第4話 惨敗

土曜の午後7時20分。

異神迎撃のため、私とマホリは国立競技場の屋根にいた。

「やっぱりトイレ行っとけばよかったかな……漏れそう」

年々厚くなるメイクに手間取ってトイレに行く暇がなかった。

早く老化を止めないと残りの人生のほとんどを化粧の時間に奪われかねない。

にしても、最近の自分の不甲斐なさには涙が出てくる。

すでにネットの一部では私を応援することがダサいみたいな感じになっていると聞いた。

そろそろいいところを見せないと美少女戦士としての私の立場がかなり危うい。

そんなことを考えていたら、サキの声が場内アナウンスとなって国立競技場に響いた。

『こちら中野基地。ドコモタワー上空に異神反応あり。種別【妖】。10分後に異界ゲートレベル〘4〙開きます』

「了解。いつでも準備はできてる」

私は大きく深呼吸をした。

これは極度のあがり性である私の、ささやかな習慣だった。

「さっきも言ったけど、今日はそこにいるだけにしてね。私に何があっても手出しは無用。わかった?」

「わかりました。先輩に何があってもサポートはしません。ただ……」

「ただ?」

「もし先輩が負けたら、その時はわたしが引き継ぎますから」

「私が負ける? ありえないわね。このハイパー美少女戦士の私が負けるなんて」

「でも先輩、この間だってわたしがいなかったら……」

「あのねマホリ、私はまだぜんぜん1人で戦えるの。それでもいつかは来るであろう引退を見すえて、今日は特別に、まだティアラを付けることさえ許されない新人のあなたに見学の許可を与えたの。それをなに? 私が負けたらとか、そういうあり得ないことを言うんじゃないの。だいたいね、こういう時は感謝しなきゃダメ。こんなに近くで絶対無敵の美少女戦士である私の活躍を見て勉強ができるんだから。わかった?」

「わかりました」

「うん、それでいい。素直なとこ、あるじゃないの」

そして、ドコモタワーの大時計が7時30分を打った。

一斉に飛び立つ中継用のドローン。

同時に、澄み渡った夏の夜空から一個の落雷が避雷針に突き刺さった。

停滞する雷光から現れたのは、ゴシックを纏ったひとりの女だった。

「おー、これが地球か。思ったより都会じゃん」

小鬼のようなツノを生やし、背中にはコウモリの羽根が剥き出しになっている。

髪はツインテールの紫色、肌は死体のように真っ白だった。

「あの異神、人の言葉を話すんですね。雰囲気も独特だし、今までの敵とは明らかに違う」

「異神種別が【妖】になると人語を解すようになる。奴らは総じて知能も戦闘力も高い。要するにめんどくさいってわけ」

「おーい、そこのおばさん。めんどくさいってなに? 初対面なのに失礼でしょ」

「ね、めんどくさいでしょ。私言ったよね」

「あ、まためんどくさいって言った。聞こえてるぞ。今そっちいくから待ってろ、この厚化粧のくそババア」

「最近の異神はなんだ、美少女戦士に向かって厚化粧とかくそババアとか。お前こそ、その服ぜんぜん似合ってないぞ」

「完全にキレた。穏便に殺してやろうと思ったけどもうやめた。公衆の面前で恥かかして死刑にしてやる」

「やれるもんならやってみろ。この私がお前みたいな小娘のちょび髭に負けるわけないだろ」

「あー、ちょび髭って言った。ちょび髭なんて生えてないのにちょび髭って言ったな。もう完全にぶちギレた。ババアぶっ殺してやる」

「さっきから死刑だのぶっ殺すだの威勢のいいことばっかり。出来もしないくせに」

私が腰に両手を置いて「やれやれ」と言った瞬間だった。

「隙あり」

「え?」

ドコモタワーの尖塔にいた異神は、国立競技場までの1.4㎞を秒で移動した。

あっという間に背後を取られた私は両脇から通された異神の足で後頭部をロックされた。

「な!?」

逆さまになった異神は、その猛禽のような鉤爪で私の両足首を掴んだ。

そして、一気に空高く舞い上がった。

「ちょっ……離しなさいよ、こらっ!」

すでに1000mぐらいは来ているだろうか、逆さまになった私は磔にされたように身動きひとつ取れなかった。

「ちょっと、嘘でしょ。やめなさいよ。ねぇ、ちょっと」

「自由に動けないでしょ。ほ〜ら、いちに、いちに」

「あ、あんっ! もう何してんのよ! そんなに股を閉じたり開いたりしたら漏れちゃうでしょ」

「気持ちわる。なに感じてんの、この欲求不満のコスプレおばさん」

「欲求不満で悪かったわね。下に降りたらボコボコにしてやるから覚悟しなさいよ」

強がってはみたものの、再び地上に降りられる保障なんてどこにもなかった。

この状態を早くなんとかしないと、このままでは殺されてしまう。いや、その前に漏れてしまう。

「ねぇ怖い? ここからパイルドライバーされたらおばさんも即死だね」

この高度でパイルドライバー? 想像しただけでゾッとした。

こんなところから落とされたらさすがの私もタダではすまない。

だけどロックを外そうにも異神の力が強すぎてびくともしない。困った。

「くそっ、こんな小娘に手も足も出ないだなんて。どうしよう……あ、そうだ」

私は態度を変えて下手に出ることにした。

ここなら中継用のドローンもいないし、たとえ命乞いをしても最終的にこの女コウモリを倒せば私のプライドが傷つくこともない。

とにかく、この絶体絶命のピンチを乗り切らなければ私の美少女戦士としてのキャリアが終わってしまう。

「ねぇ異神ちゃん、さっきはごめん。私も言いすぎた。だからお願い、もう許して。ね?」

「あ〜ん? このおばさん、さんざん人のこと馬鹿にしたくせに、自分が負けそうになると懇願して許しを乞うんだ? そうやって相手を油断させておいて不意打ちするつもりなんでしょ。あんたにはプライドってもんがないのか、このビチョビチョ食い込みパンツが」

くっ……図星だった。たしかに、今の私は女コウモリに奇襲されたせいでレオタードが食い込んで少し濡れて……じゃなかった。

たしかに、過去の異神との戦いでは誰も見てないところで命乞いをして油断した相手を抹殺したこともないではない。

しかしそうは言っても、基本的に私が正々堂々と戦ってこの街を護ってきた正義の美少女戦士であることに変わりはないはずだ。

って、今は自分のプライドを保つための言い訳を自分に言い聞かせてる場合じゃなかった。

この私史上最大とも言うべき大ピンチを早急になんとかしなければ。

「あの異神さん、お願いですから許してください。私はか弱い美少女戦士なのです。今までの非礼は謝りますから、命だけは助けてください。お願いします」

私は精いっぱいの猫なで声で異神に懇願した。

もう美少女戦士のプライドとかそんな悠長なことを言っている場合ではない。早くしないと漏れてしまう。

「アッヒヒヒヒッ。おもしろ、何このおばさん。敵に命乞いまでして助かりたいんだ? どうしよっかなぁー……うん、よし。じゃあ助けてあげる。おばさんの美少女戦士としてのプライドを投げ捨てたその熱意に免じてチャンスをあげよう。もう一度、地上に降りて正々堂々と戦おう」

やった。助かった。

地上に降りればこっちのもんだ。

さっさとこの小娘をぶちのめしてトイレ行こ。

それからシャワーを浴びてこの火照った身体を……

「て、言うとおもった? ざんねんでした。おばさんの命乞いは却下されました」

羽根をバタつかせた異神はさらに高度を上げた。

「え、ちょっと。話がちがうじゃん。泣けてくるんだけど」

まずい。異神の精神攻撃と迫りくる尿意とでいよいよ私のメンタルにも余裕がなくなってきた。

そんな私をよそに、異神はまたさらに高く昇った。

「高度5000m。どうおばさん、なかなかいい眺めでしょ」

絶望的な高さだった。

酸素濃度も薄く、かなり息苦しい。

「くっ、マズいぞ。このままじゃ私、負けちゃうかも」

この私が負ける? そんなのありえなかった。

でも現実の私は、この女コウモリに何もできないまま、一方的に殺されようとしている。

20年もの間築き上げた私の無敗神話が、こんな小娘に簡単に崩されようとしていた。

「負けちゃう? なに言ってんの。おばさんもうとっくに負けてるでしょ。ほら、どうした? 悔しいか。ほらほら、抵抗してみろ」

「あっ、だめ! そんなに動かさないで。漏れちゃうから」

「さっきから漏れちゃうとかうるさいなぁ。そんなに漏れそうなら、漏らしちゃいな、よッ!!!」

女コウモリは鉄扉をこじ開けるように私の両足を思いっきり開脚した。

私は扇子のように開閉を繰り返されながら喘いでしまった。

さすがに正義のヒロインとしてあるまじき失態だった。

「アッヒヒヒヒッ、みっともない顔。あれ、なんだこれ?」

「あ、それダメ。そこ押さないで」

異神は私のブーツの内側にあるボタンに気づいてしまった。

この体勢でモーターが駆動すると逆噴射になって落下に勢いがついてしまう。

今まで戦闘で役に立っていたものが今度は私の命取りになりかねない。

「なにかボタンがあるぞ」

「マジでやめて、そのボタンは押さないで」

必死に抵抗を試みようとする私。

その両足首を持ったまま、異神は拍子木のようにブーツの踵を叩いた。

「あー、ダメ!」

モーターが駆動して青白い粒子が辺りを包む。

「すごーい。なにこれ、おばさんの必殺技? こっちのパイルドライバーと合わせれば威力数倍だね」

「やめて、そんなことしたら死んじゃうよ。私、本当に死んじゃうから」

この女コウモリ、ガチで私を殺る気だ。

わかってはいたけど、現実に死を突きつけられた私の心臓は早鐘を打った。

死への恐怖と急激な高度の上昇で吐きそうだ。

「高度8000m。さて、そろそろ飽きてきたことだし、このババアを始末して人間どもを根絶やしにするか。と、その前にッ!!!」

またしても、女コウモリは私の局部を強引にこじ開けた。

欲求不満が溜まりに溜まっていた私は思いっきり感じてしまった。

「あぁっ……お願い、もうやめて。もうギブアップ。これ以上やられたら、本当に漏れちゃう。私、美少女戦士として、生きていけなくなっちゃうよ」

私はさっきの演技とはちがう本気の懇願をした。

20年のキャリアの中で、異神相手にこんな醜態を晒したのは初めてのことだった。

「あんなに偉そうなこと言ってたくせにもうぴえんするんだ? こんな淫乱ババアに同朋たちが殺されたのかと思うとやるせないな」

さらに握力を強めた女コウモリは私の足を前後左右に動かし始めた。

その度にコスチュームが股間に擦過して身体に力が入らない。

なんとか抵抗を試みるも、異神の力が強すぎてどうにもならなかった。

そしてついに、尿意と快楽の限界がやってきた。

「アッヒヒヒヒッ。なんてブサイクな顔。あれ、なんか臭うぞ。おばさん、もしかして、漏らしちゃった?」

私は恥ずかしくて赤面した。

尿意のビッグウェーブは、美少女戦士という私の自尊心の防壁を突破して絶頂に辿り着いてしまった。

戦意を喪失した私は、痙攣しながら大粒の涙を流して嗚咽した。

「うぅ……嘘だ…………負けちゃうよぉ……絶対無敵の……美少女戦士の…………この……私が…………負け……ちゃう…………」

脱力した私は、女コウモリを侮って油断したこと、異神との戦闘の前にトイレに行かなかったことを後悔した。

でも、もう遅かった。

すでに、今の私に勝ち目はなかった。

唯一の救いは、ここにドローンがいないことだった。

こんな無様な姿を中継でもされたら、今まで美少女戦士として積み上げて来たものが一気に瓦解してしまう。

幸い、ここには異神と私しかいない。

私の命乞いや失禁の証拠は、どこにも残されてはいないはずだった。

「ねぇおばさん。あたしさっき公衆の面前で恥かかすって言ったよね? これ、なんだかわかる?」

絶頂に達したばかりの私は、朦朧とする意識で女コウモリの背後を見た。

そこには、レンズをこっちに向けた機体が浮遊していた。

それは、ここにはいないはずのドローンだった。

「嫌……撮らないで…………こんな姿……お願いだから…………撮らないでよ……あぁ……そんなぁ…………もう一回……もう一回やらせて…………くそっ……お……お願い……もう一回だけ…………美少女戦士の……この私が…………無敵の私が……こんなはずじゃ…………あぁ……誰か…………たすけて……」

悔しくて涙が止まらなかった。

さっきマホリに「今日はそこにいるだけでいい」なんてカッコつけて言った自分が馬鹿みたいだった。

今の私は、ひとりで戦えるほど強くはなかった。

約20年、たったひとりで戦った無敗の軌跡は、私に傲慢という名の自尊心を植えつけた。

そのプライドは、私の後継者になるはずのマホリを遠ざけた。

そして孤立した私は、小娘の異神に手も足も出ないまま、敗れ去ろうとしている。

「く、くやしい、くやしいよぉ。こんなにがんばってきたのに、こんな最後だなんて」

逆さまに流れる涙と尿で、私の顔はぐちゃぐちゃだった。

入念に施したメイクも、きっと落ちている。

今の私は、絶対無敵の美少女戦士ではなく、単なる中年のコスプレおばさんだった。

「アッヒヒヒヒッ。そんなに悔しいんだ。じゃあ、おばさんに最後のチャンスをあげるよ。人間どもの命と引き換えにおばさんの命を助けてあげる。どうする? もう一度命乞いしてみる?」

旋回するドローンは、ゆっくりと私の前で停止した。

逆さまになって夜空に吊るされた私は、涙を拭うこともできずにドローンのレンズを見つめた。

その向こうには、応援してくれているたくさんのファンがいるはずだった。

そんなファンの前で、私は一方的に犯されて失禁した。

それでも、まだ死にたくないと思った。

ただ、死ぬのが怖かった。

今は、それしか考えられなかった。

涙で言葉に詰まりながら、私は自分の命を優先するほうを選んだ。

「ごめんなさい……もう戦えません…………だからお願いします……もう美少女戦士ではなくなった私を…………どうか……殺さないでください」

しかし、ニチャニチャと嗤った異神は、その願いをあっさりと断ち切った。

「アッヒヒヒヒッ、ダメ。あんたが今まで葬ってきた同朋たちは容赦なく殺されてきた。なのに、今度は自分がその立場になったら命乞いをするのか。美少女戦士とやらは随分と身勝手なんだな。あたしはお前みたいなクズが一番嫌いなんだ」

異神は再び私のブーツのボタンを押した。

「アッヒヒヒヒッ。じゃあね、コスプレのおばさん。脳みそぶちまけて、逝ってしまえ」

溢れ出る光の粒子は、花火のように私を包んで夜を照らした。

そして、死刑は執行された。

「死ね。必殺ッ……パイル、ドライバァァァァァァアーーーーーーーッッッッッ!!!!!」

「いぃぃい、嫌ぁあぁあぁあぁあぁあぁぁぁぁーーーーーーーっっっっっ…………!!!!!」

恥辱にまみれた私は、真っ逆さまに地上へと落下した。

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