第5話 魔法

知らない天井だった。

「あれ? ここ、どこだろ」

起き上がろうにも全身が痛くて微動だにできない。

とりあえず、眼球だけを動かして周りを見てみる。

四方にはクリーム色のカーテンが張り巡らされており、右手には点滴の袋とそのチューブがあった。

どうやら、私は病院のベッドにいるらしかった。

なぜ、こんなところにいるのだろうか。

少しぼんやりとする頭で記憶を辿ってみる。

たしか、国立競技場で異神と戦闘になって空中に連れ去られた。

そこで失禁して、地上に叩きつけられたのだった。

「私、負けたんだ」

不思議と、辛いとか悔しいとかの感情はなかった。

洗濯物干しっぱなしだけど大丈夫かなとか、冷蔵庫にいちごが入ってるから早く食べなきゃとか、そんな日常の些細なことばかりが脳裏をよぎった。

どちらかと言えば、異神に負けたという現実は私に悔しさよりも安堵を与えた。

正直ホッとしたというのが、今の偽らざる私の気持ちだった。

これだけの大怪我を負ったのだから、もうこれ以上戦わなくてもいいと思った。

緊張しっぱなしの20年から、やっと解放される時が来たんだ。

そんな物思いにふけっているとノックの音が聞こえた。

ガチャッ、とドアが開いて誰かが入って来る。

そして、左手のカーテンがゆっくりと開けられた。

「あ、先輩。気がついたんですね」

それは、セーラー服を着たひとりの女子高生だった。

私は霞み目の焦点を合わせてその人物の顔を凝視した。

マホリだった。

なぜだろう。急に熱いものが込み上げて、私はとっさに平静を装おうとした。

でもダメだった。

マホリの顔を見たとたん、私は泣き出してしまった。

「マホリ、ごめんね……私、本当は弱いのに、強がってばかりで。本当にごめん」

私は体中の痛みで涙を拭うこともできず、ただ天井を見つめて慟哭した。

「私、命乞いしたんだよ。異神に殺されそうになった時、たすけてください、許してくださいって。私、泣きながら命乞いしたんだ。私が死んだらみんな殺されちゃうのに、私は自分の命を優先してしまった。美少女戦士なら、私はどうなってもかまわない、その代わりにみんなをたすけてって言わなきゃいけないのに。いつも偉そうなことばかり言ってるくせに、私、本当は弱いんだよ。マホリ、ごめんね。私、生きててごめん」

それは、私というひとりの存在が身体を震わせながら涙を流して吐いた、ただの言葉だった。

そこに、何かを伝えたいとか、何かをわかってもらおうとか、ましてや何かを許してほしいとかの打算は一切なかった。

私が泣いている。ただ、それだけのことだった。

そんな私の首すじに、マホリは手を入れてそっと抱きしめた。

そして、やっと私が泣きやんだころ、マホリは耳もとでささやいた。

「先輩、大丈夫ですから。わたしがついてますから」

私は痛みに抗いながら、できるだけ強くマホリの手を握った。

「ありがとね」

マホリの体温はとても暖かく、まるで魔法のように私を癒やした。

そして少し落ち着いたあと、マホリは私が眠っている間の出来事をかいつまんで教えてくれた。

私が昏倒していたのは5日ほどで、病院に搬送された時には生死の境をさまようほどの重体だったらしい。

私の落ちた場所がたまたま屋根の上だったからよかったものの、もしそれ以外の場所に落下していたら即死だっただろうとのことだった。

「それで、あの女コウモリはどうなったの?」

「わたし、先輩が殺されたと思って頭に来ちゃって、ボコボコにやっつけてやりました」

そう言うと、マホリはタブレットを取り出してYouTubeを開いた。

再生された動画は凄惨極まるもので、ボコボコにやっつけてやりましたなどというポップなものでは到底なかった。

それは、キレたマホリが一方的に女コウモリを惨殺する大虐殺ショーと化していた。

私の落下に気付いたマホリは、屋根を蹴って跳躍すると異神の後頭部に延髄斬りを一撃、バランスを崩した女コウモリを羽交い締めにして国立競技場の観客席に墜落した。

落下の勢いを失った私はそのまま屋根に激突、マホリは逃げる異神を追撃してトドメを刺しに行く。

絶叫しながらのたうち回る女コウモリに、容赦なく鉄拳をふるう鬼のマホリ。

そのコスチュームは、いつしか返り血でずぶ濡れになっていた。

そして、とっくに絶命した女コウモリを見て我に返ったマホリは、私のもとへ駆け寄るとすかさず心臓マッサージを開始。

規則正しく30回ほど行うと、今度は顎を上げて気道を確保、鼻をつまんで2回の人工呼吸を行った。

それを交互に繰り返しているうちに救護班が到着、ズタボロの私は担架で運ばれて行った。

今、こうして私が生きていられるのは、どう考えてもマホリのおかげだった。

「わたし、先輩に生き返ってほしくて必死に人工呼吸をやったんです。ひ、ひ、ふぅーって」

「うん、本当にありがとう。私がこうして生きていられるのも君のおかげだよ。でもねマホリ、それ人工呼吸じゃなくてラマーズ法や」

「あ、そうだ先輩。わたしシュークリーム買ってきたんです。でも、まだ食べられないですよね」

「いや、ぜんぜん食べられるよ。おなか減って気持ちわるいもん」

「ん〜、でもやっぱり看護師さんとかの許可が降りてからじゃないとダメかもしれないですね。実はこの部屋、今面会謝絶中なんなですよ」

「え、じゃあどうやって入ってきたの?」

「いや、ふつうにドアを開けてですけど。『面会謝絶』って、札がかかってるだけですから」

「まぁ、私がこれだけ満身創痍だとしょうがないね」

「じゃあ、今日もこれ持って帰ります。では、また明日」

「今日もってことは、いつも来てくれてたの?」

「シュークリーム食べすぎて5日で2キロ太りました」

そう言うと、マホリはシュークリームとスクールバッグを持って出て行った。

「スイーツ代は請求しますからね」

という言葉を残して。

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