第32話 堕ちていく 大きくなっていく

 アラーム音が、部屋中に響き渡っている。

 何秒経っても、止まる気配はない。


 部屋の住人2名は、ベッドの上にて裸で寝ころんでいる。


 シーツはグシャグシャのシミだらけで、枕も床に落ちている有様だ。

 

 リビングのテーブルの上にはコンビニ弁当やカップ麺のゴミで敷き詰められている。

 申し訳程度に買ったと思われるカット野菜は、放置されすぎて変色が始まってしまっている。


 ゴミや体液のせいか、独特な臭いが湿って淀んだ空気と一緒に充満している。


 夏休みの間に、小綺麗だった部屋は酷い変貌を遂げていた。


 

「ん…………」



 やっとアラーム音に気づいたケンは、芋虫みたいにスマホの近くまで移動した。



(ん? アラーム、セットしたっけ……)



 画面をスライドさせながら、記憶をさかのぼっていく。


 最近はずっとアラームをセットしていなかった。

 時間なんて気にしていなかったし、夏休みだから気にする必要はなかったからだ。


 最後にアラームをセットしたのは、

 その日はとても重要で、忘れてはいけない日だったから。


 そんな日が、あったはずだ。



「あっ!!!!」



 一気に目が覚めて、同時に顔が青ざめていく。


 やらかした。

 ケンの頭の中が、その5文字で埋まっていく。



「おい、葵生、葵生葵生葵生っ!」



 慌てて葵生を叩き起こすと、



「ん? どうしたの?」



「今日、始業式だ」



 心底不安そうな顔で告げると、葵生は対照的に拍子抜けな表情を浮かべた。



「え? 気付いてなかったの?」

「気付いているなら言ってくれよ!」



 ケンが唾を飛ばすと、葵生は顔をわずかにしかめた。



「だって、もう学校なんてどうでもよくない?」

「……よくはないだろ」

「学校なんて、もう行かなくても困らないでしょ」

「一応、オレ、クラス委員なんだが。葵生が副クラス委員だし……」

「どうせそんなに仕事ないでしょ。3年生なんだから、みんな受験勉強に集中したいだろうし」

「それはそうかもしれないがい、文化祭があるぞ?」



 葵生の眉が、さらに八の字に曲がった。

 文化祭にロクな思い出がないのかもしれない。



「ねえ、ケンは僕と一緒にいたくないの? 授業中離れ離れになっちゃうよ?」

「……上目遣いはやめてくれ」

「じゃあ、学校行かないよね?」



「わかった。行かない」

「ありがとう」



 もう何度したか分からないキス。

 呼吸をするように、唇を重ねた。 



「僕にはケンがいればいい。それ以外は、なんもいらない」

「そうだな。もう、それでいいんだよな」

「そうだよ。どうせ、あと半年ぐらいしか生きないんだし」

「ああ。そうだな」



 半年。

 今は8月下旬だから、正確にはあと7か月。



「そういえば、ケンの病気は大丈夫なの?」

「今は落ち着いてる。あー。そろそろ薬が切れそうだったな」

「それはちゃんと行ってよ」

「そこはちゃんとしろって言うんだな」



 葵生は笑顔で圧をかける。 



「僕と死ぬまでは、死なないでよ」

「……もし先に死んだら、」



 ちょっとした冗談のつもりで口にした。


 それなのに――



「ケンの死体を劇薬でドロドロに溶かしてから、その溶液を飲み干して死んでやるから」



 予想以上にショッキングな返事が戻ってきた。



「……葵生なら、本当にやりそう」

「本当にやるよ?」



 全く冗談が感じられない笑顔を前に、ケンは思わず身震いした。


 またキスをして、話を戻す。



「さて、学校行かなくていいと考えると気楽だなー」

「だよね。将来を投げ捨てるのって、気持ちがいい」

「羽でも生えた気分だ」

「それはちょっと違うかなー」



 ケンは小首を傾げた。



「どういう意味だ?」

「将来って、重荷だから。元々やっと飛べるようになったんだよ」

「まあ『未来に羽ばたく』とかよく言うけど、未来って重苦しいだけだよな」



 ケンは喉が渇いて、水道水を2人分持ってきた。



「本当は、こんなことは思っちゃいけないんだろうな」

「そう思うのが一般的だよね。でも将来に救いはないし、過去は助けてくれないから」

「そうだな」



 合図があったわけでもなく、ケンは彼女を押し倒す。

 葵生は受け入れて、また体を重ねていく。


 それから、2人はどれだけの時間を過ごしただろうか。

 ただただ堕ちていく日々。


 寝て。

 ご飯を食べて。

 交尾をして。

 また寝て。

 またご飯を食べて。

 また交尾をして。

 またまた寝て。


 昼夜も時間帯も関係なかった。


 好きなように生きていた。

 常にカーテンを閉め切って、太陽の位置すら把握していなかった。

 ポストには大量のチラシが放置されるようになった。

 玄関にはゴミ袋が積み重ねられるようになり、ケンが通院する日にまとめて片付けられた。


 いつの間にか夏の息吹は鳴りを潜め、葉っぱが赤く染まっていった。


 少しずつ、人らしい営みがそぎ落とされていく。


 それでも2人は笑顔だった。

 ずっと笑顔で、獣のような生活に浸りきっていた。

 たった2人だけの世界に陶酔していた。


 爛れていても、自堕落でも、孤立していても、幸福な日々。


 徐々に大事な人以外、どうでもよくなってきて、死に向かっている。



 1人を除いて。



 小さな小さな命未満。

 まだまだ生命体とは思えない形をしているだろう。

 だけど、少しずつ形を成して、芽吹き始めていた。

 


 葵生のお腹の中で。

 着実に大きく。

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