第4話 弥撒の持つ力
ゆっくり近づく多紀を見ながら弥撒は明楽に小声で言った。
「わしがやつの動きを止める。その間に太刀を奪え。刀さえ奪ってしまえば、あやつは自分の体でわしにかかってくるだろう。そうなればあとはわしが仕留めよう。」
明楽は黙って頷いた。
多紀はこちらの様子を伺いながら弥撒に何の怪我もないことに怪訝そうにしていた。
まずは得体のしれないか弱そうな弥撒を、と考えたのか大きく太刀を振りかぶり飛び掛かった。しかし明楽の方が、動き出しが速かった。明楽は薬師になる前は村で片手に収まるほどの上位の太刀の使い手で、子育てで忙しかった多紀より実践の経験が多かった。
多紀の放った縦切りを近くに落ちていた石を刃先に当て躱し、そのまま体を多紀にぴったり付けた。多紀は激しく抵抗しようとしたが抵抗が明楽に伝わる前に太刀は明楽が叩き落とした。落ちた太刀を拾おうとした多紀の目の前には音もなく弥撒が仁王立ちしていた。
弥撒は大きく息を吸い込み、人には聞こえない音域なのだろう。唄を唄った。明楽の目には弥撒の口から新緑のようなきれいな色のベールが出ているように見えた。弥撒の目は先ほどのように綺麗な翡翠色を発っていた。多紀は耳を抑え、蹲っている。
唄いながら多紀に徐々に近づいた弥撒は、多紀の耳元に口を近づけた。弥撒が唄い始めてから身動きのとれぬように止まっていた多紀は、弥撒に囁かれると、何やら苦しみだした。そのまま地面により深くうずくまり、ごろごろとのたうち回る。苦しむ多紀の首筋に弥撒は手を添え、そしていきなり噛んだ。
噛まれた多紀は動きを止め、口から大量の蛇を出し始めた。出てきたそれを弥撒は何のためらいもなく掴み、村長の時と同じように処理した。
「明楽、多紀はもう大丈夫だ。蛇は全て払った。しかしわしを傷つけようとした代償を付けたからしばらく回復しないであろう。どこか寒くない安全なところへ寝かせてやれ。」
明楽は倒れている多紀を抱え、近くの茂みに横にした。体を横向きにしてやると呼吸が楽かと思いそうすると、多紀の首に真っ白な印があることに気がついた。その印はさきほど弥撒がかみついたところとちょうど重なる部分だった。初めて見る印に明楽は釘付けになっていたが、弥撒が声をかけた。
「その印はなあ、ヤサ神への信奉とわしへの忠誠を強制する印だ。なにせわしは神獣の巫女である故、あのように牙を向けられると殺すか忠誠心と引き換えに生かすかの二択を与えねばならない。加えてヤサは大きな鰭をかくことで命を生み出す神だ。 そんな神は心底殺戮を嫌う。なぜなら自分が生み出したものが無駄になるからな。 多紀がどう思うかわからんがわしがこの印を結ばんと、多紀の体はこの場で木に変わってしまう。
多紀が木に変わろうものなら明菜にどんな痛いことをされるかわからんからなあ。」
「そうなのか。それでは多紀は無事に蛇から離れられたのだな。」
安心した明楽をよそに、弥撒は明楽のそばに合った太刀に目を向けた。
「そなたの太刀はよう手入れしておる。わしの右腕となるものの武器だ。巫女の力を分けてやろう。」そういうと弥撒は太刀に触れた。弥撒が触れると太刀は光始めた。神々しく輝き、やがてその光が落ち着いたころには太刀に大きな白の印が彫られていた。
「俺の太刀に勝手に何をした。」
「ヤサの加護印だ。太刀を振るたびに力を蓄え、戦いを有利に運ぶ。」
「蛇女でも討てるのか。」
「あやつは普通の剣では刃が通らぬ。しかしヤサは生命の親だ。予見と長寿の才を持つ。その刀事態に命と同等のものを吹き込んだ。恐らく切れないモノノ怪はもういない。
明楽、薬師でいるのもいいがわしが国を統べるまでの間、わしの信頼する側近となれ。」
明楽は弥撒から太刀を受け取った。
「なぜ俺でないといけない。俺はもう刀は持ちたくない。麓未を守れなかったときに武闘は捨てた。」
「武闘の心など必要ない。そんなものはわしが持っていれば良いのだ。そなたはそなたの大事な人を守るためだけに刀を振るえばよい。それに多紀にはもう印が結ばれた。お前の刀もわしの加護の下にある。これからこの地には大きな災いが起こる。その時そなたが誰を守りたいかだ。守りたいときに刀を振るえないと後悔するのはそなただ。」
「大きな災い?何が起こるというんだ。」
「それは今は言えぬ。ただ、わしが地に降りたのもその災いを鎮めるためだ。初めてそなたと出会った時にそう言ったであろう。それにヤサの社にお前が立ち入ることができたのは決して偶然ではない。ヤサがそなたを選んで導いた。」
弥撒は立ったまま目を閉じた。すると額に勾玉の紋章が浮かび上がった。
「行くぞ、明楽。まずはお前の大事な家族と村の者たちを守るんだ。」
弥撒は歩みを進め、明楽もついて行った。歩みを進めるごとに弥撒の足元には植物が新たに綻んでいた。改めて弥撒の巫女の力の強大さを痛感した。明菜の家が見えた。
「少し遅かったようだ。蛇女の跡が見える。」明楽は走って家に向かった。扉を開けると家の中は荒れていた。ところどころ光っている。体液がついているのだ。「おい!誰かいるのか!明菜!」家人を呼ぶが人気がない。弥撒は玄関に立ったまま言った。
「明楽、子供たちは大丈夫だ。しかし明菜がやつに連れていかれた。まだ食われていないはずだ。急いで蛇の住処に向おう。」
「子供たちはどこにいる。どうして安全だと言える。」
弥撒の歩いた後の植物の発達のスピードは増し、周囲の木々もより青々と茂り始めた。
「わしはこの額の印がある間、ヤサの力を借りて生命の行く先が予見できる。子供は近くの隠れ家にいるのだろう、揺らぎもない傷ついていない魂だ。しかし明菜は蛇女に連れていかれるときに抵抗したのだろう。傷ついておる。急がないとその傷から蛇毒が入り、急速に毒が入ると人間は呼吸が止まる。」
弥撒は走り出した。軽々と走る弥撒はついこの間まで歩けもしない幼女だったことが嘘のように速く走った。明楽は追いつくのに必死であっという間に蛇の住処にたどり着いた。
祠の入り口を真っ黒な蔦が覆い、沼地のようにひどく歩きづらい。入り口に立つと祠の奥から鼻の奥を強く刺激する悪臭がした。祭壇から続いたトンネルよりひどい匂いだ。明楽が立ち尽くしていると弥撒が明楽の前に立ち両手を合わせた。小さな声で何か呟くと祠の奥から何か動くのが見えた。ゆっくりと月が大地を照らし始めあたりが薄明るくなった。弥撒の背中越しに、さっきは暗がりで見えなかった蛇女の全貌が見えた。
よく見ると何本も生える人間のような腕、全体が温度を感じさせない鱗に湿った体液で体は光っていた。目は左右に6つあり、口元は人間の口が裂けたようなひどく醜い姿だった。その姿は明楽が覚えているそのものによりさらに邪悪で汚らわしくなっていた。蛇女というからなのか腹には乳房のようなものまでついており、蛇女の体の下には無数の蛇がまとわりついていた。蛇女が現れるとより悪臭はひどくなり、明楽は思わず顔を顰めた。
【その娘、先は貴に何をした。お前は何者だ。】
「お前には到底わからんだろう。そこまで汚れてはもはや司神の声も届かぬ。わしが楽にしてやろう。昔は村を守る者として使命があったはずなのに、寿命を恐れ、ヤサから授かった命を忘れたな。」
【ヤサ?そうかそなたは海獣どもの使いか。ふん、どうせやつら海獣は地上には干渉しない。生れてしまえばこちらの好きにできてしまう。形だけの神に与えられた定めなどとうに消えたわ。童はこの村の人間を喰らい続けることで力を強くし、長く生きてきた。人間を喰ろうた後には地に雨が降った。娘よ、人間は雨がないと生きていけんのじゃ。か弱い者たちよの。童がおらぬと生きてもいけぬようなものだ。】
蛇女はあざ笑うように言った。
「わしが何者か知りたいと言ったな。教えてやろう。ヤサ神より生まれ、ヤサの命にて舞う巫女よ。死ぬ前にわしの名が知りたいであろう。わしは名は弥撒という。」
蛇が大きく鎌首を持ち上げ、目をこちらにぎょろ付かせた。そうして大声で嗤った。
「何が可笑しい、モノノ怪の姫よ。」
【可笑しいだろう。ヤサには巫女などおらぬ。
ヤサをはじめとする海獣どもは地に興味などない。巫女だと?ほらを吹くな。お前が何か力を与えられた特別な存在だとでもいうのか。くだらん。あまり笑わせるな。 笑うと腹が減るであろう。】
そういうと蛇女は大きく口を開き、音を立てながら毒らしきものを口から垂らした。
「明楽、あの毒に触れるなよ。ただの人間には耐えられぬ。」
弥撒は大きく手を拡げ、目を閉じた。弥撒が隙を見せたと感じたのか蛇女は体をのけぞらせ、そのまま飛び掛かってきた。しかしその瞬間、明楽の目にはまばゆい光が入り、目が開けられなくなった。大きな音を立て、何かが地面に沈んだような衝撃は走った。明楽は何が起きたのか確かめるために薄く目を開けた。
弥撒が両手を体の中央で重ね、キッと蛇を睨んでいる。そんな弥撒は真っ黒だった髪が真っ白にまばゆく光、目は翡翠色、体全体を白や緑、黄色の何かが弥撒を守るように取り囲んでいる。
そして蛇女は体の縦半分が削られたように傷ついていた。周囲の植物は弥撒を取り囲み、植物から弥撒へ地のエネルギーが渡っているようだった。
蛇女は何とか頭は繋がっているが、蛇女も自分に何が起こったのか分かっていないようだった。しかし明楽がはっきりと目を開けられるようになると同時に痛み、苦しみだした。蛇女の傍らには蛇女の血液が付いた植物が落ちていた。
【おあああああああああああああああああ!】
恐ろしい声があたりに響く。周囲の木々は激しく揺れ風が強まった。弥撒は敵から目を逸らすことなく唄い始めた。弥撒や明楽の周囲の植物たちが青々敷く茂り、小鳥や動物たちが集まってきた。弥撒の唄声は以前に聞いた優しいものではなく、芯の強い、巫女の唄声だった。唄声とともに弥撒の周りを取り囲む何かは一目散に蛇女へと向かった。弥撒が唄を止め手を叩き一周舞った。
「イネ。」弥撒が呟いた。
一周舞い終わると同時に蛇女の首が飛んだ。あっという間の出来事だった。首が飛び、蛇女が地に落ちた。そして息絶えた。弥撒は気が付くと髪の色が戻り、全て戻っていた。
「明楽、こやつはもう死んだ。これで人を喰らうモノノ怪はいなくなった。この祠の奥に明菜がいる。明菜は蛇男の残骸に囲まれ、毒が入り込んでいる。太刀をもって早くここまで連れてくるのだ。」
明楽は急いで太刀を持ち、祠へ入っていった。入るとすぐに群れになった蛇が襲ってきた。明楽は数年ぶりに太刀を振るった。振るった太刀の剣先からはさきほど弥撒を守っていたような翡翠色の光が流れた。手入れを怠ることはなかったが刀を振るう気持ちにはなれなかった。しかし今は、明菜を救うために自然と刀を振るった。久しぶりに振るう太刀は手にしっかりと馴染み、まるで剣先が明楽の指先のような感覚がするほどだった。しかし本来それがこの太刀の能力だった。村の男子全員に与えられる武器は使えば使うほど体に馴染み、より能力を発揮する。すでに何回も死線をともに潜り抜けたその太刀はこれ以上ないほど能力を発揮した。さらに弥撒のかけた加護印がより能力を引き出していた。祠は奥に進むにつれ広くなっていた。その先にぼうっと何かが光るのが見えた。
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