第6話 私と彼女のストレンジャー

 リリアの魔法を目の当たりにして、私の中で科学者としての興奮と、常識が覆される戸惑いが入り混じっていた。しかし、その興奮も戸惑いも、次第に別の感情に取って代わられていった。


「ねえ、リリア。その魔法って、どんなことにでも使えるの?」


 私は少し躊躇いながら尋ねた。リリアは首を傾げ、考え込むような表情を浮かべる。


「そうね……基本的には、想像力の範囲内なら何でもできるわ。でも、もちろん限界はあるわ。それに、魔法使いの能力や、使える魔力の量によっても違ってくるわね」


 その答えに、私の中で何かが引っかかった。


「じゃあ、例えば……病気を治すこともできちゃったり?」


 リリアは少し驚いたような顔をした後、ゆっくりと頷いた。


「ええ、ある程度はね。重症でなければ、魔法で治療することはよくあるわ」


 その言葉を聞いて、私の胸の中で複雑な感情が渦巻いた。

 科学者としての興味と、人間としての羨望、そして…少しの怒り。


「そっか……君たちの世界では、魔法で簡単に病気が治せるんだね」


 私の声のトーンが少し低くなったのを、リリアも気づいたようだった。


「アヤカ、どうしたの? 急に元気がなくなったみたい」


 私は深呼吸をして、自分の感情を整理しようとした。


「ごめん、ちょっと考え込んでた。私たちの世界では、病気と闘うのはとても大変なことなんだ。何年もかけて新しい治療法を研究して、それでも治せない病気がたくさんある。でも、魔法があれば……」


 リリアは私の言葉を理解しようと、真剣な表情で聞いていた。


「そうか、あなたたちの世界では魔法がないんだもの。大変なことなのね」


 その言葉に、私は少し苛立ちを覚えた。


「大変どころじゃないよ。毎日、たくさんの人が病気で苦しんでいる。そして、私たち科学者は、その苦しみを少しでも和らげようと必死に研究を重ねているんだ」


 リリアは驚いたような、そして少し悲しそうな表情を浮かべた。


「そう……ごめんなさい。私、軽々しいことを言ってしまったわ」


 私は自分の感情の高ぶりに気づき、少し冷静になろうと努めた。

 いけない。私の悪い癖だ。この癖でお父さんとも……


「あ、いやいや! 私こそごめん。つい感情的になっちゃった。でも、魔法があれば簡単に解決できる問題が、私たちの世界ではとても深刻なんだ。それを考えると……」


 リリアは少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「でも、アヤカ。私たちの世界だって、魔法で全てが解決できるわけじゃないのよ」


「え?」


「確かに、病気の治療には魔法が役立つわ。でも、全ての病気が治せるわけじゃない。それに、魔法使いの数には限りがあるし、魔力だって無限じゃないの」


 リリアの言葉に、私は少し意外な気持ちになった。


「そう……なんだ。てっきり、魔法があれば何でもできるのかと思ってた」


 リリアは少し寂しそうな笑みを浮かべた。


「そう思われがちなの。でも、現実はそう単純じゃないわ。それに……」


 彼女は少し言葉を詰まらせた。


「それに?」


「魔法があることで、別の問題が生まれることもあるの」


 リリアの表情が曇った。

 私は、彼女の言葉の意味を理解しようと努めた。


「どういうこと?」


「私たちの世界では、魔法使いと一般の人々の間に大きな溝があるの。魔法が使える人と使えない人で、社会的な立場が大きく違ってしまう。それが、時として軋轢を生むこともあるわ」


 その言葉に、私は思わず身を乗り出した。


「まるで……私たちの世界の貧富の差みたいだね」


 リリアは驚いたように目を見開いた。


「貧富の差?」


「うん。お金持ちと、そうでない人の間にある格差のこと。経済的な力の差が、社会的な立場の差になることがあるんだ」


 リリアは深く考え込むような表情をした。


「そうなの……私たちの世界と、案外似ているのかもしれないわね」


 その言葉に、私たちは少し沈黙した。

 互いの世界の問題点を知り、その類似性に気づいたことで、なんとも言えない気持ちになった。


 しばらくして、私は話題を変えようと思い、別の質問をした。


「ねえ、リリア。魔法以外のこと、例えば歴史とか文学とかも勉強するの?」


 リリアは少し明るい表情を取り戻した。


「もちろんよ。魔法の歴史や、魔法文学は重要な科目なの。それに、一般教養も学ぶわ」


「へえ、そうなんだ。じゃあ、例えば数学は?」


 するとリリアは少し困ったような顔をした。


「数学? ああ、計算のことね。基本的なことは学ぶけど、あまり重要視はされていないわ。だって、複雑な計算は魔法で瞬時にできるもの」


 その言葉に、私は思わず声を上げてしまった。


「え!? 数学が重要じゃない!?」


 リリアは私の反応に驚いたようだった。


「そう、だけど……そんなに驚くことかしら?」


「だって……」


 私は言葉に詰まった。

 科学を学ぶ者にとって、数学がいかに重要かを説明するのは難しい。

 それは、呼吸するのと同じくらい当たり前で不可欠なものだから。


「数学は……全ての科学の基礎なんだよ。宇宙の法則を理解するためにも、新しい技術を開発するためにも、数学は欠かせないってわけ」


 リリアは首を傾げた。


「でも、魔法があれば、そういった計算は全て瞬時にできるわ。わざわざ人間が頭を悩ませる必要はないのよ」


 その言葉に、私は少し歯がゆさを感じた。


「むぅ……。でも、数学は単なる計算じゃないんだよ。論理的思考を養い、抽象的な概念を扱う力を育てる。それに……」


 私は言葉を選びながら続けた。


「数学はね、美しいんだよ。整数の性質や、幾何学の定理。それらは、この宇宙の神秘を解き明かすカギなんだよ」


 リリアは少し困惑したような、でも興味深そうな表情を浮かべた。


「美しさ? 数字に?」


 私は熱を込めて説明を続けた。


「そう、例えばπ(パイ)という数字。円周率のことだけど、これは無限に続く数で、その中にはあらゆるパターンが隠れている。それを探求することは、まるで宇宙の秘密を解き明かすようなものなんだ!」


 リリアは黙って聞いていたが、どこか納得がいかないような表情だった。


「でも、そんなことを知って何になるの? 実用的じゃないわ」


 その言葉に、私は少しがっかりした。


「うぇ。実用的かどうかだけが大事なわけじゃない。知識を追求すること自体に価値があるの」


 リリアは首を横に振った。


「でも、私たちの世界では、実際に役立つ魔法の方が重要視されるわ。理論よりも実践が大切なの」


 むむむ……。

 私たちは互いの主張を譲らず、少し険悪な雰囲気になってしまった。

 科学と魔法、理論と実践。

 私たちの価値観の違いが、ここで鮮明になったのだ。

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