短編
ぎー
小さな祈り
夜に煌めく住宅街の中、白い吐息がゆらゆらと揺れて消えた。真っ赤なマフラーをきつく締め、男は少し早歩きで通りを進んでいく。
深夜2時42分。
就業時間は3時まで。3時ちょうどにはこの不思議な力も全て使えなくなってしまうと、仕事前の研修で聞いていた男は少し焦っていた。
自分が家族を持つなんて思ってもいなかった。適当に生きて、適当に1人で死ぬ。そんな人生を送ると思っていたし、己の過去を振り返ればそれがお似合いだと、男は本気で思っていた。1人の女性に出会うまでは。
安定した収入。2人で、もしくは増えるかもしれないけれど、不自由なく生きていけるだけの収入を得なければと、学歴も能力もない中で探してようやく見付けた仕事だ。なにやらファンタジーな力を使えたり、何故こんな事をするのかも教えて貰えないような、ともすれば怪しさ満点の仕事だけれど、今ここで失敗する訳にはいかない。と、男は今日のノルマを達成する為に、夜中の静かな住宅街に足音を響かせる。
仕事の内容は、寝静まる子供たちの枕元で、小さな祈りを捧げること。
真っ赤なマフラー以外は服装の指定もなく、23時から3時までのたった4時間だけの就業時間。誰にもバレず、証拠も残さず、はっきり言って不法侵入の類を行い、すやすやと寝息を立てる子供たちの枕元で15秒ほどの祈りを捧げる。
祈りの内容は「ほんの少しの幸せを」。
やってる事は犯罪で、何かを盗るわけでも破壊するわけでもないけれど、罪悪感がないわけではない。
それでもやるしかない、と男は今夜何度目かになるため息を吐いた。
キラキラと飾り付けされた家々が並ぶ、暗い暗い道に、白い息が生まれては消える。
真夏だったはずだ。職場の事務所で時間まで待機して、さぁ出勤だと外に出たら、息も凍るような寒さの、見覚えのない住宅街に放り出された。驚いて事務所の中を振り返ったら、魔法学校の校長でもやってそうな見た目の上司がしわくちゃの細い目を更に細くして無言で笑っているだけだった。
「何が起こっても、気付かず気にしない。」
入社するにあたって交わした約束はたったこれだけ。
だからこれも気にしない。気にしてはいけない。
当たり前に壁を通り抜けられる事も、侵入した家で大人とすれ違っても気にされない事も、祈りを捧げた直後に軽い目眩に襲われる事も、気にしてはダメなのだ。
猫がやたら足にすりついてきた時は、流石にバレるかとヒヤヒヤしたけれど。
と、男が今日一日を振り返り終えたところで、ちょうど目的の家に着いた。
今日一番の、煌びやかな装飾がされた大きな家。真っ白な壁に、これでもかとチカチカ光る飾り付けをしているものだから、光が増幅されて少し浮いてるんじゃなかろうかと思えるような家を見て、男は「ここまでいくと逆に汚く見えるな」と少しだけ眉間に皺を寄せた。
まぁいい。自分には関係の無いことだ。と、男は切り替えて、まるで中身を隠そうとしているぐらいに輝いている家の壁面に向かって手を伸ばす。
するり、と手が通り抜け、右足が家の中の床を踏み、やがて全身が入った。
早い時間の仕事ではまだ親が起きている事もあったけれど、バレないとはいえそれに二の足を踏んでいたせいでこんなギリギリの時間になっているのだけれど、流石にこの時間になると家全体が寝静まっているようだった。
音を立てても誰にも気付かれない事は知っているが、それでもそろりそろりと、やたら高価そうな物で溢れかえる廊下を忍足で進む。
子供がいる部屋は、直感で理解できる。なんで理解できるのかは、気にしてはいけない。
階段を登り、3つならんだ扉の内の1つを迷いなく開く。窓から入り込むチカチカが刺すように照らす部屋には何もなく、ただその真ん中で髪の長い少女が丸まって寝ていた。
男は気付かないふりをした。
オモチャどころか、家具もカーテンすらもない部屋にも。
真冬とも言える気温の中、自身の身体を暖めるようにぎゅっと丸くなり眠る少女の明らかな震えも。
ざっくばらに切られた長い髪や、ところどころ破れている衣服にも。
少女の目元のホクロを通る、涙の跡にも。
気付かないふりをした。
気にしてはいけないから。
後は15秒祈るだけ。それで男の今日の仕事は終わる。男はそっと少女の近くに腰を降ろし、祈りのために目を閉じた。
助けて、と声がした。
目を閉じていなければ気付けなかったような、小さな小さな声で少女はずっと、男がこの部屋に来る前から、眠りの中で呟き続けていた。
助けて、と。
男の手が伸び、そして止まる。
何も出来ない。してはいけない。気にしてはいけない。
明らかにおかしいこの部屋にも、少女の小さな悲鳴にも、気付いてはいけない。
間違えるな、と男は唇を噛み締めた。
自分の中に倫理観や正義感というものが残っていたことも驚きだが、なにより今まであるかどうかも分からなかったそんな感情を今振りかざすな、と。守るべきものを間違えるな、何のためにこの仕事をしてるんだ、と。家で待つ、この世で唯一の大切な女性の顔を思い出し、ぐっと息を飲んだ。
祈りを。
せめて、この子のために、ほんの少しの祈りを。
男は目を瞑り、今日初めて手を合わせ、強く強く、小さな祈りを捧げた。
「彼女の未来に、ほんの少しの幸せを」
男の初出勤初日。
深夜3時、丁度の事だった。
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さて、改めてこの物語の語り部を務めさせて頂いた私の自己紹介をさせて頂こう。
私の名前は……すまない、これは伝えることが出来ないのだ。代わりに通り名というか、肩書きとして、サンタクロース18号、という名前を持っているのでそれを伝えさせて頂こう。
我々、サンタ業界は……何年になるのだったかな。すまない、いつもは資料を見ながら話してるもので覚えていないのだが、確か1000年以上はある由緒正しい業界だというのは間違いない。
そして我が社はそのサンタ業界でも最古参で、ユニフォームである「赤い衣」はいまやサンタクロースのイメージにもなっている。時代に合わせてファッションにも気を使っているので、昔のように全身真っ赤ということは流石になく、今では赤色のアイテムを1つ身に付けるというところに落ち着いている。
……私としては、昔のように全身赤い衣装を身に付けた方が「これから仕事だ」と気合いが入ると思うのだが。昨今の新人が一晩に10件回るのもギリギリなのも、そういった緩いルールから来る気の緩みが原因だと私は思っている。大体、最近は宣伝効果を狙って他業界とのコラボも頻繁に行っているが、それも私としてはどうかと思っている。確かに我々の業界の源は、サンタクロースを信じて貰わなければなりたたないとはいえ、自分たちのブランドをあんなはした金で他者に使わせるなんて、昔であれば考えられないことだ。
……すまない、少し話が逸れた。
あまり「気にしない」でくれ。
とにもかくにも、この物語に関係する部分としては、我々は深刻な人手不足に悩んでいる、という事だ。
その為、新人を雇い、育成し、そして毎日毎晩、「過去」のクリスマスに時間移動しプレゼントを配っている。
そう、過去の、だ。
ずっと借金を、配り切れない人数差を、未来から前借りするという、一般社会の会社であればとうの昔に倒産を余儀なくされるような自転車操業で、我々サンタ業界は成り立っているのだ。
そんな我々に救えるものなど、何もない。
精々が小さな祈りを捧げ、不思議な力で子供たちに見合った「ほんの少しの幸せ」を、つまりはオモチャなどを生み出す程度。
今ではまるでクリスマスの象徴、幸せな時間の偶像のような扱いだが、実際に我々が与えてるものなど、ほんの少しだけ贅沢なオモチャでしかないのだ。
だから、彼が少女に向けた祈りにも、それ以上の力などない。奇跡の力で少女が救われハッピーエンド、になどなりはしない。
少女は誰にも救われず、大人になるまでの長い時間をあの何も無い部屋で過ごしたし、
男はその日の出勤を終え、自分の無力を愛する妻に涙ながらに口にする以外できなかった。
だから、これは奇跡でもなんでもない。
男の妻の目元に、少女と同じホクロがある事も。
男が何も知らず、その女性を伴侶として選んだことも。
その女性が、愚痴をこぼす男を、優しく、ほんの少し幸せそうな眼差しで見つめるのも。
奇跡でもなんでもないのだ。
短編 ぎー @gi-3333
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