夕闇色のその後・完結編 追憶の章 運命(とき)の悪戯だから…

「今日だけ……今だけ許して……ね?」


 そう言いながらさりげなく、優しく腕を絡ませて来たまゆなと……寄り添い歩いた店までの道。


 そのまま嬉しそうな瞳で僕を見つめ、腕を絡め続けていた彼女だったが……店へ到着した『その時』には……言葉通りそれ以上のことは求めていない様子に、僕も少しホッとした。


 席に着き……眼前で話しているのは、8年ぶりに再会したまゆな。

 まゆなのそんな振る舞いのせいにするつもりはないものの……同時進行で、ゆなさんとの想い出を……

 否、ゆなさんへの『想い』と『後悔』を……僕は甦らせてしまっていたんだ。


 この胸の痛みは、いったい何……?



 そんな心の中の葛藤を押し殺しつつ、食事をしながら改めて始まったのは……その時点では『交渉』と呼ぶよりもまだ、まゆなとの……雑談?




「あのね……お母さんから聞いたんだ。もうすぐ赤ちゃん生まれるって」

「あぁ……そう、そうなんだ。それでその……」


 まゆなは明るく続ける。


「おめでとう! 先ずはお祝いの乾杯!」

「うん……ありがとう。かん……ぱい……」


 ぎこちなくも……とりあえずはお互い、大人の台詞を選べるようになっていた二人だったのだろうか。


 さゆりさんとは既に何年も一緒に暮らしていることも、伝えた。


 すると、いたずらっぽい笑みを浮かべながら……


「れいってばぁ……また年上の人! なんでしょ?」

「またって……なんでわかるの?」

「わかるよ……アハッ! また……そうなんですか……」


 と……それまでの笑顔を曇らせ、どこか伏目がちになるまゆな……。


 「年上の人」が……ゆなさんのことを示唆しているのは明白だった。



「まゆな……ごめんな」

「また……直ぐに謝るしぃ……フフッ! そんなトコも変わってないね!」

「だって、その………」


 そのまま茶化してくる彼女……


「今の奥さんが年上だと、なんか疚しいことでもあるんですか~? アハ!」

「いや……それは別に……」


 さゆりさんが年上なことは関係ないと、まゆなは判っている上で……ゆなさんのことをチラつかせたのだろうか?


 あの頃と変わっていない……「なんでもお見通しなのよ!」とでも言いたげな笑顔を僕に向けながら、続けるまゆな。


「もぉ~、れいってさ! あの頃のまんまだねぇ! 私が大人になった分さ、れい……なんかもう、すっごく可愛いよ! アハハ!」

「え? そ……それはその……」


 まさか……オトナになったまゆなから見た僕は、そんなにも幼く映ったのだろうか。


 僕自身が……18歳のあの頃からまったく成長していなかったとまでは思っていなかったが……目の前のまゆなが、あの頃のゆなさんと同じ25歳だとの自意識が……繰り返し僕に何かを自覚させた。


 それは……まゆなに対してなどでは決してなく……


 ゆなさんへの……贖罪だった。


 ゆなさん……


 あの頃の僕は本当に……


 取り返しのつかないことをしてしまいました……。






 そんなやり取り……以外の話題の詳細は、前述の如く伏せねばならないが……結局その夜は、どうしても決まらなかった件を残してしまい、夜半近くになってしまった。


 やむを得ず、近々また今度……となったのだったが……


「私んち、歩いてすぐだから……送ってもらえる?」

「あ……ああ、いいよ」


 8年ぶりの再会なのだから……否、何年ぶりだったかどうかは判断基準ではなくて……それくらいは受け止めてあげないと……なのだろう。


 『それくらい』程度を拒絶する権利なんか、僕には無かったのだから。





 店を出たら直ぐに……


「ウチに着くまでいいよね?」


 と……再度、腕を絡ませて来たまゆな。

 隙のない、僕には絶対に拒絶できないことを前提とした……目力に護られたような笑顔で……。


 そんなまゆなの笑顔が意味する通り……拒む権利など無かった僕が連行され、到着した小さな部屋は……池袋のあの部屋よりは、遥かに綺麗なアパートメントだった。



「上がって。お茶だけ……いいでしょ?」


 どうやら……帰したくないらしい。


 だが……そうだな。今夜決まらなかった部分を次回、話し合う日取りも決めないとだし。

 自分自身の行動に尤もらしい理由をつけて、まゆなの部屋へと上がり……紅茶を頂きながら、話す。



「次は、れいンちの近くまで行くよ」

「ん~? いやでもここからだとさ……遠回りして乗り換えなきゃだから悪いなぁ。中央線なら、ウチは中野が一番近いのかな?」

「じゃ、中野駅! 北口に、エスニック料理屋さんがあるの。そこで……」

「わかった。じゃあ来週の水曜日、中野の北口ね」


 予定さえ決まれば、もう彼女の部屋に長居する理由はない。


 しかし……まゆなは帰ろうとする僕の腕を掴み、どこか縋るような、そして迫るような瞳で……


「来週!!」

「え……?」

「か・な・ら・ず・よ……」

「あ……」

「いいわね……」


 8年前に彼女を傷つけてしまった罪悪感と……こんなにもオトナの女性へと成長したまゆなの美しさが僕を惑わせた。


 更に……彼女が掴んだ僕の腕への圧力と、真剣な瞳が……過去の過ちへの懺悔と翌週への回答を、同時に無言で強要する。



 

「あ……ああ。仕事が終わったら、連絡するから」

「本当に? 約束だからね」

「うん……必ず連絡するから」




「そ……。じゃあ……今夜は帰っていいよ」



 と……やっと腕を離してくれたまゆなだったが……


 帰って……いいよ……か……。


 この……物言い。

 彷彿とさせたのは8年前、最後にまゆなと会った時に言われた……


「ゆなさんトコに……戻っていいよ」


 当時の……本心を失ってしまっていた僕の愚かさを鑑みれば……まゆなを責められたものでは、なかったんだ。

 8年前も……そして、この夜も。


 いずれにせよ……相変わらず女の人には逆らえない僕の『性分』を……8年経とうが、まゆなは忘れていなかったのであろう。


 いつの間にか、完全に主導権を握ったかの如きまゆなからの……ご許可を……賜ったのか。

 少なくともその夜の僕は、そんなまゆなの……コントロール化だったのだろう。




 だが……




 その、約束の水曜日当日の夕方……






 事故は……起きたんだ。

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