第16話 親の拳と、女体化の影響
頬の骨から、鈍い音がした。
体が吹き飛んで、床に倒れ込んだ。
次の瞬間には成人男性が馬乗りになっていて、殴りかかられていた。
必死に抵抗しようと脚をバタつかせたけど、拳が数回振り下ろされるだけで、グッタリとなってしまった。
全身がビクビクと反射的に動いても、拳は休むことを知らない。
女子高生姿の葵生に繰り返し振り下ろされる、骨ばった拳。
鈍くて低い音からは、容赦という2文字は全く感じられない。
「きゃああああああああああああ!!!」
隣から甲高い悲鳴が聞こえた。
イジメっ子とその母親が発したもの。
父親が娘を殴る姿は、周囲からはさぞや異常で不気味に映ったことだろう。
だけど本人たちにとっては、懐かしい日常の光景だ。
「何をやってるんだ、お前は!!!」
今は被害者と加害者の保護者、それに先生が集まって事情聴取をしていた。
そして遅れてやってきた葵生の父親は、子供の顔を見るなり暴力を振るったのだ。
久しぶりに聞いた、父親の声。
忘れていたかった、父親の顔。
葵生の顔は、父親の拳のせいで痛々しく腫れあがっている。
だけど、涙を流す気配もない。
(くそっ。もう1回殴ってやりたい)
葵生は幼い頃、ずっとDVを受けてきた。
少し気に食わないことがあるだけで、拳が振り下ろされた。
しかも、目立たない箇所を念入りに。
だけど、中学2年生の夏。
葵生は初めて父親の暴力に抵抗した。
すると、あっさりと勝ててしまった。不摂生でやせ細った父親は成人男性にしては、まだ未成熟な少年よりも非力だったのだ。
それ以来、殴られることは無くなっていた。
だけど、今の葵生は女になってしまっている。
いくら父親がひ弱だと言っても、力で敵うわけもないし、恐れられる理由もない。
(ああ、僕の体に、コイツの血が流れているんだ……)
自分を殴る父親の表情を見て、葵生は実感した。
「もうわかりましたから、落ち着いてくださいっ!」
小枝先生に羽交い絞めにされて、父親はようやく息を吐いた。
かと思ったら、次の瞬間には土下座をしていた。
「こいつは本当にダメなヤツで、この通り、十分に言い聞かせましたので、何卒ご容赦を!」
(パフォーマンスだ)
自分が許されるためのパフォーマンス。
少しでも自分が悪くないことを態度で示していると、葵生は感じ取った。
今度は
「俺は仕事が出来ない状態でして、生活保護を受けていまして……」
そこで言葉を区切っているのが、いやらしい。
(サイアクだ)
どんどん気持ちが沈み込んでいく。
体を動かせなくて、ぼんやりと周囲を眺めていると、イジメっ子の顔が目に入った。
(そんな目で、見ないでよ……)
同情の目。
そして自分の親が『アレ』じゃなかったという、安堵の目。
畏怖も少し混ざっているだろうか。
何度も向けられてきた、葵生の大嫌いな目だ。
それから、葵生は2週間の出席停止を言い渡された。
かなり甘い処分だ。
「パチンコに行く。先に帰ってろ」
校門を出ると、父親がポツリと呟いた。
生活保護をもらっていて生活が苦しい。
そう言った口から『パチンコ』という単語をなぜ出せるのだろうか。
葵生は何も言わずに、父親をにらみつけた。
「なんだ、その顔は。まとも働いたこともない癖に」
父親に掴まれても、葵生の目は変わらない。
「女に生まれたんだから、せめて体でも売って稼いで来い」
その言葉を聞いた瞬間、瞳が揺らいだ。
「女に生まれた……?」
「なんだ? お前は自分の性別もわからないのか?」
自分がショックを受けていること自体にも驚いて、葵生の表情は固まった。
「そうだ。今流行ってるんだろ? パパ活だっけか。あれなら生活保護を減らされることもないんじゃないか。客から直接代金をもらえるんだからな」
父親の顔がパァッと明るくなった。
「なんで今まで気づかなかったんだろうな!」
葵生の肩をつかんで、爛々とした瞳を向けてくる。
「お前は母親に似て顔と体はいいんだから、絶対に稼げる! お前、処女だよな? 高くなるからうまく使えよ」
今すぐに殴りたかった。
でも、体が動いてくれなかった。
「じゃあ、パチンコ行くからよろしくなっ!」
上機嫌になった父親は、軽い足取りでパチンコ屋へと向かっていった。
きっと、生活費を全て使い込むだろう。
一人残されてからどれくらい経っただろうか。
街灯が点く音が聞こえて、やっと動き出せた。
(もう、イヤだ……)
葵生は何も考えたくなくて、道路の真ん中に座り込んだ。
まるで石になったみたいにジッと固まって、息をひそめて待ち続ける。
(車、来ないかな……)
轢かれたい。
そうすれば、今の現状が少しは変わるかもしれない。
頭の中はグチャグチャだった。
自分が何を考えているのか、何を考えたいのかもわからない。
頭がずっと重くて、ギュルギュル動いている感覚があるのに、思考が全く完結しない。
突如、衝撃を感じた。
車に轢かれたのだろうか。
いや、違う。
腕を引っ張られている。
顔を上げると、 金髪が目に入った。
「なにやってんだよ、葵生」
(ケン……)
喧嘩したばかりの悪友。
彼は、何事もなかったみたいに怪訝な顔を向けていた。
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内容がラブコメから遠ざかってきたので、ジャンルを現代ドラマに変更しました
ケンと葵生がどこに向かっていくのか気になった人は
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