を捩るように消え。暗がりのなかの首もその姿を消していた。


<続く>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る