第3話 これってやっぱり、魔女との遭遇ってやつ?

 放課後の理科室に差し込む夕日が、実験器具の影を長く伸ばしていた。

 私、佐藤アヤカは、目の前の試験管を覗き込んでいる。

 中の溶液がゆっくりと色を変えていく様子に、思わず息を呑んだ。


「おおっ、これは面白いデータが取れそうだぞ!」


 独り言を呟きながら、慌てて観察ノートにペンを走らせる。

 科学部の部室として使っているこの理科室で、私は今日も放課後の貴重な時間を過ごしていた。


「アヤカ、まだ帰らないの?」


 振り返ると、同級生の美咲が顔を覗かせていた。

 彼女は科学部のメンバーではないが、私の幼なじみで、よく様子を見に来てくれる。


「ごめん、もう少しだけ。この反応の経過をもう少し観察したくてさー」


 私は申し訳なさそうに笑いかけた。

 美咲は呆れたような、でも優しい目で私を見つめる。


「もう、アヤカってば。そんなに夢中になって大丈夫? お父さん、心配してたわよ」


 その言葉に、私は少し顔を曇らせた。

 父との関係は、最近少しぎくしゃくしている。

 母が家を出て行って以来、父は私のことを必要以上に心配するようになった。

 そして、私の科学への没頭を、現実逃避だと考えているようだ。


「にゃはは……大丈夫、ちゃんと限度は分かってるから」


 そう答えはしたものの、自分でもどこまで本当なのか分からない。

 正直、科学の世界に浸っているときだけが、私にとって安心できる時間なのだ。


 美咲はため息をつきながら、諦めたように肩をすくめた。


「わかったわ。でも、あまり遅くならないでね。じゃあ、また明日」


 美咲が去った後、私は再び実験に集中した。

 目の前の現象を観察し、データを取り、仮説を立てる。

 この繰り返しが、私にとっては何よりも楽しい。


 理科室の時計の針が、ゆっくりと進んでいく。

 外の空が徐々に暗くなっていくのも気づかないまま、私は実験に没頭していた。


「よし、これで今日の実験は終わりかなー」


 ふと我に返り、時計を見ると、もう7時を回っていた。

 慌てて片付けを始める。


「まっずい、お父さん怒るかも……」


 急いで器具を洗い、ノートをカバンに詰め込む。

 そんな中、ふと目に入ったのは、実験台の隅に置いてあった古びた写真立てだった。


 それは、科学部の先輩たちが残していった宝物のようなものだ。

 写真の中には、ノーベル賞を受賞した日本の科学者たちが写っている。

 私たちの目標であり、憧れの存在だ。


「いつか私も、こんな風に世界を変えるような発見を……」


 そっと写真に触れながら、私は心の中で誓った。

 科学者になること。

 それが私の夢だ。

 でも、その夢を誰かに話すのは、少し怖い。

 きっと、また現実逃避だと言われるに違いない。


 カバンを背負い、最後にもう一度実験台を見回す。

 すべての器具が正しく片付けられているか確認し、ようやく帰る準備が整った。


「さて、帰ろっかな」


 ドアに手をかけたその時、不意に背後で何かが「カチッ」と音を立てた。


「え?」


 振り返ると、さっきまで静かだった実験器具が、突然動き出していた。

 ビーカーの中の液体が激しく泡立ち、試験管立ての試験管が不規則に揺れ始める。


「な、何これ!?」


 私は慌てて実験台に駆け寄った。

 しかし、近づくにつれて、さらに奇妙な現象が起こり始めた。


 実験台の周りの空気が、まるでゼリーのようにぐにゃりと歪み始めたのだ。


「こ、これは……!」


 私の科学的好奇心が、恐怖心を上回る。

 こんな現象、今まで見たことも聞いたこともない。

 いや、SFの世界でなら、ひょっとしたら……。


「まさか、空間のゆがみ!?」


 思わずそう叫んでしまった。

 理論上はあり得ても、現実にこんなことが起こるはずがない。

 でも、目の前で確かに空間が歪んでいる。


 私は震える手でスマートフォンを取り出し、必死で撮影を始めた。

 こんな貴重な現象を記録しないわけにはいかない。


 しかし、次の瞬間、予想もしなかったことが起こった。


 スマートフォンの画面も、周囲の空間と同じように歪み始めたのだ。


「うわっ!」


 驚いて手を離すと、スマートフォンは宙に浮かんだまま、どんどん形を変えていく。


 そして、実験台を中心に空間のゆがみはますます大きくなっていった。

 器具や薬品が、重力に逆らうように宙に浮き始める。


「こ、これ……どうすれば……」


 パニックになりそうな気持ちを必死で抑えながら、私は状況を把握しようとした。

 でも、目の前で起こっている現象は、私の知識をはるかに超えている。


 そして、その時——

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