第17話 狂気の追跡者

 本校舎の薄暗い廊下の奥の美術室で悲鳴が上がった。

「やめて!!」

 声の主はノエルであった。ノエルは跳ね飛ばされ、いくかの三脚とともに地面に倒れこんだ。製作途中の絵画がばらばらと床に散らばった。

 男は地面に転がった油谷ミケの絵画に目線を落とした。そして、絵画の前で身構えた。男の手にはクリケットバットが握られていた。

 すかさずノエルはミケの絵画に覆いかぶさった。しかし、男は全く躊躇することなく問答無用にクリケットバットを振り下ろした。

「がはっ。うう・・・。ぐうっ。ううう・・・」

 ノエルの背中は鋼のような木片が何度も打ち付けられたが、ノエルは隙を見て教室から逃げ出した。その両腕にはミケの絵画が抱きかかえられていた。

 ミケの絵画。和装のルノワール。なぜかアルルに似ている女性の肖像画。ミケが瑛峰学院大学の西洋美術科へ進学するための大事な絵画。ノエルはミケの絵画を抱きかかえてひたすら逃げ続けた。

 誰もいない無人の教室が続く廊下。暴漢はなおも執拗にノエルを追ってきた。ノエルは何故か人通りを避けるように逃げ続けた。悲鳴を上げることもなかった。そして、最終的に追跡者を振り切るためにチャペルの中に逃げ込んだ。

「はぁはぁ・・・、神よ。迷える子羊を助けたまえ」

 破けた制服、複数の裂傷、背中に多数の打撃痕。それでもノエルは一心不乱に祈りを捧げた。

 しかし、狂気の暴漢は、静かにノエルの背後に迫っていた。振りかぶったクリケットバットは再びノエルに狙いを定めていた。

 そこで、チャペルの扉が開いた。外界の光とともに扉から姿を現したのは生徒会長のイサクとクリケット部キャプテンの石黒であった。


「まちな。油谷ミケ。そこで、何やってんだ」

 扉から差し込んだ光が油谷ミケの姿をまぶしく照らし出す。

 ミケは突然の強い光に目をくらませていた。

「お前ら、停学中じゃなかったんか?」

「俺のクリケットバットのケースにな、サブ携帯を入れてたんだが、GPSで見たら、勝手に移動し始めたことに気づいたんだよ。で、わざわざ学校まで見に来たってわけさ」

 石黒は、ミケの近くまで近づき、手を伸ばした。

「なあ、返してくれるか。それ、俺のなんだよ」

 ノエルはイサクの方を向いて弱弱しく答えた。

「ああ、イサク。これは、僕とミケの問題であって・・・」

 ミケは多勢に無勢を悟ったのか両手を広げて、降伏のポーズを取った。そして釈明を始めた。

「俺が西洋美術科に行くにはノエルが邪魔だったんだ。だから、ついこんなことをしてしまった。すまない・・・。本当に反省している。だから、見逃してほしい」

 しかし、ミケは右手のクリケットバットを離すような動作は見せなかった。

 イサクは振り返って背後の人物に尋ねた。

「先生、いいですか?」

「許すわけ無いだろ。どんだけの傷だ」

 イサクの背後に控えていたのは体育教師の大城であった。

「すいません。僕のせいです。僕が悪いんです・・・」

 ミケが泣くような仕草をし始めた。しかし、ふと、気を許したところで、ミケはクリケットバットを振り回し始めた。

「こうなってしまっては、もう、手遅れなんだよ!!」

「やめて!!」

 ノエルが必死に掴みかかるが、再び跳ね飛ばされた。

 次にミケが標的としたのはイサクであった。イサクはミケの振り回すクリケットバットを間一髪のところでかわし、タックルを仕掛けた。

「ぐふぅ」

 ミケは取り押さえられた。しかし、クリケットバットは折れ、先端側の木片がノエルの顔を直撃。ノエルは瞼のあたりから流血した。

 石黒はノエルの傷の様子を確認していた。

「おい、だいじょうぶか?」

「うう、僕はだいじょうぶ。イサクとミケは大丈夫か?ちょっと出血がすごくて目が開けられない」

 ノエルの目の付近の傷からは出血が続いていた。

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