第3話:意思疎通の兆し


剣を下ろし、俺はじっとファントムウルフを見つめていた。その瞬間、何かが頭の中に響いたような気がした。それは、ただの音や声ではない。もっと曖昧で、不明瞭な感覚が俺の意識をかすめていく。


「……なんだ?」


まるで遠くから誰かが語りかけてくるかのような、そんな奇妙な気配だ。俺は警戒心を解かないまま、その感覚を掴もうとする。しかし、明確な形を持たず、掴みどころのない何かだ。ただ、確かに「そこにある」ことだけはわかる。


狼は依然として動かない。赤い瞳を俺に向け、何かを伝えようとするかのような視線を投げかけている。その眼差しの奥に、確かに知性を感じた。ただのモンスターとは違う……その感覚が、徐々に俺の中で強まっていく。


「……お前は……」


思わず言葉が漏れた。目の前に立つこの黒い狼、ファントムウルフはただの敵ではないという確信が、心のどこかで芽生えつつある。これまでのモンスターたちとは違う。彼の持つ威圧感や凶暴性は、ただの野生の衝動によるものではない。そこに意図が感じられる。


「……お前は、俺に何かを伝えたいのか?」


言葉を発しながら、俺自身が信じられなかった。モンスターに語りかけている自分を客観的に見つめつつも、この状況は異常だと感じていた。だが、ファントムウルフは答えない。ただ、じっと俺を見つめ続けている。その瞳には、敵意も攻撃の意図もない。


そのとき、またしても頭の中に何かが響いた。


「……争う必要が……ない……」


今度は言葉に近い感覚だった。かすかに、だが確実に、その断片的な言葉が俺の意識に届いた。


「何だ……?」


俺は辺りを見回すが、ダンジョンの奥深く、俺とファントムウルフ以外に誰もいない。静寂が支配する空間で、確かに今、何かが俺に語りかけてきたのだ。しかし、それが何なのか、俺にはまだ分からない。


「お前か……?」


問いかけても、ファントムウルフは動かない。だが、その瞳の奥に、何かを訴えるような光が宿っているのを感じる。まるで、こちらの問いかけに反応しているかのように。


「まさか……お前が……」


頭の中で再び何かが響いた。「……争う意味が……無い……」断片的ではあるが、明確な意思が伝わってくる。


「お前……」


俺は剣を握り締め、もう一歩ファントムウルフに近づいた。だが、彼は一歩も引かない。ただ静かに俺を見つめ続けている。


この状況は、これまでのどんな戦いとも異なっていた。これまで出会ったモンスターは、ただ本能に従い、俺を襲ってきた。それに対して俺は、力を持って応える。それがいつもの戦いだった。


だが、この狼は違う。攻撃しようとしないだけでなく、何かを伝えようとしている。そしてその意図が、次第に俺にも感じられ始めていた。


「本当に……戦うつもりがないってことか?」


ファントムウルフは答えない。だが、その静かな視線は、まるで「その通りだ」と言っているかのように感じられた。


「……」


俺は剣を下ろし、しばらくその場で狼を見つめた。もし、この狼が本当に敵ではないのだとしたら——俺はどうすればいいのか?


「お前は……俺に何を伝えたいんだ?」


再び問いかける。だが、返答はやはり無い。ただ、静かにこちらを見つめ続けるその赤い瞳には、言葉ではない何かが宿っていた。頭の中に響いていた声と、その瞳の奥にある意志が繋がっているような気がしてならなかった。


「本当に……争う必要がないと言いたいのか?」


俺は再び言葉を発するが、彼は何も反応しない。ただ、その視線に変わらぬ意志が宿っているだけだった。だが、その沈黙がかえって確かな答えのように思えた。


「お前は……ただのモンスターじゃない……」


そう呟いた瞬間、俺の中で何かが変わり始めた。この狼は敵じゃないかもしれない。もしかすると……仲間にさえなり得るのかもしれない。だが、それが本当に正しいのかどうか、俺にはまだ分からなかった。


「もし……お前が本当に争う気がないのなら……」


俺は剣を完全に収め、ファントムウルフに向き直った。彼は動かない。ただ、その瞳で俺を見つめている。


「どうすれば、お前の意図を理解できる?」


問いかけるが、やはり返答はない。しかし、頭の中に響いていた断片的な声が、再び俺に語りかけてくるような感覚があった。それはまだ完全な言葉ではないが、何かが確実に俺とこの狼の間に存在していることを感じさせた。


「お前……名前はあるのか?」


思わずそう問いかけてしまった。だが、返答はない。静寂の中、ファントムウルフの赤い瞳だけが暗闇に浮かんでいる。


次第に俺の中で、彼が敵ではないという確信が強まっていく。この狼は、ただのモンスターではない。知性を持ち、何かを伝えようとしている存在だ。


「名前……ないのか?」


ふと、頭の中に再び言葉が浮かんだ。


「……まだ……ない……」


今度は少しはっきりとした声だった。俺は驚いて狼を見つめたが、彼はやはり動かない。だが、間違いなく俺に語りかけている。


「お前は……本当に……」


俺の言葉に応えるように、ファントムウルフはわずかに首を傾げた。その動きに、再び何かが頭の中に響く。


「……必要……ない……」


「争う必要がない、ってことか?」


俺はその言葉を繰り返した。頭の中に響いた声に確信はないが、その意味がようやく少しだけ見えてきた気がする。


「分かった。なら……俺は剣を収める」


俺はゆっくりと腰の剣を収め、完全に無防備な状態になる。もし、この狼が本当に敵ならば、今が攻撃の好機だ。だが、彼は動かない。依然として、ただ静かにこちらを見つめている。


「これで……お前の意図を信じてもいいんだな?」


俺はそう問いかけるが、返答はない。ただ、ファントムウルフの静かな瞳が俺に何かを語りかけてくる。それはまだ断片的で、完全な言葉にはなっていない。だが、確かな意思がそこにあることを、俺は感じていた。


「……まだ……完全には……」


頭の中で再び響いた言葉は、曖昧で途切れ途切れだった。だが、それが何かを伝えようとしていることは確かだ。


「お前は……俺に何かを伝えたいのか?」


再び問いかけるが、ファントムウルフは答えない。しかし、その瞳の奥に宿る光が、次第に明るさを増していくのを感じた。


これが敵ではないなら、いったい何者なのか?そして、なぜ俺に語りかけてくるのか?まだ答えは見えないが、確かにこの存在は何かを伝えようとしている。


俺はその声に耳を傾け、彼との対話を続けようと決意した。


「もう少し、待ってみるか……」


俺は彼との間に感じ始めた不思議な繋がりを感じながら、次の言葉を待った。



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第2章完結まで1日2話ずつ更新となります。


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