第2章:幻影の狼との出会い

第1話:謎の狼との遭遇

ダンジョンの深部に足を踏み入れるたび、空気は重く冷たくなっていく。周囲は湿気を帯び、薄暗い洞窟の壁がぼんやりと光る。その冷たい空気が肌を刺すようで、息を吸い込むたびに胸が圧迫されるような感覚が広がった。しかし、俺はそんなことに構っていられる余裕などなかった。


「ここまで来たか……」


口元から漏れた独り言が洞窟の静寂に吸い込まれていく。この場所は、どんな冒険者でも恐れおののく「地獄」とも呼ばれる領域。だが、俺にとってそれは、挑戦すべき次のステージに過ぎない。誰もが逃げ出すような場所こそ、俺にとっては力を証明する絶好の舞台だ。


数々のモンスターを倒し、数えきれない戦いを繰り返してきた。だが、ここまで来ると、体に蓄積された疲労がじわじわと効いてくる。足元には無数のモンスターの亡骸が散らばり、その異様な光景は、これまでの戦いの激しさを物語っている。だが、俺はその一つ一つに興味を持つことなく、ただ前へと進む。


――そして、その時だった。


「……なんだ?」


視界の端に、黒い影がちらついた。瞬間、全身の感覚が鋭敏になり、危険を察知する。これまでとはまったく違う、異質な存在感があった。思わず立ち止まり、静かに周囲を見渡す。暗闇が支配するこの場所で、何が潜んでいてもおかしくはない。俺は警戒心を一気に高めた。


次の瞬間、目の前の暗がりから黒い狼が現れた。いや、単なる狼ではない。その姿は異常に大きく、漆黒の毛皮に覆われたその体躯は、まるで闇そのものが具現化したかのようだった。目は血のように赤く輝き、俺を見据えている。その瞳には、ただのモンスターにはない、明らかに知性的な光が宿っていた。


「こいつ……」


狼――いや、ファントムウルフ、とでも呼ぶべきか。そいつの存在感は圧倒的で、俺はその瞬間に直感的に理解した。これまでの敵とは違う。普通のモンスターなら、力ずくで打ち倒せばそれで終わりだ。しかし、この黒い狼は、それだけでは片付けられないものを持っている。


俺はすぐに剣を構え、加速スキルを発動させようと意識を集中した。


「加速!」


俺のスキル「加速の支配者(アクセレレーター)」は、時間そのものを操作し、俺の動きを異常な速度にまで引き上げる。相手がどれだけ素早くても、このスキルさえあれば、敵の攻撃を回避し、反撃を繰り出すことができる。それがこれまでの戦いで証明されてきたし、誰も俺に追いつけるはずがない。


だが――。


「消えた……?」


一瞬の隙をついて先手を打とうとしたその瞬間、目の前のファントムウルフが、まるで霧のように姿を消した。加速した時間の中でさえ、狼の動きを捉えることができなかったのだ。


「馬鹿な……!」


心の中で焦りが膨らんでいく。これまでどんな強敵であろうとも、加速スキルを使えば瞬時に決着をつけてきた。だが、このファントムウルフは俺の攻撃を回避するどころか、瞬時に姿を消してしまったのだ。加速している状態でも視界から消える――その事実が俺にとってどれだけの脅威であるか、一瞬で理解した。


「まただ……!」


後ろだ。そう直感し、振り向くと、ファントムウルフが俺の背後に現れていた。その巨体が静かに佇んでいる。狼の真紅の目が、まるで俺を観察しているかのようにじっと見つめているのがわかった。


「何なんだ……こいつは……」


俺は剣を構え直し、再び加速スキルを使おうとした。しかし、次の瞬間には、またもや狼の姿が消えた。まるで幻のように、そこにいたはずの巨体が掻き消えているのだ。


「くそ……!」


幻影。ファントムウルフはただの狼型モンスターではない。そもそも、俺が戦っているのは実体なのか? それとも、何か別の存在なのか? 考えがまとまらないまま、俺は必死に狼の居場所を探し続けた。だが、そのたびに、狼は現れては消え、現れては消え……まるで俺を試しているかのように、攻撃を仕掛ける素振りすら見せない。


「……どうなってるんだ……」


これまでの戦いとはまったく違う。力ずくで押し通すことができない状況に、俺は初めて無力感を覚えた。加速スキルが無効化されるなど、考えたこともなかった。だが、ファントムウルフは俺の最大の武器を軽々と無力化し、圧倒的な優位に立っている。


「どうやって倒せばいい……?」


このままでは終わる。そう確信した瞬間、再び狼の気配が俺の背後に迫った。今度は俺が動く番だ。瞬時に身を翻し、振り向きざまに剣を振り下ろす。


だが――。


「また消えた……!」


俺の攻撃は空を切り、ファントムウルフは再び霧のように消え失せた。まるで俺をからかうかのように、存在を示しながらも姿を隠し続けるその動きに、俺は苛立ちを覚えた。


「ちくしょう……!」


いくら加速スキルを使おうとも、相手の動きを捉えることはできない。まるで俺がどれだけ速く動こうと、その先を読まれているかのようだ。まるで、遊ばれている――そんな感覚が俺の心を苛む。


その時、不意に頭の中に声が響いた。


「……何を求める?」


――誰だ?


思わず辺りを見回すが、周囲にはファントムウルフ以外に誰もいない。もちろん、狼が話すはずもない。だが、確かに俺の頭の中に声が届いたのだ。


「誰だ? お前が、今喋ったのか?」


俺は狼に向かって問いかけたが、返答はない。だが、その赤い目が静かに輝き、まるで俺を見透かしているかのような視線を感じた。さらに、再び声が響く。


「強さを求める者よ、何を望む?」


その言葉が何を意味するのか、俺にはすぐには理解できなかった。だが、その瞬間、ファントムウルフは静かに姿を現し、俺の目の前に立った。戦うのか、あるいは何か別の目的があるのか――判断がつかないまま、俺は一瞬の隙を伺った。


「強さ……俺が求めているものは……」


言葉に詰まりながらも、俺は自分自身に問いかける。戦うことしか知らなかった俺が、今さら何を考えるべきなのかもわからない。ただ、この狼の知性的な瞳が、俺に新たな問いを投げかけているように感じたのだ。


再び狼の姿がかき消えるかのように消えたかと思うと、今度は俺の側に静かに現れた。これまでのモンスターとは明らかに違う、まるで知性を持った存在が、俺に何かを伝えようとしているのかのようだった。


「お前は……」


言葉を発することができず、俺はただ狼と向かい合った。



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第2章完結まで1日2話ずつ更新となります。


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