第6話 七夕

入院して10日ほどが過ぎた。

身体はまだあちこちが痛むものの、歩行に支障が出ないぐらいには回復していた。

私の驚異的な回復力に医者たちは驚いていた。

当初、半年はかかるとみられていた入院期間も、あと1ヶ月ほどでクリアできそうだった。

食欲は旺盛で、病院食では物足りないからマホリが持ってくる見舞いのスイーツをむさぼり食べている。

「ちょっと食後の運動に散歩でもしようか」

私はマホリを伴って院内の散策に出かけた。

まだ外出は許可されてはおらず、病院の中を歩くことしかできなかった。

それでも、まだ歩くことで精一杯の私にとってはそれで十分だった。

病院は近代的な造りで、都心にあるわりにはその敷地はとても広大だった。

しばらく歩いて、休憩スペースに入った。

棚やラックには漫画や雑誌、新聞などが置かれている。

ふと気になって、私は新聞のバックナンバーを手に取った。

日付は6月の25日。それは、私が異神に敗れた翌日の朝刊だった。

「先輩、そんなの読まなくていいですよ。どうせ、ロクなこと書いてないんですから」

「うん、それもそうだね」

私は開きかけた新聞を閉じてマホリに渡した。

どうせロクなことは書いてない。本当にそのとおりだと思った。

自分が不快になる情報など、わざわざ取りに行く必要はないのだ。

入院してからというもの、新聞はおろかネットすらほとんど見てはいなかった。

患者同士の噂によれば、私が異神に敗れたニュースは速報として配信されたらしい。

駅前では号外が配られ、即日フリマサイトで高額に転売されたと聞いた。

要するに、涙と尿にまみれた私の顔は、もうとっくに世間一般に知れ渡っているということだった。

マホリも気を使ってか、そのことは一切口にはしなかった。

だから余計に、私についてはいい報道はされなかったんだなと思った。

ネットの書き込みも、きっと同じようなものだろう。

だから今の私に味方してくれるのは、ここにいるマホリと、あとはせいぜい長官たちぐらいだった。

べつにそれでいいと思った。

惜しまれながら引退するより、嫌われて辞めたほうが後腐れがなくていいから。

「ねぇ、あそこにいるの。美少女戦士とかやってる人じゃない?」

「あぁ、本当だ。アイドルなんだっけ?」

「YouTuberじゃなかった? セーラー服の変なやつ着てさ、なんかダサいよね」

入院患者の見舞い客だろうか、大学生ぐらいの女2人が私のことをネタにしゃべっている。

それは5メートルほど離れたところからギリギリ私に聞こえるような声だった。

「いい歳して何やってんだろうね。普通に働けばいいのに」

「一応、公務員なんでしょ? あんなのに税金使われるとかガチで無理だよね」

私はなるべく聞こえないふりをした。

挙動が不自然にならないようにテーブルの角をじっと見つめた。

けど、かえってそれが不自然かもと思えて少し緊張した。

なんで私がこんなこと言われなきゃいけないんだろう。

でも、あんな無様な負け方をした以上はどんな言葉も甘んじて受け入れるしかなかった。

「もう行こうか」

「うん、行こ」

2人の大学生は休憩スペースから退室した。

その際、大学生のひとりと目が合った。

その目を見た時、たとえ不自然でもずっとテーブルの角を見つめていればよかったと思った。

憐れみと蔑みを煮詰めたようなその視線は、まだ回復しない私の心を鋭く抉った。

あの大学生の目は、この20年、私が命をかけて護ってきた東京都民の今を代表する視線のように思われた。

すべての都民の私に対する今の気持ちが、あの目に収斂されているように思えた。

それでも私は、この街の人たちが大好きだった。

デビューからの20年、東京のために戦えたことは私の唯一の誇りだった。

気がつくと、マホリは私の手をぎゅっと握ってくれていた。

大学生の声は、当然マホリにも聞こえていた。

でもあえてその声を無視したマホリは、思いっきり関係のない話題を私に振った。

「先輩、今日は七夕なんですよ。短冊に願いごとを書いて笹に付けるんです。知ってました?」

「私も長く生きたからそのぐらいのことは知ってる。で、その笹と短冊はどこなの?」

「あそこです」

マホリが指を差したエントランスには世界樹のような大きな笹が鎮座していた。

そこは吹き抜けになっており、短冊と油性ペンの置かれた折りたたみ式のテーブルがいくつも並んでいた。

「マホリの願いごとはなんなの。シュークリームいっぱい食べたいとか?」

「そんな小学2年生みたいなこと書かないですよ。先輩こそ、何を願うんですか?」

「ん〜、そうねぇ」

私が腰に手をあてて願いごとを考えていると、パジャマの裾を誰かが引っ張った。

ふと見ると、小学生ぐらいの女の子だった。

その子も私と同じような花柄のパジャマを着ている。

つまり、ここの入院患者ということだ。

「どうしたの?」

私は願いごとを保留してその子に声をかけた。

その子は、短冊と油性ペンを私に渡そうとした。

どうやら手が不自由らしく、代わりに書いてほしいとのジェスチャーだった。

私はそれを受け取ると女の子の後ろにまわった。

「いっしょに書こっか」

女の子の背はちょうど私の腰ぐらいの高さで、私はその子の目線に合わせようと膝をまげた。

「君の願いごとを教えてくれる?」

コクリと頷いた女の子は、少し照れながらもハッキリと発音した。

「美少女戦士が帰ってきますように」

私は、油性ペンを持ったまま動けなくなってしまった。

入院期間中、身体は回復しても心はなかなか元には戻らなかった。

眠っていても、悪夢にうなされて起きてしまう。

真夜中の病室は私ひとりで、ベッドは寝汗で湿っている。

枕元のデジタル時計は深夜2時。目を閉じてやっと眠りに落ちても、悪夢は再び私を襲った。

異神に命乞いをする場面を、悪夢は何度も何度も繰り返し私に見せた。

執拗な悪夢に魘された私は、布団のシーツを輪っかにしてベランダに出た。

外は綺麗な満月だった。

私は脚立を使って物干し竿の竿受けにシーツの先端を結いつけた。

満月はちょうど輪っかの中心にあって私を見下ろしている。

少しためらって、私はその輪っかに首を入れた。

後は脚立を蹴れば楽になれる。

でも、出来なかった。

どうしても死ぬのが怖かった。

いつも偉そうなことばかり言っている私は、いざ死を目の前にすると怖気づいて何もできなかった。

私は異神にそうしたように、月に命乞いをした。

「たすけてください。許してください」

私は輪っかから首を外して立ちすくんだ。

死ぬこともできなければ、生きることもできなかった。

病室に戻りたかったけど、それもできそうになかった。

なぜなら悪夢は、私が眠るのを待っているから。

病室の隅で、闇に身を潜めながら私が眠るのをじっと待っている。

だから私は眠らずにそのまま朝を迎えた。

そうすれば、シュークリームを持ったマホリが、またお見舞いに来てくれると信じたから。

もしマホリがいなかったら、この子は今ごろ異神に殺されていただろう。

この子だけじゃない。この街に住む人たちは、きっと皆殺しにされていたに違いない。

それでも私は、その護らなければならない命より、どうでもいい自分の命を優先した。

「たすけてください。許してください」と、異神に命乞いをしたのだ。

そんな私が、美少女戦士を続けることなどあっていいはずがない。

今の私では、この子の願いは叶えられない。

「いっしょに書きましょうか」

マホリが私と女の子の手を取って油性ペンを握った。

そして、ピンク色の短冊に願いごとを書き込んだ。

「これでよし。よかったね、これで美少女戦士は必ず帰ってくるからね。ね、先輩」

「ん? うん、そうね。だといいよね」

ペコリと頭を下げた女の子は、少し廊下を走ってから思い出したように振り返った。

そして、私に向かって照れくさそうに言った。

「いつも応援してます。がんばってください」

私は複雑な気持ちになりながらも、できるかぎりの笑顔でその子に手を振った。

「ありがとね。君もがんばって」

もう辞めようと思っている時にかぎって、なぜ人はがんばってと言うんだろう。

戦わなきゃいけない時に何もできず、命乞いをして涙に濡れた私に、これ以上何ができるだろうか。

気がつくと、私は両膝の上に手を置いて今にも倒れそうになっていた。

「先輩、大丈夫ですか?」

「ありがとう、大丈夫だから。マホリはなんて書いたの?」

「わたしの願いごとはこれです」

マホリが広げた短冊には『また先輩といっしょに戦えますように』と、キレイな楷書で書いてあった。

「じゃあ、先輩も何か書いてください。はい、短冊」

「うん、ありがと」

少し考えた私は、一言書いて油性ペンを置いた。

そして、マホリと女の子の短冊も笹に結んで病室に戻った。

願いごとは『生きる』だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る