2 昼、砂嵐に見舞われる

 男達──いや、盗賊達の持ち物を物色した彼女は、ザクザクと白い砂を踏み締めながらこちらに近づいてくる。後ろ手に細い鎖で繋がれたイドリスは、そういえば、という風に口を開いた。


「偽名と教えてもよかったのか?」

「……構わん」

 短くそう言うと、エバは鎖を持って歩き始めた。

 時刻はちょうど、朝日が上り切ったくらいだろうか。これが朝日が出ていなければ盗賊にも、エバにも見つからなかった筈なんだけど……とイドリスは自分のツキの悪さにため息を漏らした。


 ここは砂原の中でも西端に位置する第五砂漠クルス。砂原の砂漠は神によって正確に分けられており、第一砂漠から第八砂漠まである。それぞれを管理するのは高位文官か高位武官。要するに位の高い神だった。

 彼女がどの神に仕えているのかは手持ちの物を観察すれば何となく察せる。首から下げた琥珀の小刀。琥珀の腕飾り。それを見てしまえば彼女の主が“貪欲の神”であることが分かった。


「なるほど」

 思わず漏れた言葉に、隣りを歩いていた彼女が一瞥してくる。それに笑顔を浮かべながら、さてどうしたものかと頭を悩ませた。

 貪欲の神が城を築いているのはクルスの南部である。北部はまた別の神が納めており、貪欲の神と別な神のあるじが、このクルスを収めている王神おうしんということだ。


 貪欲の神はあくなき探求心と食欲を持ち合わせた厄介な存在である。針使いが仕えていた300年前の時代にも、何人もの針使いが食いつぶされたのだ。

 食べるというのが栄養を摂取するという意味なのか、性的な意味なのか、イドリスは知らない。イドリスが生まれたのはほんの140年前の話であり、激動の時代については人伝に聞いただけなのだ。

 そんな中でもクルスに隠れ住む針使い達が口を揃えていう言葉。


『貪欲の神には近づくな』


 彼らの教訓を裏切るのは心苦しい。だから、一刻も早く抜け出す方法を探さなければいけない。さてどうしたものかと思った瞬間、ごおおっと風が吹いた。その風は砂を巻き上げ、どんどんと大きくなっていく。


「砂嵐か!」

 イドリスは驚きの声を上げる。砂嵐に巻き込まれた二人と一匹。だが、エバは至って普通の事態かのように、ハヤブサのクァンを呼び寄せた。クァンは高い声で鳴きながらも彼女の腕に着地する。

「風に煽られたりしないのか!?」

「崇高なるハヤブサを嘗めているのか、お前!!」


 どうしても声を張り上げなければお互いの声も聞こえない状況。イドリスが一歩一歩と足を踏み締めて彼女に近づくと、彼女はイドリスの腕を掴み、グイッと引っ張ってくれた。そのまま彼女の固くて平らな胸元に収まる。

 音を立てて動くそれに気を取られていると、「クァァ!」とクァンに突かれた。


「晴れるぞ」

 至近距離で聞こえた彼女の声と共に、ドシンと大地が揺れる。砂嵐は晴れ、いつの間にか真上に登っていた太陽が視界に入った。煌めく白色の砂が舞っているのを眺めていると、砂ぼこりが晴れるのと共に、一人の体格がいい男が現れた。


 真白い髪をなびかせた男だ。浅黒い胸元が晒されていて、丸太のように太い腕が二本。いや、空中に第三の腕が浮かんでいた。目はギラギラと輝く琥珀のよう。よく見れば、腰には二人の幼子がくっ付いており、そんな三人組を前に腰をグイっと落とさせられた。

 真後ろにいたエバがイドリスごと跪いたのだ。エバはそのまま、首を垂れて固く結んだ両手を高く掲げた。人間が神に対してやる挨拶の一種だ。

 中でも奴隷がやるものに近く、イドリスは嫌な顔をしながらも両膝を付いたエバの隣で片膝をつく。

 ……エバからの「無礼者が」と言うような視線が痛い。


「イメイス、リャナイス。ご苦労であった」

 男は双子の頭を撫でながら、そう言った。双子はこくりと頷くと、しゅるりと身体を消してしまう。残ったのは男のみ。

 彼の瞳。それからイメイス、リャナイスと呼ばれた二人の“眷属”を見るに、かの男がエバの主である神──貪欲の神なのであろう。


「カシャ様、ご報告通り生かして捕らえました」

「よくやった、エバ。さて、お前は真なる針使いか?」


 顎に手をやった貪欲の神は、次の瞬間にはイドリスの目の前に迫っていた。それに驚いて、髪と同じ赤紫色の目を見開いた。貪欲の神はイドリスの周りを見て回ると不思議そうに呟く。

「針はどうした? 針がなければ糸は紡げぬだろう」

「ここに」


 なぜエバが針を折らせなかったのか、今更になって理解した。恐らく求めているのは針使いの首ではなく“能力”だったのだ。嫌なことに、予想通りケグリネに異常があったということなのだろう。

 ケグリネを作らせるか、直させるか、どちらにせよ都合の良いことで……と内心舌を出した。

 針はエバが隠し持っていたのか、六本全て出される。銀色の針は男の物。金色の針は女の物。針使いが最も大事にしているのは、命とも取れる針。それから糸を紡ぐときに使う歌声だった。

 イドリスが持っている針は全て金色の物だ。神であるからには針使いの事情もよく知っているのだろう。貪欲の神が首を傾げた。


「お前、男なのではないか?」

「……確認しますか」

 エバは何言っているんだ!? とイドリスは顔に驚愕を浮かべながらも、ツンと澄ました顔で「男だよ」と言った。

「……その口の利き方、おどれ、舌を抜いてやろうか!!」


 激高した様子のエバに、イドリスは渋い顔をした。先ほどは付け入る隙があるかもと思っていたが、こいつはとんでもない信者だったわけだ。こんなに神に入れ込んでいたら、逃がしてなどくれるわけない。

 さてどうしたものかと焦っているイドリスに、貪欲の神は本題を切り出した。


「男なら構わぬ。名を何という?」

「イドリスと」


 個人情報保護はあってないような物らしい。エバをぎろりと睨みつけたが、彼女に睨み返されて敢え無く視線を逸らす。そんな二人をそっと見つめていた貪欲の神はにやりと笑って言った。


「イドリス、お前に新しい王神のケグリネを作らせようじゃないか」


 新しい王神……? と首を傾げる。

 ケグリネとは、要するに身分を証明する物であり、通行手形ともいえる。それはイチイ・ニワトコ、トネリコ・マツという種類があり、例えば上位武官である貪欲の神のケグリネは、イチイの文様が彫られているのだ。

 細かい部分はまた所属する部署によって変わる。砂原には居ない生物で描かれるのが常だった。


 一般的に、ケグリネの譲渡は行われない。砂原に籍を置く神が最も大切にするべきものであって、裏を返せば新しいケグリネを作る必要は年々無くなっていた。だからこそ針使いは革命を起こそうとし、失敗して追われる身となった──というのが史実上の出来事である。


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