第36話 新しい家

 商館の豪華な馬車に乗って、ラーダの街の郊外にやってきた。


 購入予定の一軒家を、内見ないけんするためである。


「ここか?」


「はい、お客様。こちらが当店のオススメ物件です」


 俺たちは目的の家の前に到着した。


 正門前で馬車から降りて、担当者から説明を聞いていく。


「なかなか静かで、いい立地だな」


「ありがとうございます。この区画の中でも、特別な場所です」


 ここはルーダの街の中の別荘区画。


 その中でも今回の物件は、特別なもの。


 元々は貴族が別荘として使っていた屋敷だという。


「なるほど。それは静かで助かるな」


 俺は物件の周囲を観察していく。


 屋敷は小高い丘の上にあり、周囲を背丈くらいの塀で囲まれている。


 見晴らしもよく、防衛戦をしても強そうな立地であった。


「それにしても、オードル。ここは周りには店も何もないのだぞ?」


「そうだな、エリザベス。だが、この方が静かで住みやすいぞ」


 エリザベスは不満そうだが、悪くない環境である。


 ここは城壁の中でも、池や林の自然が残っていた。


 故郷の村に近い環境なので、マリアも過ごしやすいであろう。


「お客様、買い物などは、ここから坂を下ったところに市場もあります。日用品などは、そこで買うこともできます」


 商店の担当者が詳しく説明してきた。


 なるほど。


 市場が近くにあるのか。


 それなら日常の買い物の不自由はないであろう。


「では、お客様。敷地内にご案内いたします」


 担当者に案内されて、正門をくぐっていく。


 まず目の前に見えたのは、広い庭である。


「パパ、お庭があるよ!」


「足元に気をつけるんだぞ、マリア」


 はしゃぐマリアに気をつけながら、庭を歩いていく。


 庭にはけっこうな広さがあり、小さな池や小川まである。


 また畑の跡もあり、かなり自然が豊かであった。


「随分とゆったりとした庭だな?」


「はい、お客様。前の持ち主の方は、ここで自然を満喫していたようです」


 なるほど、そういうことか。


 ここを建てた貴族は、保養所として使っていたのであろう。


 成金趣味の貴族ではなく、自然を愛した貴族なのかもしれない。


 遠目に見える屋敷も、自然と調和した様式の建物であった。


「それにしても、オードル。ずいぶん雑草が生えているな?」


「そうだな、エリザベス。だが悪くない雰囲気だ」


 エリザベスが言うとおり、敷地内は雑草が所狭しと生い茂っていた。


 だが、これは土が豊かな証拠。


 手入れをしていけば、野菜なども作れるであろう。


「パパ、見て! お花畑があるよ!」


 そんな雑草の中に、花畑があった。


 発見したマリアは、笑顔で近づいていく。


「きれいだね、パパ! 村でも見たことないお花が、いっぱいだね!」


 自然に繁殖していた花畑に、マリアは嬉しそうだった。


 香りを嗅いで、満面の笑みを浮かべている。


「では、お客様。次はいよいよ屋敷の中をご案内いたします……」


 担当者は、誇らしげな顔をしていた。


 この物件の目玉である屋敷の内部を案内するのである。


 屋敷の内部は物件の最大のポイント。


 何しろ家の中が気に入らなければ、当たり前だが家は売れないのだ。


「いや、建物の中の案内は不要だ」


 だが、俺は担当者に伝える。


 家の中身は必要ないと。


 今回の内見はここで終了だと。


「ど、どうなされましたか、お客様⁉ 何か気に障ることでも⁉」


 そんな俺の言葉に、担当者は顔を真っ青にする。


 必死でフォローをしてきた。


「いや、その逆だ。この家は気に入った。購入を決定した。だから中を見る必要はない」


「えっ、中を見ずに⁉ 購入をしていただけるのですか、お客様⁉」


「ああ。重要なのは、もう見させてもらった」


 担当者に説明をする。


 家を買う時に、もっとも重要なのは環境だと。


 何しろ建物はいくらでも改築はできる。


 だが環境は後からは変えることはできないと。


(それにマリアも庭を気にいっていたからな……)


 それが一番の即決の理由だった。


 どこか故郷の村を連想させる、落ち着いた雰囲気。


 それこそが最大の即決の理由だった。


「家の中身を見ないで購入するなんて……相変わらず、大胆だな、オードルは」


「でも、エリザベス様。オードル様らしいですわね」


『ワン!』


 マリア以外の全員も、納得していた。


 これで満場一致で可決。


 購入をすることにした。


「では、本当にご購入を?」


「ああ。すぐに売買契約書を用意してくれ。今日から住む」


「はい! ありがとうございます、お客様! 今すぐ契約書を用意します!」


 思い立ったが吉日。


 俺は担当者に必要なことを伝えておく。


 よし、これで準備は整った。


 あとは俺だけ商店に戻り、魔核を換金した金をもらう。


 そのまま商店で契約書にサイン。


 これで手続きは完了である。


「さて、これから忙しくなるぞ、みんな。家の掃除に、買い出しに、不具合の修理。やることは盛りだくさんだ」


 この家は長年、誰も住んでいなかった。


 だから足りないものばかりあるであろう。


「マリア、おそうじ、がんばるね!」


 だが、マリアは嬉しそうにしていた。


 腕まくりをして、張り切っている。


 それほど新しい家にワクワクしているのであろう。


 本当に嬉しそうだ。


わたくしも聖堂で自らのことはしてきました。お掃除と片付けは、お任せください、オードル様」


 リリィも同じく嬉しそうだった。


 今までは聖女として、閉じられた世界で生きてきた。


 だが今日から新しい家がある。


 そのことが何よりも幸せなのであろう。


「わ、私は家事は苦手だが、力仕事と買い出しは私に任せておけ、オードル! 愛馬でひとっ走りしてくるぞ!」


 エリザベスも気合十分である。


 そして早くも草むしりをしていた。


 何という気の早さ。


 というか、フライング。


 だが、これからはエリザベスの行動力も頼りになるであろう。


『ワンワン!』


 そうだな、フェン。


 お前のことも頼りにしている。


 戦闘能力を持たないマリアとリリィの護衛を、これからは頼んだぞ。


「さて、マリアの入学の儀は来週だ。それまでにこの屋敷を綺麗にしておくぞ」


「「「はい!」」」


 新しい我が家が決まった。


 こうしてルーダの街での暮らしが、本格的にスタートするのであった。


 ◇


 それから数日が経つ。


 ほこりだらけの屋敷の中で暮らしながら、同時に片付けもしていく。


 片づけは計画よりも早く進んでいた。


「よし、庭はこれでいいな」


 庭の手入れを終えて、


 俺は周囲を見渡す。


 庭は見違えるほど綺麗になっていた。


 ボーボーだった雑草は全て処分。


 落ち葉だらけだった小川と池も、美しい水面を輝かせていた。


「パパ、お花畑もキレイになったよ!」


「そうか、マリア。頑張ったな」


 マリアも花畑の手入れを、終えたところだった。


 最初は雑草に埋もれていたが、今では色とりどりの花が並んでいる。


「あと、こっちに新しいタネも植えたの、パパ!」


「そうか。芽が出るのが楽しみだな」


 花壇の整備は、俺は何も手伝っていない。


 マリアは村から持ってきた花のタネを、花壇に植えていた。


 かなり頑張ったのであろう。


 顔まで泥だらけである。


「オードル! 家の中も終わったぞ」


「オードル様。こちらも終わりました」


 エリザベスとリリィが揃ってやってきた。


 家の中の片づけと掃除、新しい家具の準備も完了したという。


「よし、家の片付けと準備は、これでひと段落だ。みんな、お疲れ様だ」


 この家に住み始めて、まだ数日しか経っていない。


 気になる点も、そのうちに出てくるであろう。


 今後は住みながら、家を改善していく。


「さて、そろそろ時間だな? 準備をするぞ、マリア」


「あっ、そうか。わかった、パパ!」


 今日は入学の儀の日である。


 マリアが学園に入学する、大事な門出の日なのだ。


「じゃあ、マリア、着替えてくるね!」


「ではわたくしがお手伝いします」


「リリィ。私も手伝うぞ」


 女性陣三人は屋敷の中に入っていく。


 マリアの着替えをするためだ。


「さて、俺も着替えるとするか」


 今日の入学の儀は、保護者も同席。


 俺も着替えのために、屋敷の中の自分の部屋に移動する。


「さて、マリアに恥をかかせる訳にはいかないからな。着替えるとするか」


 先日、街で買った紳士服に手を伸ばす。


 市民用の儀礼服で、かなり窮屈である。


 だが今日は大事な娘の門出。


 いつもの薄汚れた服で行くわけにはいかない。


 俺は慣れない儀礼服に着替えていく。


「こんなところか。さて、女性陣のところに向かうとするか」


 なんとか着替えが終わった。


 集合場所は屋敷の玄関。


 行くと、まだ誰もいなかった。


「パパ、おまたせ!」


 その直後。


 マリアがやってきた。


「パパ、どう? マリアの制服?」


 学園の指定の制服に、マリアは着替えていた。


 可愛らしい紺色の制服上に、短いマントを羽織っている。


 マリアは楽しそうにくるくると回って、スカートを舞い踊らせていた。


「ああ、似合っているぞ、マリア」


 その言葉に嘘はない。


 マリアの制服姿は輝いている。


 まるで神話の天使が舞い降りてきたのか⁉ と俺は本気で思ったほどだ。


「本当によく似合っているぞ、マリア」


 今の俺はきっと、だらしがない顔をしているのであろう。


 自分でもよく分かる。


 全身の力が抜けて、隙だらけだ。


 今なら雑兵にも殺される自信がある。


 それだけマリアの制服姿に見惚れていたのだ。


 まったく、戦鬼とあろうものが情けない醜態しゅうたい


 だが、父親とは誰しもこうなのかもしれない。


「さあ、では行ってくる」


 だが、いつまでも放心状態ではいられない。


 このままだと入学の儀に遅れてしまう。


「気をつけるのだぞ、マリア、オードル!」


「お二方とも、いってらっしゃいませ」


『ワン!』


 留守の三人が見送ってくれる。


 マリアの門出に、みんなも笑顔であった。


「さあ、行くぞ、マリア」


「うん、パパ!」


 こうして俺たち親子は、入学の儀に向かうのであった。

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