第3話 現れたモノノ怪
明楽は暗闇で大きなものが蠢いているのを感じ取った。
「弥撒、何かいる。」
「ああ、いっただろう蛇女がいる。祭壇の下にある地下通路が蛇女の社に通じているようだ。早い対面だがこれでも良いだろう。」
弥撒の声からこんな状況にもかかわらず楽しむような何かを試すようなそんな感じを取った。そんな二人から5mも離れていないだろう。人間ではない何かおぞましいくぐもった声が響いた。
【その餓鬼、何者だ。長よ、貴もその餓鬼と話をしたい。】
「ああ、蛇姫よ、姿を現して良いのですか。」
猫を撫でるような村長の声が聞こえ、その不気味さが明楽を震わせた。
【よい、こいつはややこしい。祭りの前に喰ろうてしまおう。】
「明楽、下がっていろ。喰われてしまうぞ。」
明楽は弥撒のいうように、一歩下がった。手には箱の中に隠しておいた短刀を握っていた。少し目が慣れてきた明楽はその大きな蛇に腰が引けた。その蛇は明楽の忌まわしい記憶となんら遜色なかった。あの時明楽の大事な麓未を喰ったやつだ。
忘れもしない。大きく分けた口、蛇の癖に何本も生えた腕、ぎらついた鱗には何やら体液のようなものが付着していた。明楽は己の心の臓が燃えるのが分かった。
蛇女は天井に着きそうなほど鎌首を持ち上げ薄気味悪い舌を何本も出したり入れたりしていた。そんな大きな蛇を目の前にして弥撒はまた口角をあげていた。
バンッ。大きな音がした。弥撒が笑いながら手を叩いた。小さな手からは想像できないほどその大きな拍手は徐々に徐々に音が大きくなり始めた。その音が目の前の蛇と村長だったものに届くと二人はひどく苦しみだした。
「ああ、蛇姫様。痛い、熱いです。何が起こっているのですか。」
【娘、お前は何者なのだ。やめろ、熱い熱い。】
蛇がのたうち回り、祭壇近くに遭ったものが倒れた。そんな二人の様子に弥撒はけらけらと笑いながら手を叩き、床を打ち付けた。苦しむ者たちをみた弥撒はさらに手を叩いた。
「熱いだろうなあ、そなたらにしか感じないであろう勾火の術だ。さあ、ここから始まるぞ、唄が始まる。」そういうと弥撒は歌い始めた。弥撒の目が暗闇で翡翠に光った。
洞窟での唄とは違い、弥撒は笑ってはいるが怖かった。明楽は弥撒の髪が伸び手足が伸びているのが分かった。何が起きているのか、彼女は急速に成長しているようだ。明楽はただただ短刀を握りしめた状態で立ち尽くすしかなかった。
弥撒の唄を聞いた村長と蛇女はより大きな声で熱がり、やがて叫び始めた。よほど苦しいようだ。弥撒がどのような術を用いているのかわからないが弥撒が本物の巫女だということはその場にいる明楽にははっきりわかった。
【やめろおおおおおおおお。】
そう大きな声で叫んだ蛇女は弥撒から逃げるように祭壇へ向かった。村長はすでに失神し、泡を吹いていた。蛇女が祭壇から地下に潜ったのを確認した弥撒は唄うのをやめた。
そうして弥撒は立ち上がった。先ほどまでは幼女の出で立ちだった弥撒は七歳くらいの女児まで成長し、長い漆黒の髪は床に着くほど長く伸びていた。明楽は声が出なくなっていた。弥撒は倒れている村長に近づき、跪いた。
そして手を近づけ小さな声で唄った。すると村長の目が開き大きく口を開いた。その口から小さな蛇が一斉に出てきた。明楽は思わず「ひいっ。」と声が出た。蛇たちを掴んだ弥撒は両手で蛇を叩いた。蛇は叩かれた瞬間、ドロッと溶け出した。村長はまた目を閉じ眠り始めた。ドロッと溶けたものを払い、弥撒は立ち上がった。
「許してやってくれ、明楽。こいつは入られていた。長年に渡り入り続けられ、いつしか娘たちにも手を出し、より多くの民を蛇に取り入らせ、このような事態になった。蛇の毒が回ると蛇の本能やイキモノとしての質が乗り移る。人間とは違い理性がないものの質を抑えるのはただの人間には不可能なことだ。こいつがしたことは人がすることではない。
こいつの中の蛇男がしていたことだ。問題は逃げた蛇女だな。この後村を襲うだろう。止めなければならない。皆喰われてやつの寿命が延びればそれこそ天災だ。追うぞ、明楽。」
明楽は弥撒が歩き出したのに急いでついて行った。蛇女を追い、祭壇の下へ歩き出した弥撒を明楽は慌てて追った。祭壇の下は湿った土がむき出しのままトンネルになっていた。
ところどころ蛇の体液が光るトンネルはひどく不気味であった。ヘドロとイキモノの腐った匂いが混ざる何とも不快な空間だ。
弥撒が両手を上下にゆっくり重ねると不思議なことに弥撒の指先が光った。さらに蛇女の足跡なのか薄紫に一本線が伸びている。弥撒は何のためらいもなくトンネルに足を進めた。
「弥撒。巫女であることが真実なのは十分に分かったが、この後はどうするつもりだ。」
「もちろん蛇女退治じゃよ。明楽、お前にも一役買ってもらうからな。」
ピタピタと足音がトンネルに響いている。
「弥撒の巫女の力はどんな仕組みなのだ。手を叩いただけで相手が苦しがっていた。」
「気になるか?」明楽は弥撒をみて強く頷いた。
「当たり前だ。今まで祈りの巫女や払いの巫女はいたが、神獣に仕える巫女は初めて会った。どんな力があるのか気になるのは当然のことだ。」
「いつかすべてを教えてやろう。明楽、お前は神獣の使いの巫女、弥撒の王の右腕となるのだからな。」
「本気で国を統べるつもりなのか。」
冗談でもいうように大きな野望を呟く弥撒に明楽は完全に物怖じしていた。
話しているうちに少し明るくなってきた。丸くくりぬかれたトンネルの出口の先は村長の家の裏の丘に続いていた。その先には大きな森がありずっと歩くと海に出るはずだ。
弥撒が示した蛇女の足跡は森に続いていた。森の北側には明菜たちの家があった。
明楽はまだ早く歩けないという弥撒をおぶって、急いで丘を下った。
「明楽、蛇女はまずわしを殺すために力をつけようと男を喰らうだろう。急いで明菜の家に戻るのだ。多紀のもとへ、間に合わねば家族が喰われる。」
「分かった。急ごう。しかし一つ寄りたいことがある。時間はとらせん。俺が一番扱いやすい太刀を来る途中の山の中に隠した。よってとってきてもいいか。」
「ああ、かまわん。だが急げよ。蛇は速いからな。」
弥撒はけらけらと笑っている。おぶわれなんとも愉快なのだろう。
少女になった弥撒はすでに持っていた美しさに拍車をかけ、今にも自然に溶け込んでしまうような人ではない美しさを放っていた。
明楽は来る途中目印としておいてきた大口輪の葉を見つけた。その葉の横の大きな木に太刀を掛けてきた。しかしおいていたはずの太刀が無くなっていた。
「どうした。明楽。」
「おかしい。ここに置いた太刀が無くなっている。たしかに木の葉の隣の木に掛けたはずだ。」すると木の奥の茂みから何かが出てきた。
その黒いものはすごいスピードで駆け寄ってきて、振り返りざまの明楽の背中にぶち当たった。
「おっと。」明楽はすぐさま対象を確認した。
それは明楽の太刀を握る多紀だった。多紀が、明楽が背負っている弥撒に太刀を突き刺していた。そのままためらうことなく太刀を引き抜いた。急いで弥撒の具合を確認しようと多紀から目を離すと、その隙を見て多紀がまた太刀を振ってきた。
「多紀、やめろ!俺だ、明楽だ!」
多紀は明楽の声に応えず、いまだ攻撃の姿勢を崩さない。明楽は多紀の攻撃を躱しながら多紀と距離を取った。そのまま急いで茂みの奥の奥、大きな岩の陰に身を潜めると、弥撒の傷を確かめた。
「弥撒、大丈夫か。刺されただろう。傷を見せろ。」
弥撒は答えない。しかし目を開き刺されたであろう場所を両手で触っていた。その顔にはいつもの微笑があったが、その微笑の中にはじめて怒りの感情が見えた。
「はは、大丈夫。確かに刺されたが、傷などない。私は傷を負わなければ病にもかからない。ヤサ獣の加護があるからな。よってこれは大したことではない。」
ゆっくり首をおこし、明楽を安心させるよう見つめた。
「しかし多紀は許されぬことをした。私は神に仕える巫女なのだからこの仕打ちは神、ヤサ神に牙を向けたのと同意義だ。許されることではないな。」弥撒はゆっくり体を起こした。明楽は弥撒の体には傷がないことを確認しほっと胸を撫でた。
「多紀はなぜこんなこと…。」
弥撒が鋭く茂みの向こうへ顔を向けた。振り向きざまに明楽の顔に弥撒の髪が当たった。
ガサガサッ。何者かが近づく音が聞こえその主が声を発した。
「出てこい、明楽と娘。私の家族に手を出すことは許さない。誰もやらん。もうこれ以上つらい思いをさせるわけにはいかないのだ。」
声の主はやはり多紀だった。多紀は殺気に満ちた様子で明楽の太刀を握りしめていた。
村の男は走れるようになると、馬と刀の稽古を一通りやらされる。そして十歳になると自分に合う武器を選別し、町一番の武器屋がその男に合った武器を特注で用意する。そして祈祷婆によって武器と人間は繋がれ、その武器は主人である選んだ男の子とでしか本来の力が発揮できないよう結びを得る。そのため、明楽の太刀を多紀が使いこなせるわけがなかった。しかしその割に多紀はうまく太刀を振るい、近くの木を薙ぎ払った。
その今までにない多紀の様子に明楽は慄いた。しかし弥撒は多紀の方を向いたまま、明楽に言った。
「あやつにも蛇の血が入っているようだ。もはや殺人衝動に近い状態だな。見ておれ。わしのヤサ巫女としての力を、明楽、そなたももっと見たいであろう。」弥撒がにんまりと笑った。
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