第21話 オレの悪友がTSしたら、タガが外れた件③
(恋愛、か……)
ケンはぼんやりと星空を眺めていた。
夜の公園には、他に酔いつぶれたサラリーマンしかいない。
(どうすればいいんだよ)
ふと左胸――その中に詰まっている心臓に手を当てる。
今は規則正しくドクンドクンと鼓動をしてくれている。
だけど、あと1年もすれば静かになってしまうだろう。
ケンは今、そういう病気にかかっている。
薬を飲むことで生活をすることは問題ない。
だけれど、確実に命をむしばんでいる。
(この病気がなければ、色々考えずに済むんだけど)
残り1年。
たったそれだけしか、葵生と一緒に生きられない。
もしその縛りがなければ、今とは全く違う行動をしていただろう。
簡単に女になった葵生に手を出して、
葵生も簡単に受け入れて、将来のことなんて何も考えずに快楽に身をゆだねていたかもしれない
でも、それらは全部『もしも』の話だ。
(どうして、こんなことになったんだろうなぁ)
考えても仕方がない。
ケンの病気は、先天性のものだ。
生まれた時から決められていた。
頭の悪さも、運動神経の悪さも、命の短さも。
なにもかも、産まれた時から持っていなかった。
まるで兄弟に何もかもを吸い上げられたみたいに、ケンには何も残っていない。
(オレの人生、なんだったんだろう)
考えているだけで、目頭が熱くなっていく。
辛くて切なくて、胸が張り裂けそうになる。
今すぐ消えれば、楽になる。
何もかも感じなくて済む。
だけど、目を閉じた先に、一人の顔が浮かんだ。
(帰ろう。葵生が待ってる)
たった1つの事実で、さっきまで動かなかった足が動いてくれた。
☆★☆★☆★☆★
家に帰ると、電気が点いていなかった。
ただただ暗くて、誰もいないように見えた。
だけど、玄関を入ってすぐの廊下に、葵生は座り込んでいた。
「……ただいま」
ほとんど義務的に呟くと、葵生は疲れ切っているようにゆっくりと顔を上げた。
「よかった。帰ってきた……」
電気を点けると、力ない笑みを向けられて、ケンの心はザワついた。
「どうしたんだ?」
「ケンが帰ってこないから、心配になって。もう少しで出ていくところだった」
さらにザワめきが強くなる。
「どうしてそうなるんだよ」
「だって、帰ってこないとしたら、僕のせいでしょ?」
「…………すまん、連絡を入れるべきだった。ちょっと考え事をしてたんだ」
素直に謝ると、葵生がハニカんだ。
「もういいの。ケン、帰ってきてくれたから」
「そりゃ帰ってくるだろ。ここはオレの家だ」
「じゃあ、なんで遅かったの?」
「いろいろ考えてたんだ。これからのことについて」
ケンが歯切れの悪いことを言うと、葵生は少し目を細めた。
「クラス委員のこと?」
「それだけじゃないんだ」
「他に、何があるの?」
「……葵生に言えないことって言ったら、怒るか?」
困ったように小首を傾げる葵生。
「それは、僕のために言えないの?」
「いや、オレが言い出せないんだ。言い出す勇気がない」
「そうなんだ。じゃあ、いいよ」
葵生があっさりと言った言葉に、ケンは驚愕した。
「なあ、こんな意気地なしのオレでもいいのか?」
「だって、そういうケンが好きだから」
「オレは、その〝好き〟にだって応えられていない」
「いいよ。」
葵生はため息まじりに続ける。
「好きって言ってくれなくてもいい。ただ、ずっと一緒にいてくれればいいの」
一緒にいる。
ずっと一緒に。
今のケンにとっては夢物語で、胸が痛みだした。
「なあ、もし、もしもだけど、」
「でも、男の時の僕の知っていて、一緒にいてくれるのは」
「本当の僕を知っているのは、ケンだけ」
「ああ、そうだな」
「僕には、ケンしかいない」
「オレにも、葵生しかいない」
「嬉しい。僕には、ケンだけがいればいい。それ以外はいらない」
「……そうだな」
(ああ、本当に意気地なしだ)
でも、それじゃダメなんだ。
余命のことを言いたい衝動が、喉元まで出そうになった。
「ねえ、ケン。お願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「もっとケンを刻んでほしい」
葵生は腕を差し出した。
そこには、昨日の噛み痕がまだ痛々しく残っている。
何を望んでいるのか理解できてしまう。
柔らかくて細い腕を噛む。
その感触を想像するだけで、下半身がじんじんと熱くなっていく。
ケンは自分の胸に湧き上がる衝動のままに、口を大きく開けた。
「――っ!!!!」
2回目のためか、全く遠慮がない。
犬歯はあっさりと皮膚を突き破り、肉へと刺さっていく。
(もし葵生が神メイトと付き合うことになっても、このキズは残るんだよな)
そう考えるだけで、顎に力が入ってしまう。
必死に噛んで、深く深く、歯を突き立てたくなってしまう。
皮膚と、肉。さらにその先に。
ふと、固い感触を感じた。
骨の感触。
突如、衝動がさらに強くなる。
骨まで刻み付けたい。
死んで骨になった後も、これはオレのものだと見せつけたい。
「……ケン」
か細い声が聞こえて、ハッとした。
慌てて歯を抜くと、血の味が脳天を貫く。
(あれ?)
ふと気づくと、ズボンがビッショリと濡れていた。
「ごめん。ケン……」
葵生は恥ずかしそうに顔を、噛まれていない方の手で覆っていた。
ゆっくりと視線を下ろすと、床に液体が広がっている。
ズボンを濡らした液体は、葵生の体から出たもの。
普段は汚物として処理される液体。
(キレイだ)
だけどケンには、まるでオアシスの水のように輝いて見えた。
自分が腕を噛んで、出てしまったもの。
たまらなく愛おしくて、葵生に抱き着いた。
「葵生。ありがとう」
「…………なにそれ」
「言いたくなったから」
「そうなんだ」
「うん、だからありがとう」
キスはしない。
好きとも言わない。
交際もしない。
それなのに、噛み痕はつける。
(歪だ)
もし愛の形を視覚化できるのなら、車に踏みつぶされた三角コーンみたいな形をしているだろう。
おそらく、入っちゃいけないところに入ってしまっている。
抜け出せなくて、理性を全部を溶かしてしまうような危険地帯。
生まれながらに優秀な人なら、決して立ち入らない。
だけど強い劣等感があって、なにもかもがどうでもよくて、自分と相手をメチャクチャにしたい化け物だけがたどり着ける。
そんな場所。
ケンの胸の中は居心地の良さと、もどかしい甘さでいっぱいになっていた
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