第11話 アヤカの秘密

 佐藤健一は、キッチンの窓から外を眺めながら、深いため息をついた。

 目の前に広がる平凡な住宅街の風景は、彼の心の中の混沌とした思いとは対照的だった。


「アヤカ、一体何を隠しているんだ……」


 つぶやきながら、健一は数週間前から気になっていた娘の変化を思い返した。


 かつて大学で量子力学の研究をしていた健一は、細かな変化を見逃さない鋭い観察眼を持っていた。

 その目に、娘アヤカの様子の変化が映っていたのだ。


 まず気づいたのは、アヤカの帰宅時間が遅くなったことだった。

 以前なら、科学部の活動が終わるとすぐに帰ってきていたのに、最近は日が暮れてから帰ってくることが増えた。


「ごめん。実験が長引いちゃって」


 そう言ってごまかすアヤカだったが、健一にはその言葉に嘘が混じっているように感じられた。


 次に気になったのは、アヤカの部屋から聞こえる低い話し声だった。

 一人暮らしを始めてからというもの、健一は娘の私生活に過度に干渉しないよう心がけていた。

 しかし、深夜にアヤカの部屋から聞こえる、明らかに別人の声は無視できなかった。


「アヤカ、誰かいるのか?」


 ある夜、健一が尋ねると、アヤカは慌てた様子で答えた。


「え? ち、違うよ。動画を見てただけ」


 その説明に納得できない健一だったが、それ以上は追及しなかった。

 しかし、その夜を境に、アヤカの部屋の様子がさらに怪しくなっていった。


 時折、部屋から奇妙な光が漏れ出ることがあった。

 青白い光で、まるで実験室で見るような不思議な輝きだった。

 健一は何度か部屋をノックしたが、そのたびにアヤカは慌てた様子で対応し、中の様子を見せることはなかった。


「大丈夫だよ、お父さん。ちょっとした科学実験をしてるだけ」


 そう言って取り繕うアヤカだったが、健一には娘の言葉が本当のことではないと感じられた。


 さらに気になったのは、アヤカの持ち物の変化だった。

 いつの間にか、見慣れない本や奇妙な形の装置が増えていた。

 ある日、健一がアヤカの机の上に置かれた本を手に取ろうとすると、アヤカは慌てて奪い取るように本を隠した。


「こ、これは……なんでもないよ! ただの参考書」


 その態度に、健一はますます不審を抱いた。

 科学者としての直感が、そこに通常の科学では説明のつかない何かがあると告げていたのだ。


 しかし、最も健一を悩ませたのは、アヤカの目の輝きだった。

 以前から科学好きだった娘だが、最近の目の輝きは尋常ではなかった。

 まるで、世界の秘密を解き明かしたかのような、そんな輝きだった。


「アヤカ、最近の研究はどうだ?」


 ある日の夕食時、健一が尋ねると、アヤカは一瞬言葉に詰まった。


「あ、うん。面白いよ。いろいろな発見があって……」


 その言葉の裏に、何か大きなものが隠されていることを、健一は感じ取った。

 しかし、アヤカはそれ以上の詳細を語ろうとはしなかった。


 健一は、娘との間に少しずつ溝ができていくのを感じていた。

 かつては科学の話で盛り上がった父娘だったのに、今ではアヤカは自分の研究について多くを語ろうとしない。

 その距離感に、健一は戸惑いと寂しさを覚えた。


 そんなある日、健一は偶然にもアヤカの友人らしき少女を目撃した。

 長い金髪に緑の瞳、どこか異国的な雰囲気を漂わせるその少女は、アヤカと一緒に帰宅する途中だった。


「あれが、アヤカの新しい友達なのか……」


 健一は、その少女の存在が娘の変化と何か関係があるのではないかと直感した。

 しかし、アヤカに尋ねても、はぐらかすような返事しか返ってこなかった。


「ああ、あれは留学生の子だよ。たまたま一緒に帰っただけ」


 その説明に、健一は完全には納得できなかった。

 その少女の佇まいには、どこか現実離れした雰囲気があったのだ。

 まるで、別の世界から来たかのような。


 健一の中で、科学者としての好奇心と父親としての心配が激しく葛藤した。

 娘が何か大きな発見をしているのではないか。

 しかし同時に、その発見が娘を危険に晒すのではないか。


「どうすべきだろう……」


 健一は、娘に直接問いただすべきか、それともしばらく様子を見るべきか、決めかねていた。

 科学者としての彼は、未知の現象に興味をそそられていた。

 しかし父親としては、娘の安全が何より心配だった。


 結局、健一は慎重に様子を見守ることにした。

 しかし、アヤカの部屋の前を通るたびに立ち止まり、中から聞こえてくる不思議な音や光に耳を傾けずにはいられなかった。


「アヤカ、何か困ったことがあったら、いつでも相談してくれ」


 ある朝、健一はアヤカにそう声をかけた。

 アヤカは少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻した。


「うん、分かってる。ありがとう、お父さん」


 その言葉に、健一は少し安心した。

 しかし同時に、アヤカが本当のことを話してくれる日が来るのか、不安も感じていた。


 日々の生活の中で、健一はアヤカの変化をより細かく観察するようになった。

 科学部の活動報告書を見せてもらっても、そこに書かれている内容が娘の様子の変化を十分に説明しているとは思えなかった。


「これじゃない、何か別のことをしているはずだ……」


 健一は、かつての研究者としての直感がそう告げているのを感じていた。

 しかし、その「別のこと」が何なのか、想像もつかなかった。


 ある夜、健一は偶然にもアヤカの部屋の前を通りかかった時、中から奇妙な会話が聞こえてきた。


「リリア、これでいいの? マナの流れが……」


「うん、大丈夫よ。でも、もう少し電磁波の強度を上げたほうがいいわ」


 健一は思わず足を止めた。

 マナ? 電磁波? 娘が何やら専門的な用語を使っているのは分かったが、その組み合わせは明らかに通常の科学の範疇を超えていた。


「一体、何をしているんだ……」


 健一は、ドアをノックしようか迷った。

 しかし、結局そうはしなかった。

 娘の秘密に土足で踏み込むのは、良くない結果を招くかもしれないと思ったのだ。


 それでも、健一の心の中では様々な疑問が渦巻いていた。

 アヤカは本当に安全なのか。

 彼女が関わっているものは、法に触れるようなものではないのか。

 そして何より、なぜ娘は父親である自分に打ち明けてくれないのか。


 健一は、アヤカとの関係を修復したいと強く思った。

 しかし、どのようにアプローチすれば良いのか分からなかった。

 直接問いただせば、アヤカはさらに殻に閉じこもってしまうかもしれない。

 かといって、このまま見守り続けるだけでは、父娘の溝はますます深まるばかりだ。


「アヤカ……」


 健一は、娘の名前を呟きながら、窓の外に広がる夜空を見上げた。

 そこには、いつもと変わらない星々が瞬いていた。

 しかし健一には、その星空が以前より神秘的に感じられた。

 まるで、娘が探求している未知の世界を暗示しているかのように。


 健一は決意した。

 娘の秘密を尊重しつつ、少しずつ近づいていこう。

 そして、アヤカが自分から話してくれる日が来るのを、辛抱強く待とう。

 それが、科学者として、そして父親としての自分のすべきことだと感じたのだ。


 こうして、佐藤健一は娘の変化に戸惑いながらも、その背後にある真実に少しずつ近づいていくことになった。

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