[激推し!]「1-01 東京因習村大学(第一会場二位投票)」

【対象作】

 1-01 東京因習村大学

 https://ncode.syosetu.com/n6955jk/2/


【推し語り】

 第一会場第一作。つまり全作のいちばん先頭。


 本文公開後しばらくの間「最初からいきなりこれか……」というような嘆声を、Twitterタイムラインのあちこちで見かけました。

 本作にノックアウトされた方々、大勢いらしたように見受けられます。

 それは私も例外ではなく。


 個人的に感じた本作の魅力は「あくまで常識人な主人公の立場と語り口」「空路木研関係者の異常性」、そして「両者の境界が不意打ち的に曖昧になっていく、流れの妙味」でした。


 冒頭で語られる主人公のトラブル「卒業の危機」は、ごく一般的で理解しやすいものです。

 しかしひとたび空路木研の面々と関われば、日常は徐々に非日常の側へと引きずられていく。

 その引きずられ方が、絶妙だと感じました。

 

 例えば恵良兄弟について。

 双子に同じ名前がついている、と聞いても、なにも物を考えていない人間であれば「おもしろいね」で終わりでしょう。そこに、個の自意識を奪う危険性を見出して戦慄するのは、主人公の問題意識があってこそ。

 一方で恵良兄弟は当然ながら問題意識など持っておらず、空路木教授は問題点を熟知しつつ利用している。

 問題意識が三者三様に違い、そのズレの隙間から異常性が浮かび上がってくる描き方が、とてもよかった。


 特によかったのは、双子を同一人物として扱って不都合はないかどうかを問答している場面でした。

 各個の常識や問題意識の違いが、噛み合わない会話を通して如実に浮かび上がってきて、説明的な説明なしに立場の違いが自然に理解できる作りが巧みだなあと感じました。



 これを書くために二度三度と本作を読み直してみましたが、空路木教授の主張って、よくよく読んでみると筋が通っていないんですよね。

「弱者を犠牲にして成り立つ悪習を、文化と呼んで尊ぶ行為が嫌い」

「都会の連中を因習村の当事者にしたい」

「犠牲に自覚的であることが重要だと思う」

 文中から書き出してみましたが、「弱者を犠牲にする悪習が嫌い」が「都会に悪習を再現しよう」になるロジックがいまひとつよくわからない。犠牲に自覚的であることを求めるために、犠牲を新たに作り出そうというのも無茶な気がする。

 ただ、文中で空路木教授がまとっている雰囲気のためか、この矛盾感は個人的にはマイナスの印象がありませんでした。むしろこの無茶苦茶さが、マッドサイエンティストもといマッド民俗学者的な人物造形に寄与しているように思えまして。


 そして、そうした空路木教授のマッドぶりに完全に呑まれたところで、不意打ち的に出てくる「必ず君を卒業させる」の結び。

 そういえば本題はその話だった! と一気に現実に引き戻され、同時に、いままで浸かっていた空気の異常ぶりを嫌でも自覚させられる……いやはや見事な締めでした。お見事。



 そんな次第で、第一会場二位の票を投じさせていただきました。

 正直、一位と二位とで推し度の差はつけられなかったのですが、掲載順もあって、本作に投票する方々は他にもたくさんいるだろうな……と思いましたので。

 本作に一位票を入れる方、きっと大勢いますよね、と信じてお任せしました。

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