第14話 女子トイレのカンパネラ①

 委員会決めを終えて。

 校舎裏で、葵生は苛立っていた。


 見上げると曇天で、地面と草木が湿った匂いが漂っている。

 少し離れた場所からは、散った桜の花びらを集める箒の『シャッシャッ』という音が、規則正しく響いている。 



「ねえ、ケン」

「な、なんだ?」



 にらまれているケンは、妻のおやつを盗み食べてしまったことがバレた夫のようにタジタジだ。

 女体化した葵生は男の時より小さくなっていて、完全に見上げる形になっている。



「ケン、どういうつもりなの? クラス委員って」

「いいだろ。楽しそうだし」

「全然楽しくないでしょ」

「やってみないとわからないだろ」

「やってみてつまらなかったら放り出す、なんてことは出来ないんだよ?」

「わかってる。それでも、やってみたかたったんだ」

「ウソだ」



 葵生の視線が、さらに鋭くなった。

 ケンはバツが悪そうに顔を背けた。



「なあ、これからは普通に過ごさないか?」

「普通って?」

「普通に学校で暮らして、普通に授業に出て、普通に就職して、普通に高校生生活を満喫しないか?」



 葵生はまるで、カラスが生ゴミを整理している現場を目撃したような衝撃の受けようだった。



「どうしたの? ケンらしくないよ」

「オレらしさって、なんだよ」

「僕の知っているケンは、そんなつまらないことを口走らない。もっと一緒に悪いことをしてくれるはずだ」

「いいだろ。3年生になって、少し気分が変わったんだ」



(なんだよ、それ。ありえないだろ……)



 葵生は奥歯を噛みしめながら、しきりに瞬きをするケンを見つめた。



「僕が女になったせい?」

「……違う。それは関係ない。オレの問題だ」

「じゃあ、教えて。何があったの?」

「少し色々思うことがあってな。それ以上は言えない」

「……言えない?」



 胸の奥に、モヤモヤがつのっていく。

 今すぐ叫びたい気持ちを抑えるのに必死で、まともに考えがまとまらない。



「なあ、もういいだろ。いい加減、大人になろう。モラトリアムは終わりだ」



(それを、お前が言うかよ)



 葵生の細い腕が、ケンの襟首をつかんだ。



「将来なんてどうでもいいでじゃん! 未来のことを考えてどうするなの? どうせち努力なんてちょっとしたことで壊れてしまうんだから。真面目なんてバカみたいじゃん。今楽しければいいじゃん」

「……それで、将来を棒に振るのは違うだろ」

「幸せじゃなくなれば、死ねばいいじゃん。どうせ、失うものなんてないんだから」



 そう思っていないと、今を生きる気力も湧いてこない。

 葵生は常に、そう考えている。



「……なあ、そんな簡単に『死ぬ』って言わないでくれよ」



 ポツリと、針のように細い雨がケンの腕に落ちた。



「いいだろ別に。人は簡単に死ぬんだから、気安く口にしていいでしょ」

「ああ、そうだな。人は簡単に死ぬ。驚くほど簡単に」



 ケンは自分の手首を強く握りしめた。



「だからこそ、死ぬって簡単に言っちゃいけないだろ。世の中には、」

「他人のことなんて関係ないだろ。なんで知らない他人の命を尊んで生きないといけないの。バカバカしすぎる。その人も、自分自身が生きたかったに決まってるでしょ」



 雨が強くなり、髪が濡れていく。



「…………お願いだから、」



 水滴が頬を伝うと、葵生の目の色が変わった。



「本当に何があったの?」

「……言えない」

「わかった」



 ドスッ、と。


 突然。

 葵生の拳が、ケンのみぞおちに食いこんだ。


 だけど体格差のせいか、ケンがわずかにひるむだけで済んだ。



「殴れよ」



 葵生の声は、小さくて震えていた。



「殴って、喧嘩しよう」



 女の葵生ににらまれて、ケンは拳を振り上げた。

 固く握りしめられて、震える拳。


 適当に振り下ろすだけでも、葵生の体に大きな痣ができるだろう。

 それでも、葵生はにらみつけるだけで待っている。


 


「――っ!」



 ケンは自分の拳を、木に叩きつけた。

 揺れる木から葉っぱが落ちていき、雨宿りしていた鳥が飛び立った。



「……すまん」



 素直な謝罪をされても、葵生の心はちっとも晴れなかった。

 求めている言葉とは、全く違う。



「ちっ!」



 わざと舌打ちをしながら、その場を後にする葵生。

 その後ろ姿を、ケンは寂しそうに見つめていた。






――――――――――――――――――――――――

ラブ……コメ……?



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