第15話 女子トイレのカンパネラ②

(あーもー。イライラする)



 ドスッ ドスッ ドスッ、と。

 廊下をガニ股で歩いているのは、葵生だ。


 周囲から奇異の視線を向けられていることに気づかない程に、苛立っている様子だ。



(ケンのヤツ、一体なんなんだよ!)



 とりあえず落ち着くためにトイレに入った。



「きゃあああああああ!!!」



 しかし、入ってしまったのは男子トイレだった。

 突然の闖入者ちんにゅうしゃに、小便をしていた男子たちは大慌て。



「な、な――っ!」



 その中に神メイトがいて、ふと何も履いていない股間が見えてしまった。



「……ふっ」



 ついつい鼻でわらってしまうと、神メイトの顔が青ざめた。



「あ、ごめん……」



 葵生は元男だし、イチモツを見られた上に嗤われた時のショックはよく理解している。


 そそくさと男子トイレから逃げると、隣の女子トイレへと駆け込んだ。

 全く叫ばれないことに安堵しながら、顔を洗おうとした。



「ぎゃははははははは!」



 まるで嫌な笑い声が聞こえた。

 トイレの奥で、ズブ濡れになっている小柄な女子生徒がいた。


 その横には、3人の女。

 どこからどうみても、イジメの現場だ。

  


(せめて、ちゃんと隠れてやれよ)



 葵生は最初、無視を決め込もうとした。

 だけど、目に留まってしまった。



 加害者の顔。


 突如、幼い頃の記憶がフラッシュバックした。

 毎日のように見た顔。

 何度も殴られたせいで、網膜に焼き付いている。


 イジメっ子の顔は葵生から見えなかったけど、昔の自分に重なった。

 


「ちっ!」



 思わず舌打ちをすると、イジメグループが反応した。



「なに? アンタ」



 新しいおもちゃを見つけたような、下卑た顔。

 敵意を向けられて、葵生の顔はさらに険しくなった。 



「なあ、つまらないことしてんなよ」

「なに? アンタ、調子になってんの? 彼氏がアイツだからって」

「彼氏?」

「とぼけてんじぇねえよ。あのヤンキー風のチキンよ」



(……そういう風に見えているのか)



 同時に、この自称進学校にもこんなやつ・・・・・がいるのかと、少し考えていた。

 おそらく、先生の前ではいい子でいて、裏でイジメをしているのだろう。


 葵生は、静かに目をつむった。


 イジメっ子はゆっくりと近づいてくる。

 その手には水の入ったバケツが握られている。



 次の瞬間――


 

 ドス、と。



 鈍い音が響いた。

 同時に。

 イジメっ子は腹部を押さえながら倒れ込み、バケツからこぼれた水が彼女のスカートを濡らした。


 さらに顔を蹴り上げて仰向けにさせると、葵生は馬乗りになった。



 ドス ドス ドス



 繰り返し、拳を振り下ろす。

 


「へ? は? え? いやあああああああああああああああ!!!!」



 取り巻きの2人は突然のことに発狂して、逃げ出した。

 葵生は気にするそぶりもなく、殴り続けていく。


 自分の表情が変わっていっていることにも気づかずに。



(やばい、楽しくなってきた!)



 ドス ドス ゴス ベキ



 人を殴るのが楽しい。

 こいつは殴ってもいい。

 イジメをしてたやつなんて、どうなってもいい。


 自分は今、いいことをしているんだ。



(やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい)



 やめられない。

 とめられない。


 この快楽をもっと感じたい。


 相手を征服したい。

 泣かせたい。

 目の前の人間をもっともっとグチャグチャにして、メチャクチャにして、グズグズにして、一生残らないキズモノにして、自分の力を知らしめるためのオブジェクトに変えたい。


 脳の中に、ナニかが溢れ出ている。

 本人感覚はないのだけれど、葵生の思考が染め上げられていく



「へはぁっ!」



 甲高い声を上げると、イジメっ子の表情が曇っていく。


 想像してしまったのだろう。

 理解してしまったのだろう。


 暴力はまだまだ終わらない。

 いや、今まではまだ準備運動に過ぎなかった。

 エンジンがかかった今からが本番だ。



「もう、やめて……」

「それでお前、止まったのか?」



 ただの免罪符だ。

 イジメられっ子を助ける、イジメされっ子と同じ痛みを味合わせる、という薄っぺらな免罪符。

 葵生の頭の中に、イジメられていた子のことなんて欠片も残っていないのに。



 ゴス ベキ ビチャ グチャ



 血が煮えるように熱い。

 感情とはまた違った、抗いようのないナニカが脳内を深く染め上げていく。



「もうやめてくださいっ!」



 腰に弱い衝撃を感じて、葵生は一瞬動きを止めた。



(あれ? なんで僕は止められてるんだ?)



 たしか、イジメを止めようとしていたはず。

 それなのに自分がイジメられっ子に静止されている事実に、疑問を抱いた。

 

 数秒経って、イジメっ子の泣き顔しか映っていなかった視界が、ようやく開けてくる。


 トイレの出入り口を見ると、小枝先生が入ってきていた。



「何があったんですか?」

「…………」



 葵生は何も答えられなかった。

 自分でもさっきまで・・・・・の自分を信じられなくて、受け止めきれなかった。



「何があったと聞いているんです!!!!」



 校舎全体が震えるような怒号だ。

 葵生の頭は一気に冷えて、荒い息を吐く。


 泣いている女の子2人。

 立っている女の子(元男)1人。


 どうあがいても、言い逃れはできないだろう。


 葵生がこの場で出来るのは、1つだけだ。



「すみません、いくらでも謝ります。だから、親だけは呼ばないでください」

「そうはいきません。特にあなたの場合は」



 とても冷たい目を向けられて、葵生は目を伏せた。



(くそっ!)



 ふと、隣にあった洗面所の鏡――そこに映っている自分の顔が目に入った。


 まだ見慣れていない、女として整った顔だ。

 かわいい系ではなくて、美人のイメージの方が強いだろう。


 どこか気だるげな雰囲気はあるけど、目が鋭い。



あの男・・・とは全く似てない顔なのに……)



 だけど、表情は似ている。

 何を考えているかわからない、不気味な顔。


 また、幼い頃の記憶が呼び起こされた。



 パリン、と。

 衝動的に鏡を叩き割ると、小枝先生に力ずくで取り押さえられるのだった。



(全部、アイツのせいだ)

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