第5話 護るため
明楽は奥へ進み、その光の正体が荷菜だと気が付いた。荷菜の目はまるで蛇のように縦に瞳孔が切れ、口の端から長く伸びた舌が見えた。弥撒の言葉を思い出した。
弥撒は荷菜も取り込まれている、と。こう言うことだったのだ。祭壇の近くには蛇男、元は村長だったものがいた。毎日の稽古の中で蛇毒を徐々に与え、耐性をつけさせることで荷菜は蛇へと取り込まれた。
「荷菜、俺が分かるか。」
荷菜は答えず舌を足したり入れたりしている。その横に倒れる明菜は顔の半分が紫に変色し、毒に大分と当てられている様子だった。ここは明菜の救出が先と考えた明楽は、少しずつ二人に近づいた。荷菜は相変わらず蛇のようにこちらを見ている。ゆっくりゆっくり明菜に近づき、そのまま抱きかかえた。
太刀は右手で触れるよう左肩に明菜を抱えた。荷菜の方をしっかり見ながら、後ずさった。荷菜はなぜかすぐには飛び掛かってこない。そのまま出口に向かおうとすると、荷菜が声を絞り出すように呟いた。
【おじさん、ごめん。早く逃げて。】
荷菜はひどく苦しそうにしていた。まだ人の意識が残っている。あの可愛く照れた様子で笑う、愛しい家族。誕生日は毎年好きな料理を作ってやった。しかし荷菜は蛇に取り込まれ、近く人間としての心も失いそうになっている。そんな荷菜の様子に心を痛めた。さらに左肩に伝わる明菜の呼吸が徐々に弱くなっているのも感じていた。明楽はぐっと涙をこらえ荷菜に話しかけた。
「荷菜、必ず助けにくる。少し待っているんだ。」
荷菜の変わり果てた目からポロリと涙が落ちた。明楽は荷菜に背を向け一目散に走った。
祠を出ると、弥撒が蛇女の頭に触れてなにやら唱えていた。そんな弥撒に明楽は駆け寄った。
「弥撒、祠の中に荷菜がいた。蛇に取り込まれそうだ。まだ人の意識が残っている。助けてやってくれ。明菜もこの通り、毒にやられている。弥撒、頼むから。」
明楽の目からぽろぽろと涙が零れていた。
すでに明菜の顔の半分以上が紫に染まりつつあった。弥撒は蛇女から視線をそらさず、体も動かさなかった。明楽が明菜に呼び掛けているが苦しいのかヒューヒューと音を立ててやっと息をしていた。明楽は何かできないか考えたが何も浮かんでこなかった。焦る明楽をよそに弥撒の祈りは続いた。すると明菜の口から血が流れ、目からも血が滲んだ。
どんどん焦る明楽は何度も明菜に問いかける。そして弥撒は唱え続けた。すると蛇女の首が解け、一つの小石ほどの塊になった。その小石のようなものを弥撒はゆっくり口へ入れた。
弥撒の祈りが終わり弥撒は明菜を見た。明菜はほとんどがその毒に犯され、呼吸もわずかだった。そんな明菜に弥撒はゆっくりと近寄り、首に手をかけた。まるで首を絞めようとするその弥撒の様子に明楽は驚いて声をかけた。
しかし弥撒はそのまま首に添えた手をゆっくり上下に動かし唄いだした。明菜はみるみる顔色が戻り、呼吸も楽そうになった。
「弥撒、何をしている。」
「明菜の中にある蛇毒はわしが得た蛇女の毒から解毒した。体力を回復するにはひどく時間がかかるだろうが死ぬ心配はない。もう安心しろ。」
明楽は明菜に近づき、顔色や呼吸が回復した様子を見て安堵の息をこぼした。紫がかった顔は少しずつ赤みを取り戻し、一定のゆっくりとした深い呼吸を繰り返した。
よかった、と呟くと、明菜が目を開け小さな声で「兄さん、ありがとう。」といった。
急に弥撒が大きな声を出した。「くるぞお。」弥撒の声と同時に蛇が威嚇する声が聞こえた。祠から大量の蛇が現れた。
さきほど祠の蛇は全て片付けたはずだ。明楽は太刀を握り、明菜と弥撒の前に立った。
飛び掛かってくる蛇を切りつけるが、きりがないほど祠から現れる。
「弥撒、荷菜が中にいる。助けないと取り込まれる。どうしたらいい!」
弥撒は明菜を回復しているのか明菜の額に手を添えたまま動かなかった。
「荷菜についてはまだ時間が必要だ。はやく切り上げると意味がなくなるからな。そんなことより蛇に集中したほうがいい、噛まれるぞ。」
弥撒の言った通り、蛇の数は増え明楽の体力も限界が近づいてきた。膝が崩れそうになった時、弥撒が呟いた。
「来たな、わが家臣。」
にやりと笑った弥撒の視線の先には、槍を持つ多紀がいた。明楽に飛び掛かろうとした蛇を長い槍で一刀倒すと、弥撒の前に来て跪き最大の礼をした。
「多紀、体は平気なのか。」優しく弥撒が声をかける。
「はい、ありがとうございます。この通り、助けていただいた恩を返すためまいりました。」弥撒は満足そうに笑った。蛇の邪気が払えた多紀の表情は戦う戦士そのものだ。
「明楽、状況を教えてくれるか。」
「多紀、ありがとう、助かった。今、弥撒によって蛇女は倒された。明菜もこの通り救出し弥撒が回復した。そして一番の今の問題は、祠の中に荷菜がいることだ。荷菜はかなり蛇に取り込まれている。助け出さないといけない。」
「荷菜が?荷菜は隠しておいたはずなのに。」
多紀は祠の方を見た。祠からは相変わらず大量の蛇が這い出ていた。
「二人とも、荷菜はまだ助けられない。というか助けない。」
弥撒が突然言った。「助けないとはどういうことだ。荷菜を見捨てろというのか。」
明楽も多紀も困惑していた。「そうだ、荷菜は助からない。」
「弥撒、ヤサ獣は死を離すのではないのか。このままでは荷菜は死ぬぞ。」
「何も殺すとは言っていない。この村には荷菜が必要だ。そのためにもう少し蛇に取り込まれる必要がある。」
弥撒の言う言葉の真意が理解できない二人は祠へ行こうとした。しかし祠から大きな音が聞こえ足を止めた。
【あああああああああ!】
轟音を立て風が吹いた。あたりの草木は一気にしなだれ、鳥たちは一目散に飛び立った。
そうして祠の奥からゆっくりと姿の変わった荷菜が現れた。
【ああ、うう。】と一歩踏み出すごとに、かすれた声が漏れている。声を出すたびに口から蛇が湧き出ており、先ほどまで明と多紀が対処していた蛇たちは荷菜の口から生まれたものだった。
下半身は引きずるようにして這い出てきた荷菜は見るに堪えない姿になっていた。
「荷菜‥‥。どうしたんだ。」
多紀がゆっくり荷菜に近づこうとした。しかしあまりの荷菜の変貌ぶりに明楽が思わず多紀を止めた。多紀はどうやら泣いているようだ。娘の変わり果てた姿に心を痛めているようだった。明楽も苦しかった。あんなに懐いてくれていた姪のこんな姿をみて悔しかった。
「なあ、荷菜。わかるだろう?父さんだ。頼む、頼むから。」
多紀は耐えきれずその場に崩れ落ちた。崩れ落ちた多紀の方に小さな温かい手が触れた。いつの間にか弥撒が先ほどのように神々しく光り、額には勾玉の紋章が浮かんでいた。
シューシューと音を立てる荷菜に弥撒がゆっくりと近づいた。
「荷菜よ、よく耐えた。もう頃合いだな。」
弥撒は自分の手のひらに爪で傷をつけた。その傷からは赤い血が流れ、弥撒は怯えるように威嚇する荷菜の顔を傷ついていないほうの手で撫でた。そしてそのまま強く首を掴んだかと思うとその口に手を当て、荷菜の口に己の血をつけた。
血を飲んだ荷菜はゆっくり目を閉じた。弥撒は口角をクイッと上げ、満足そうに微笑んだ。少し経つと荷菜の姿は鱗が少しずつ薄くなり、目も元に戻っていった。
弥撒は手を離し、そのまま荷菜に両手を回した。そして荷菜の耳元で唄った。明楽と多紀が見守る前で荷菜の姿はどんどん変わっていった。はじめは元の姿に戻っているように見えたが、弥撒が唄い続けることで、荷菜の耳元には鱗が薄く浮かび上がり、薄く開く荷菜の目は蛇のような縦長の瞳孔だった。
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