第31話 廃墟ビルで、先輩に出会う

 ケンの髪の毛が、ゆらゆらと揺れてた。


 脚はブルブルと震えていて、顔は緊張で引き締まっている。


 一歩進むたびに、ギシギシと嫌な音が鳴って、さらに眉間の皺が濃くなっていく。

 足元――いや、そのずっとずっと下には、轟々と川の流れる音が響いている。



「ケン、何をそんなに怯えているの?」

「いや、怖いだろ。こんなの、いつ壊れるかわからない」

「いやいや。吊り橋が感嘆に壊れる訳がないでしょ」

「……わからないだろ」



 ニヤケ顔の葵生が、わざと橋を揺らした。

 すると、ケンはこの世の終わりみたいな悲鳴を上げた。



「いやー。ここで飛び降りたら確実に死ねそうだね。そう思わない?」

「ダメだ。下見たくない」

「高所恐怖症?」

「い、いや、そんなことはないはずなんだが……。ここは流石に怖すぎだろっ!」



 結局、ケンは葵生に手を引っ張られながら、吊り橋を渡り切った。

  


「無理だ。ここで死にたくない。ムリムリムリムリ」

「まあ、川だと死体が見つかりやすそうだし、やっぱり海が一番だよね」



 ケンは何度も頷いた。

 絶対にここを死に場所にしたくないという、固い意志が感じられる。



「じゃあ、次はどこに行く? まだお昼だし、夜に行って面白そうなところ」

「山奥だしなぁ。流石に近くにはないんじゃないか?」



 スマホを見ていた葵生は何かを見つけて、画面をケンに見せつけた。

 


「ねえ、ここの近くに廃墟があるらしいよ!」

「お、いいな」



 善は急げと言わんばかりに、2人は早速移動することにした。





☆★☆★☆★☆★




 日が沈み始めた頃。

 ケン達は山奥にある廃墟に到着した。


 元々病院だったらしいが、壁にはツタが伸びていて、窓ガラスはほとんど割れてしまっている。

 周囲は森に囲まれていて、動物たちの寝床と化していた。



「おおー。なんかすごいね」

「……怖い」



 ケンは言葉通り、全身をガクガク震わせていた。



「え、乗り気だったのに、なんで?」

「いや、こんなに怖いとは思わなくてな……」

「えー。少しは付き合ってよ?」

「昼間よりは我慢できるからいいが」



 しばらく歩いていると、散乱しているゴミが目についた。

 明らかに最近捨てられたもの。

 ゴミが多く転がっていることから、マナーの悪い人間が良く出入りしているのだろう。



(一応、警戒しておかないと……)



 今の葵生は女の子だ。

 ケンは目を鋭くさせて、周囲を警戒し始めた。


 通れそうな場所は大体網羅して、建物の端っこにたどりついた。


 そんな矢先――



「あ、あそこ見て。服が落ちてる」



 葵生が突然、走り出した。

 ケンは慌てて「おい!」と叫びながら追いかける。



「げっ!」



 葵生の表情が固まった。



「――っ!」



 ケンは思わず、目を手で覆った。

 2人の目の前にあったもの。


 それは、腐りかけの死体。

 おそらくは40代男性のものだろう。


 ケンは悪臭とショックに耐えかねて、吐しゃ物をビチャビチャと吐き出した。



「僕達も、死んだらこうなるんだね」



 葵生は優しい足音を立てながら、近づいていき、ハエのたかった顔をそっと撫でた。


 ケンは喉に引っかかった酸っぱさに咳き込みながら、その姿を眺めていた。



「自殺か?」

「多分。近くに大量の風邪薬の箱が落ちてたから」



 オーバードーズ。

 2リットルのペットボトルも、何本も転がっている。



「通報するか?」

「いや、そしたら僕達も大変になるでしょ? 警察に根掘り葉掘り聞かれちゃう。そうしたら、この旅も終わり」

「……そうだな」



 ケンは今すぐにでもその場からは慣れたそうにしている。

 だけど、葵生は手を合わせ始めた。



「それに、この人は独りでゆっくりしたいと思う」

「独りでゆっくり……」

「きっと、誰にも邪魔されたくなかったんだよ。だから、」

「それだけ辛かったんだろうな」

「ごめんなさい。すぐに立ち去るから」



 葵生は自分の服を1着取り出して、死体の顔にかけた。



「ここは僕達の死に場所には使えないね」

「……そうだな」



 廃墟から出る道中、ずっと無言だった。


 出口をくぐると、葵生は振り向いた後に丁寧にお辞儀をした。



「お前、なんであの男にそんなに優しいんだ?」

「何? 嫉妬?」

「ち、ちがうっ! ただ気になっただけだ」



 フッと優しく微笑む葵生。



「だって、すごいじゃん。独りで生きるのも独りで生きるのも、すっごく難しい」

「そうだな」

「僕はケンと一緒に生きて、一緒に死ぬことができるけど、独りじゃどっちもできる気がしない」



 葵生はスマホを取り出して、夜空にレンズを向けた。

 だけど、カメラの性能が悪いのかほとんど何も写っていない。



「だから、独りで死んだあの人は、本当にすごいよ」



 ケンは我慢が出来なくなって、後ろから葵生に抱き着いた。


 葵生は抵抗することなく、身をゆだねる。



「なあ、葵生」

「なに? ケン」

「一緒に死ぬって言ってくれてありがとう」

「どういたしまして。ケンも、一緒に生きてくれてありがとう」



 キスはしない。

 ただ、お互いの体温を感じる時間。



「あーあ。何だかもう満足しちゃった」

「じゃあ、帰るか。家に」

「……なんか変な感じがする」

「なんでだ?」

「家って、僕にとっては帰る場所じゃないから」

「ああ、なるほど」



 家は帰る場所。

 家は帰らないといけない場所。

 家は帰りたくない場所。


 家に対して思うことは、必ずしも『帰りたい』だけじゃない。



「僕にも、帰りたい場所が出来たんだ」



 吐息混じりの声が、星いっぱいの夜空に溶けていく。



「ほら、帰るぞ」

「うん、帰ろう。帰って、ゆっくりと疲れをとろう」



 自然と手を握る。

 指を絡め合い、固く握りしめる。


 少し冷たくなった手を温め合いながら、大きくて自由な棺桶からそっと離れるのだった。




――――――――――――――――――――――――

更新が遅れて申し訳ございません


次話からは2学期編?です

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