第2話 裏切り
次の日弥撒を薬箱に乗せて村へと降りた明楽はまず明菜の家を訪れた。出迎えた明菜は前回明楽が会った時よりひどくやつれ、眼光は鋭くなっていた。思い詰めている妹を見て明楽は胸が痛くなった。明菜とその夫多紀は二人して疲れ切っていた。しかし多紀にはやつれた様子はなくむしろ少し肥えているように見えた。村のみんなが多紀に謝食を与えているのだ。村ではその年贄に選ばれた男に、皆の代わりに贄になってくれてありがとう、という意味の謝食をたくさん与え、蛇女に栄養満点の男を捧げるようになっている。なんて悪習だろう。明楽は明菜に二人で話そうと声をかけた。明菜は多紀に子供たちの様子を見てくるように言った。明楽は話し始めた。
「毒薬が準備できた。やつの呼吸を止めるのには十分な量のはずだ。子たちの弓はどうだ。」
「ああ、険しい顔で毎日練習しているわ。多紀にばれないようにと言ってやらせているわ。子供達には本当はこんなことさせたくないのよ。でも私たちには多紀が必要なの。毎日肥えていく多紀を見て私も子供たちも呪火を燃やしている。」
「そうだろうな。俺だって本当は子供たちを巻き込みたくはなかった。巫女の荷菜はどうしてる。」
「荷菜は毎日村長のところへ行って祈りの舞を教わっているわ。」
「そうか、その村長のことで話がある。」
明楽は弥撒を箱から取り出した。明楽に抱かれたまま弥撒はじっと明菜を見つめた。突然の見知らぬ幼女の登場に明菜は困惑の表情を浮かべていた。
「その子は…。」明菜の問いに弥撒が口を開いた。
「わしは弥撒という。最近明楽に拾われたヤサ獣の巫女だ。今回の蛇贄祭を終わらせるつもりなのだろう。巫女であるわしも協力しよう。」弥撒は村長のことを話した。奴は味方ではなく蛇に通じた裏切り者だと明菜に話した。
「そんなはず…。そんなことがあってはいけない。村も私たちも崩壊してしまうわ。だってこの水登村は村長が全てを握っているのよ。糧の分配も水晶の管理もすべて…。もしそれが本当ならどうやってこの祭りを止めればいいというの。」
明菜は今にも地面に倒れそうになっていた。
「簡単な話だ。わしが村長に会って話をしてやろう。話だけで済むとよいが済まぬともよい。もし交渉が決裂すれば村長は逆上し蛇女を村に呼ぶだろうな。モノノ怪は自分の社からでると防衛本能が働き食欲と暴力性が増す。もちろん本来の大蛇の能力である蛇毒、雨ごいの力も同じだ。モノノ怪が化け物と化し、村へ現れれば討つ機会だ。」弥撒は倒れそうな明菜を横目に機嫌が良さそうに笑いかけた。その笑みをみた明菜はこの幼女を信用できないのだろう、立ち上がって弥撒を掴んだ。しかし明菜が弥撒に何か言う前に明楽が口を開いた。
「話をするって、何か策があるんじゃないのか?」
両肩を明菜に強く掴まれていても一つも動じた様子のない、朗らかに笑う弥撒に明楽は半分苛立ちを込めてそう聞いた。
「策があるとは一言も言っていないだろう、何を苛立っているのだ。」
「簡単な計画だなと言っていたではないか。」
「策など本当は必要ないのだ。だがわしだけでけりをつけては、この先の人々の成長は得られん。あくまでわしは導くことしかせん。わしは生命の親ヤサ神の巫女だ。安易にイキモノの殺戮には手は出さない。そなたたち人間が心の底から困り果て出口が分からないときにこそ力を貸そう。もしかすると敵としてそなたたち人間に試練を与えるかもしれぬな。」明楽はそういう弥撒の目が、一瞬翠がかったような気がした。不安そうにする明楽や明菜の様子に、安心させるように弥撒が言った。
「大丈夫だ、明楽。わしの目的は蛇贄祭を今回で終わりにすること、それ以外ない。そなたたちと同じ目的をもっているのだから案ずることはないよ。それに…。」
明楽は弥撒を見つめた。
「明楽の毒はもうわしが飲んだ。わしも蛇女を討つための武器の一つとなったのだよ。」
そう言い口角を上げ、目を細めた弥撒はやはり汚れないただの綺麗な幼女だった。
明菜は二人のやり取りを聞いて涙を浮かべていた。
「本物の巫女様なら私の夫を助けてくれるのですか?子供たちから夫を奪わない手助けをしてくださるのですか?今の話が本当なら荷菜も喰われてしまうということですか。」
「そうならんように手を貸すことはできる。しかしすべてのことが終わったらわしに一つ宝を渡すのだ。宝はすべてが終わったらわしが決める。むろんものではないぞ。人だ。」
「人ですか?家族を渡せということですか。」
「まあそういうことになるな。大丈夫。わしはモノノ怪ではないから取って食うことはしない。」
「そんな…。すぐに返事はできません。私は家族を守りたいだけなのです。」
「わしがいればおぬしらの大切な家族を守ることができる。ゆっくり考えるが良い。
さて、村長の件だが早めに会いたい。機会を作れるか。」
「それならば、毎日娘が村長様のもとで祈りの舞の稽古に行っていますので今日の夜にでも迎えと謝食を受け取りに行く予定です。」
「よし明楽。明菜の代わりにお前が村長のもとへ行くのだ。もちろん私を箱に入れてな。裏切り者と話をしよう。」
「謝食を受け取るために多紀も毎日村長様のもとへ通っています。」
「ならば多紀と明楽で行こう。ちょうど良いかもしれぬな。」
何がちょうどいいのか全く分からないが、そんな二人に弥撒は言葉足らずも良いところで説明するのが面倒なようだった。
このやりとりを窓の下で聞いているものがいたのだが弥撒の話に夢中な二人は気が付かなかった。
その夜明楽と多紀の二人は村長の館へと向かっていた。もちろん明楽の背負う薬草箱には弥撒が入っていた。村のはずれの丘の上にある村長の館はぼうっと灯が灯っている。
明楽は多紀に話しかけた。「顔が疲れているな。大丈夫か。」
「ああ、毎日今まで食べたことがないほどのご馳走を無理やり胃に押し込んで、そんな様子を子供たちに見られて、正直疲れているし、こんなこと辞めてしまいたい。本当はご馳走だって子供たちと分け合いたいし、これからも子供たちが大きくなるのを見たいと思う。でもこれは俺が村の皆から託された使命なのだと思うようにしている。でなきゃ今までの贄やその家族、生き残っている人たちが可哀そうだ。」多紀は明菜が選んだ男なだけあって、良い父、良い男、良い家族だった。
「俺は今も麓未が死んだあの年が忘れられない。顔すら帰ってこなかった大切な人をまだ見送ってやれていないんだ。骨ももう残っていないがな。」
「そうだろうな。俺は残していく家族がそんな風に俺に未練を残して、自分らしく生きていけないことが怖いんだ。自分もいつか贄に選ばれるのはわかっていた。だがそれだけが俺の中で死ぬのを躊躇わせる。」明楽は悲しそうに笑う多紀をみて臓がちりつくのが分かった。
村長の館にたどり着いた二人は灯の番に巫女の迎えと告げ、館の中に通された。
大きな演舞場の中心で村長が座っており、その前をまだ幼い多紀達の娘が舞っていた。
「村長様。こんばんは。多紀でございます。」
「おお、来たのか。おや明楽、久しぶりではないか。相変わらず山に籠りきりなのか。」
「ご無沙汰しております。ええ、それが俺の仕事なので。」
「そうか。私はお前さえよければまた村の太刀使いの隊を率いてほしいと思っているのだがね。」朗らかに笑うその初老の男が村長だった。弥撒の話を聞いた後のせいかその薄ら笑みはどうにも胡散臭く、明楽は居心地が悪くなった。
「いえ、私はもう剣は握らぬと決めたのです。ただの薬屋だけでも人の役には立てますから。」
「そうか心変わりしたらすぐにでも村に降りてくるのだ。して明楽がいるのは珍しい。村に卸す薬の話か?」
「いいえ、別件で伺いました。村長と二人で話をする時間をいただきたいのです。」
「そうか、では舞の稽古は終わりにし、多紀たちは帰そう。それでよいか?」
「ええ、ありがとうございます。」明楽の鼓動は速くなり、纏う空気からでも村長への警戒心が読み取られてしまうのではないかと心配になった。
「多紀また明日来るのだ。謝食は灯番に準備させてあるから受け取って帰るといい。」
「はい、ありがとうございました。」多紀は舞っている荷菜を呼び、手招いた。久しぶりに見る荷菜は以前より背が伸び顔も少し幼さが抜けたようだった。
多紀と荷菜は手をつないで部屋から出ていった。明楽は二人の去り際、荷菜が鋭くこちらを睨んでいる気がしたが村長に気をひかれていた明楽はそれほど気に留めず、二人を見送った。箱から弥撒が小さな声で明楽に言った。
「あの娘、もうほとんど取り込まれている。急がねばまずい、明楽。」
明楽は目の前の村長に向かって単刀直入にこう言った。
「村長はなぜ多紀を贄に選んだのでしょうか。」明楽は村長の目を見つめて目を離さなかった。
「そりゃ村会で決まったのさ。条件を満たし贄に相応しいものを選んだのだ。どの男衆も今年は自分が喰われるのではないかと怯えておる。しかし村会のしきたりでそのような怯えなどは判断に影響するからな。お祓いをしてから会を開いておる。」
「そうですか。ではなぜ…巫女は下の娘にやらせるのですか。」その明楽の問いに村長はそれまでの笑みをすっと消し、目を見開いた。明楽は村長の目がまるで蛇のように瞳孔が細くなっていることに驚いた。内心身構えながら続けてこう聞いた。
「なぜ上の娘ではなく十二歳の幼い娘にそんな大役をさせるのですか。毎年十五に満たない幼い子供に巫女をさせるのはどうしてですか。」
「明楽、なぜそのようなことを聞く。何が知りたいのだ。」
「村長様。私は麓未の時も不思議に思いました。あの時麓未はまだ十四歳でした。姉は二十歳という適齢であったにも関わらずどうして下の子を選んだのかと。」
「こちらが幼い子を選んでいるのではない。贄により近い血縁者で混じっていないほうが良いのだ。」村長の細い瞳孔はもはや線のようになっていた。
「混じるとは。」
「生娘である必要があるのだ。あの獣様がそう言われた。村としてはその通りにせねばならんだろう。民の命もかかっておるからな。」なぜ、生娘なのだ。確かに明楽の思い人麓未もそうであった。
「そういうことか。」箱から聞こえてきた。弥撒が口を開いたようだ。弥撒のよく通る声に警戒心を大いに隠さなくなった村長は声の出所を探すように周囲を激しく見まわした。
「なんだ、誰の声だ。明楽、誰を連れてきた。」
明楽は弥撒を箱から出した。
「なんだ、その子は。」弥撒はその場で足を組んで座った。
「村長、そなた蛇女と通じているばかりでなくやつに取り込まれた蛇男だったのだな。長たるものモノノ怪に臓を売ったのだな。なぜそんなことをした。長として最低の行為だ。」弥撒は怒りを含んだ鋭い口調で長へ問いかけた。
灯が消えた。視界を遮られ、明楽は一気に不安が高まった。さきほどの村長の様子はもはや尋常ではなかった。
「弥撒、どういうことだ。村長が蛇男とは。」明楽の問いには答えないまま弥撒が落ち着いた声で明楽に問うた。
「ここ百年以内にこやつらの家系から贄や巫女が選ばれたことはあるか。」
「そういえば…。しかしそれは村長の家系は祈りの舞の伝承家だから捧げてしまうと祈れなくなるためだと思っていた。」
「そうではない。こいつは生娘である巫女に蛇毒を与え続け、蛇種を埋め込んで村に男の子が生まれやすくしていた。人間が行うような営みではなくただ蛇の毒や体液を生娘に与え続けると、いつしか血液に蛇の液も混じるようになる。しかも蛇の力を増すために蛇の血が混じった子を作らせるのだ。そうして贄を選別してきた。生娘である巫女に祈りの舞の稽古と言いここに呼びつけたのはそういうことだ。もはや行いは人ではない。」
「その娘何者だ。どうして詳しい。明楽、しかし耳を貸すなよ。偽りの話に耳を傾ける必要はない。」
心なしか村長の話し声に蛇の吐息「シューシュー」という不快な音が混ざっているような感じがした。徐々に部屋が冷えてきた。鱗が這うような音が聞こえる。祭壇の方向からだ。暗闇の中、弥撒の目だけがキラキラと光り、その目は祭壇を向いていた。
「もうそこにいたのか、蛇女。」
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