第1話 瑛峰学院生の朝はいつも眠い

 太平洋の潮の香がほのかに流れ込む高台の坂を一台のタクシーが駆け上がっていた。乗車しているのは3人の高校生。あくびをしたり、窓の外をぼーと眺めたり、前髪を整えたりと気力のない様子である。

 目の前の交差点で渋滞が起きていた。右折待ちのバスが原因であった。この時間、対向車は多く、なかなか右折できないが、バスの車体は後続の車の流れも遮っていた。

 タクシーは裏道に入った。住宅地の生活道路である。車がようやくすれ違えるかどうかという小道をタクシーはすり抜けながらさらに高台を目指した。

 高校生たちの乗るタクシーは高台の上に着いた。しかし、タクシーはなおも走り続けていた。ここで横の歩道は登校途中の学生たちに埋め尽くしていた。タクシーは学生たちの集団を追い越し、門をくぐり、昇降口の目の前まで着いて、ようやく停車した。

「1260円です」

 高校生たちは安心した。ちょうど、3で割れる料金だったからだ。

 そして、その時、始業のベルが鳴った。

「ふー、間に合ったぜ」

 3人のうちのリーダー格の男、石黒九郎はそうつぶやきながら、悠然と校舎の中へ入っていった。その後を鳩山と織部が続いた。

 正確にいうと、始業ベルが鳴った時点で教室の外にいたのだから、実は間に合っているわけではないのである。

 ちなみに、今日は特別な日ではない。これは瑛峰学院高校の日常の姿であった。

 高校生なのに、学校までタクシー乗るってどうなの?学内でよく言われていたことだった。


 GMARCHEと呼ばれる大学グループの呼び方がある。これは、いわゆる関東の私立大学の人気難関校の俗称で、その「E」が瑛峰学院大学の頭文字である。

 瑛峰学院高校は大学付属校で、約80%の生徒が瑛峰学院大学に進学する。逆にいうと2割の生徒が成績不良で推薦権を逃すのである。推薦権を逃すとどうなるのか?もともと、GMARCHEより上位の私立大学は早慶上智のみ。上位の大学を狙うのは難しい。そもそも、成績不良で推薦を逃す生徒が、まともに大学受験に耐えることは難しいと言われている。

 しかし、そんなリスクがあるにも関わらず、まじめに授業を聞く生徒は少ない。授業中は寝まくっている。ノートは真っ白で、教科書はロッカーに置きっぱなしで自宅学習はほとんどない。定期試験は、如何に手を抜いたうえで試験の臨み、要領よく大学推薦権を確保したかを自慢しあっていたのであった。

 でも、手を抜きすぎて本当に推薦権を落としてしまう生徒もいた。しかし、大学受験になって、まじめに授業に向かう生徒も、学院生にとっては冷やかしの対象であった。

 ある日、地震が発生した。瑛峰学院でも表向きはスマホ・携帯の使用は禁止されていたが、教室では緊急地震速報を知らせる多数のアラームが響き渡った。そのことを厳しく咎める教師もいなかった。

 放課後、教室の後ろの方で、ゴロゴロと球が転がる音がした。ボーリングの球である。ボーリングの球があるのは、マイボールだからである。学院生にとって、放課後はカラオケかボーリングが定番である。多少面倒くさくてもマイボールを持参して学校に来てしまっているのである。高校生なのに、ボーリングのマイボールを学校に持ち込むのってどうなの?学内でよく言われていた。

 ある日の昼休み、眼鏡をかけた長髪の気弱そうな男子を、大柄な男子たちが取り囲んでいた。絡まれていたのは美術部の瀬戸ノエル。囲んでいたのはクリケット部の石黒、織部、鳩山の3名であった。

「はい、小論文の課題は宗教改革だから、3人分の下書きを用意しておいたよ。石黒君分はマルティン・ルター、織部君分はジョン・ウィクリフ、鳩山君分はヤン・フス。それぞれ3ページ分渡すよ。合計で5ページだからちゃんと書き足して5ページ分にしなきゃだめだよ。あ、あと、そのまま出しちゃだめだからね」

「おお、サンキュ!さすがはノエル!!頼りになるぜ!!」

 瀬戸ノエルは瑛峰学院では数少ない真面目系である。しかし、一回りも二回りも体格の大きいクリケット部員たちは、寄ってたかって瀬戸ノエルから原稿を奪い取っていった。

 そこで、目の前の扉ががちゃりと開いた。

「おい、お前ら。生徒会室の前で何やってんだよ」

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