第2話 才能の焦り、記憶の不安

 試験官の声が講堂に響き渡った瞬間、私の体の中を流れるマナが激しく脈動するのを感じた。


「試験を開始する」


 その言葉と共に、目の前に複雑な魔法陣が浮かび上がる。

 それは、私がこれまで見たこともないほど精緻で美しいものだった。


 深呼吸をして、自分を落ち着かせる。

 大丈夫、私にはできる。

 幼い頃から、周囲の大人たちを驚かせるほどの才能があると言われ続けてきたのだから。


 目を閉じ、マナの流れに意識を集中させる。

 すると、体の中を流れる魔力が、まるで生き物のように蠢き始めるのを感じた。

 そう、これこそが私の才能。

 両親から受け継いだ、そして魔法評議会での厳しい訓練で磨いてきた類まれな才能だ。


 目を開けると、私の指先から淡い光が漏れ出ていた。

 その光は、魔法陣に触れた瞬間、鮮やかな青色に変わった。

 魔法陣の欠けている部分が、私のマナによって次々と埋まっていく。


 周囲から驚きの声が上がるのが聞こえた。


「すごい……あれがリリアか」

「魔法陣が、こんなに早く完成していく……」

「さすが評議会のお気に入りだけあるな」


 その声に、少し誇らしい気持ちになる。

 でも同時に、重圧も感じた。

 みんなが私に期待している。

 この期待に応えなければ。


「さすがね、リリア」


 隣で受験していた友達が小声で言った。

 振り向くと、彼女は驚きと羨望の眼差しで私を見ていた。


「ありがとう」


 私は微笑んで答えたが、その瞬間、不意に不安が心をよぎった。

 本当に、これで良いのだろうか?


 私は、自分の才能を疑ったことはない。

 でも、それを正しく活かせているかどうかは、別問題だ。

 両親を事故で亡くして以来、私の中にある不安定な感情が、時として魔力のコントロールを乱すことがあった。


 その考えが頭をよぎった瞬間、指先から漏れる光が不規則に明滅し始めた。


「落ち着け」


 私は自分に言い聞かせる。

 でも、一度芽生えた不安は、簡単には消えてくれない。


 魔法陣の中を流れるマナが、少しずつ乱れ始めた。

 私は必死で集中力を取り戻そうとする。


「リリア、大丈夫?」


 友達の心配そうな声が聞こえた。

 私は何も答えられず、ただ魔法陣を見つめ続けた。


 そうだ、私には才能がある。

 魔法評議会に認められるほどの才能が。

 でも、才能があるからこそ、周囲の期待も大きい。

 その期待に応えられなかったら、私はどうなるのだろう?


 魔法陣の揺らぎが、さらに大きくなっていく。

 私の不安が、マナの流れを乱しているのが分かる。

 でも、止められない。


「10番、何をしている!」


 試験官の厳しい声が飛んできた。

 その声に、私の動揺はさらに大きくなる。


「集中しろ!」


 そう叱咤する試験官の声が、逆に私の不安を煽った。

 私は魔法陣を完成させなければならない。

 でも、このままでは逆効果だ。

 私は何をすればいいの?


 頭の中が真っ白になる。

 そして、その瞬間、私の中で何かが弾けた。


「あ…」


 私の口から小さな悲鳴が漏れる。

 指先から溢れ出ていた光が、突如として激しく輝き始めたのだ。


「リリア!」


 友達の叫び声が聞こえた。

 しかし、もう手遅れだった。


 私の魔力が、制御を失って暴走し始めた。

 魔法陣が不規則に明滅し、その光が講堂中に飛び散る。


「全員、離れろ!」


 試験官の声が響く。

 しかし、私にはもう周囲の状況を把握する余裕すらない。


 体の中を流れるマナが、まるで荒れ狂う大河のように激しくなっていく。

 そして、その力が一気に解き放たれた。


 まばゆい光が、私を中心に広がっていく。


「やめて……」


 私は心の中で叫んだ。

 でも、もう止められない。


 光は瞬く間に大きくなり、私の視界を覆い尽くした。


 その瞬間、私の脳裏に両親の笑顔が浮かんだ。

 あの日、私が初めてマナを操ったときの喜びに満ちた表情。

 そして、事故で彼らを失ったあの日の絶望。


「お父さん、お母さん…私、どうすればいいの?」


 心の中でつぶやく。

 両親を失って以来、私はずっと彼らの期待に応えようと必死だった。

 魔法評議会に引き取られ、才能を伸ばすチャンスを与えられた。

 でも、その重圧が今、私を押しつぶそうとしている。


 光の中で、私は自分の過去を振り返っていた。

 幼い頃、初めてマナを操ったときの驚きと喜び。

 両親に褒められ、抱きしめられたあの温かさ。

 そして、魔法学園に入学し、周囲から期待の眼差しを向けられるようになってからの緊張と不安。


 私の才能は、確かに特別なものだった。

 複雑な魔法陣を一瞬で理解し、操ることができる。

 他の生徒たちが何時間もかけて習得する魔法を、私はわずか数分で習得してしまう。


 でも、その才能が時として重荷になることもあった。

 周囲からの期待が大きければ大きいほど、失敗することへの恐怖も大きくなる。

 そして、その恐怖が私のマナのコントロールを乱すのだ。


 今回の試験も、そんな恐怖との戦いだった。

 魔法陣を完成させる能力は十分にある。

 でも、その過程で湧き上がる不安と戦わなければならない。

 その戦いに、私は負けてしまったのだ。


 光の中で、私は自分の弱さを痛感していた。

 才能があるのに、それを正しく活かせない。

 周囲の期待に応えたいのに、その重圧に押しつぶされそうになる。

 この矛盾した感情が、今の暴走を引き起こしているのだ。


「私は……本当に魔法使いに向いているの?」


 その疑問が、私の心の奥底から湧き上がってきた。

 確かに才能はある。

 でも、才能があるだけで、本当に立派な魔法使いになれるのだろうか?


 光の渦の中で、私は自分の存在意義を問い始めていた。

 魔法評議会に期待される存在。

 両親の遺志を継ぐ者。

 アルカディアの未来を担う若き魔法使い。

 そんな肩書きが、重い鎖のように私を縛り付けている。


「本当の私は……どこにいるの?」


 その問いに対する答えは、まだ見つからない。

 ただ、今の私にできることは、この暴走を何とか止めることだけだ。


 必死に、マナの流れをコントロールしようとする。

 でも、もはや私の意思では制御できないほどに、魔力は暴走していた。


 講堂中に響く悲鳴や叫び声。

 試験官たちの必死の呼びかけ。

 そのすべてが、遠い世界の出来事のように感じられる。


 私の意識は、どんどん遠のいていく。

 体が、マナの力に飲み込まれていくような感覚。


 そして、その時——


 突如として、強烈な光が私を包み込んだ。

 それは、今までに感じたことのない、圧倒的な力を持った光だった。


「これは……」


 驚きとともに、不思議な安心感が私を包む。

 この光は、私を責めるものではない。

 むしろ、優しく包み込んでくれているような感覚だ。


 光に包まれながら、私は自分の中に眠る本当の力に気づき始めていた。

 才能や期待、重圧。

 そんなものを超えた、もっと根源的な力。

 それは、きっと私が本来持っていた、純粋な魔法への愛着なのかもしれない。


 光はどんどん強くなり、私の体を完全に包み込んでいく。

 そして——

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