一周年の記念日

「私たちが付き合い始めてから今日でちょうど一周年だね。素敵なお店に連れてってくれてありがとう。今、すっごく幸せだよ」

 若い女は笑顔を見せた後、仔犬の様に瞳を潤ませて対面に座る男の瞳を見つめていた。

「僕も同じ気持ちさ、凄く幸せだよ。家に帰ったら子作りに励もうね」

「もぉ、今は食事中だよぉ、それに結婚するのが先だよぉ」

「あはは、ごめんごめん」

 若い女は釣り人に釣り上げられたフグが足蹴にされた時の様に頬をぷっくと膨らませた。

「幸せだねぇ、好きぃ」

「僕も好きだよ」

 しばらくの間、時が止まったかの様に二人は見つめ合っていた。

 テーブルの上にある鍋の中は熱々で湯気がもくもくと立ち上っている。

 互いに軽く咳払いをした後、向かい合わせに座る二人は照れ隠しのつもりで囲んでいる鍋物をつつき始めた。

「やだ……嘘でしょ……これって……」

「どうかした?」

 若い女は咀嚼中そしゃくちゅうの口の中へ指を二本差し入れてもぞもぞと動かした。

 次第に眉間にしわが寄りはじめ嫌悪の表情を示した。

「髪の毛……」

「異物混入じゃん、クレーム入れるよ」

「違うの……」

「違うって何が?」

「お鍋の中に入ってたんじゃない……」

「どういう事?」

「カニの身の中に入ってたの……」

「え?」

「これ見て……」

 若い女は男へ向けて茹でられたカニの脚を手渡した。

 カニの脚を受け取った男は怪訝な表情でそれを見ていた。

「脚の身の中に髪の毛がたくさん埋まってる……」

「さっきから歯に何か細い糸の様な物が挟まるなって思ってたんだけど……」

「人間の髪の毛……?」

 若い女の表情に翳りが差し、やがて一気に顔が青ざめた。

「ごめん……ちょっと席外すね……」

 腹部を抑えてえずきながら席を立つ。

「大丈夫?」

 男は若い女の後ろ姿が見えなくなると、自分が先程まで食べていたカニの殻に目を向けた。

 じっと目を凝らすと、どのカニの殻にも細くて長い髪の毛が入っていた。

 二人は知らず知らずの内にカニの身と一緒に人間の髪の毛までも食していた事になる。

「うげっ……気持ち悪っ……」

 付き合って一周年を迎えた二人の食事会は、思いもよらない奇怪な形でお開きとなった。

 翌日、若い女は男の前から忽然と姿を消した。

 男は数ヶ月間、血眼ちまなこになって若い女を探したけれど、二度と見つかる事はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る