第9話 牛のめぐみ

 野牛を捕獲してから、数日が経つ。

 牛の飼育は順調に進んでいた。


「パパ、ぎゅうにゅう、おいしいね!」


 今朝も取れたての牛乳を飲んで、マリアが満面の笑みで喜んでいる。

 捕獲してきた牛の中にはメスもいた。

 メスは毎日大量の乳を出してくれるのだ。


 牛乳は最優先で、チーズなど乳製品に加工していた。

 だが加工しても余剰が出るほど、毎日牛の乳が出てくる。


 だから村人たちで毎日、牛乳を飲むことにしたのだ。


「牛の乳には栄養がたくさんある。マリア、これから毎日ちゃんと飲むんだぞ」

「うん、わかった、パパ!」


 新鮮な牛乳は、普通の街では高級品である。

 栄養価が高く、健康や美容にも良い。

 だが、都市部では普通は手軽には手に入らない。


「たくさんのんで、マリアもはやく、パパみたいに大きくなる!」


 こうしてマリアが毎日たくさん飲めるものも、田舎暮らしの恩恵であろう。

 そう考えると辺境暮らしも、悪くないのかもしれない。


『ワン、ワン!』

「あっ、パパ。フェンがぎゅうにゅう、おかわり、ほしそうだよ?」

「そうだな。ゆっくり飲むんだぞ、フェン」

『ワン!』


 牛乳はフェンにも大好評だった。

 本来、白魔狼族は牛の乳など飲まない。


 だが初めて口にした牛乳の美味さに、フェンは大喜びしていたのだ。


『ワン、ワン、ワン!』

「フェン、おいしい! って言ってるね、パパ!」


 いつの間にかフェンの犬語を、マリアは理解していたのであろうか?

 それとも当てずっぽうであろうか?


 マリアは嬉しそうに、フェンのふかふかの頭を撫でている。


(美味しい! 牛乳、美味しい!)


 少し遅れて、フェンから念話が漏れてくる。

 本当にマリアが言っていたことと、同じだ。


 まあ、フェンが無我夢中で飲んでいる姿を見れば、一目瞭然なのかもしれないな。


 とにかく取れたての牛乳は実際に美味しくて、しかも栄養価が高い。

 マリアとフェンの成長に、これから一役買ってくれるであろう。


「じゃあ、マリア。後片付けは頼んだぞ」

「うん、わかった。パパも、気をつけてね!」


 朝の仕事が終わったところで、家を出発する。

 今日はこれから牛の様子を、確認しに行くのだ。


 ◇


 村の外れの建物にやってきた。

 ここは新しく建てた牛舎である。


「ふむ、いい感じだな」


 牛舎の様子を観察して満足する。

 中では30頭近い牛が、もぐもぐとエサを食べていた。


 この種の牛は雑草や穀物まで、何でも食べてくれる。

 時おり村の近隣に放牧するだけで、飼育も簡単。

 かなり飼いやすい牛である。


「おっ? オードル、オヌシも来ていたのか?」

「ああ、ジイさんもか」


 牛舎で村長に出くわす。

 牛の飼育のために村長は、村人たちと作業しているところだった。


「この牛は本当に凄いもんじゃな、オードル。オヌシがこの牛を連れて帰ってきた時は、何がワシらに起きたか理解できなかった。だが牛とは本当に素晴らしい家畜なのじゃな」

「ああ、そうだな、ジイさん。今まで飼っていた山ヤギの、数倍は役に立つであろうな」


 村の家畜は今までは、山ヤギが主体であった。

 山ヤギは乳と毛が取れるので、便利な家畜。


 だが乳の採取量は、今回の牛の方が段違いで上。

 牛乳は飲むだけではなく、大量の保存用のチーズにも加工ができる。


 さらに殺した時に食べられる肉の量も、牛はヤギの数倍はあるのだ。


「そういえばオヌシが作ってくれた牛用の農機具で、開墾の方も順調じゃぞ」

「ああ、そうか。牛は労働力としても優れているからな」


 牛は畑の労働力として使うことにもした。

 何しろ牛の力は人間の何倍もある。

 専用の農機具を引っ張らせることで、固い地面を楽々耕すことができるのだ。


「畑の開墾が終わったら、裏の森の開拓にとりかかろう、ジイさん」

「おお、そうじゃのう。まさに牛さま様じゃのう」


 牛農具は森林を開墾して、畑を広げていく時にも重宝する。

 木材を運んだり、木の根を掘り起こすことも可能。

 これで村の農作物の生産性も、数倍になっていくであろう。


 まさに牛の飼育は、辺境の農村にとって大革命なのだ。


「それにしても、オードル。お前さん、農具や牛舎を作る大工仕事まで、ここまでこなすとはな……」

「ああ、これのことか、ジイさん? 元傭兵として大工仕事も出来ないと、話にならないからな」


 今回の牛舎と農機具は、オレがほとんど一人で作った。

 かなり大規模になったが、闘気術で身体能力を強化していたので問題はない。


 何しろ大きな野戦になると傭兵は、拠点造りも自分たちで行う必要もあるのだ。


 材木を切り出し、大きな小屋を作る。

 元傭兵のオレには、造作もない作業だ。


 また傭兵時代は大陸中の村を回っていた。

 今回の農機具は、その時に教えてもらった物を参考にしていた。


「あんなに小さかった“悪ガキ”オードルが、いつの間にか大した男になったものじゃのう……」


 村の死活問題だった食料を、たった数日で解決。

 しかも一人で解決したことに、村長は改めて感心していた。


“悪ガキ”オードルか……懐かしいあだ名だな。


「だがジイさん。大変なのはこれからだぞ。この牛を飼育していくのは、村人の仕事だ。今まで以上に仕事が増えるから、頑張る必要があるぞ」


 酪農は有り難いことばかりではない。

 何しろちゃんと世話をしなければ、牛は痩せこけてしまい、死んでしまう。

 今後は村人全員で、酪農にも従事していかなければいけないのだ。


「ふぉっ、ふぉっほ。それなら心配無用じゃ。ほれ、見てみろ。村人たちの笑顔を?」

「ん? ああ、そうだな。オレの杞憂だったな」


 村人たちは笑顔で、牛の世話をしていた。

 何故なら食料問題の多くが、今回の牛の捕獲で解決されたのである。


 家族や子どもが、冬に飢えなくてもいい。間引きをしなくていい。

 ……そう考えただけでも、大人たちは自然と笑みが溢れているのだ。


 誰も牛の世話を苦にしていなかった。


「じゃあ、ジイさん。オレは戻るぞ。また何か家畜に適した獣がいたら、捕まえておいてやる」

「おお、それは有り難い。期待しておるぞ、オードル!」


 村長と別れて、牛舎を後にする。

 また森や草原に、出かける時もあるであろう。

 その時に違う種類の家畜を探すつもりだ。


 野豚や野羊、野馬など……大陸には家畜に適した獣がまだいるのだ。


「さて、次は……」


 とりあえず当面の食料問題は解決した。

 オレは次の村の問題場所に向かうのであった。


 ◇


 牛舎から、村の中心部にやってきた。


「あっ、パパだ! おしごと、おわったの?」

「いや、まだだ。少しだけ寄り道しただけだ、マリア」


 やって来たのは村の小さな小川。

 マリアたち村の子どもたちが、元気に遊んでいる所であった。


「いまは、みんなで、お絵かきして、あそんでいたんだよ、パパ!」

「お絵かきか……それはいいことだ」


 マリアたちは砂や地面に、絵を描いて遊んでいた。

 書ける軽石をペン代わりにして、色んな絵を描いている。


 動物の絵や、花の絵。

 想像力が豊かな子どもたちは、自由に色んな絵を描いている。


(やはり……な)


 絵を見ながら、オレはあることに気がつく。

 それを確かめる必要がある。


「おい、お前たち。オレはマリアのパパだ。怖くはないぞ。ところで、この中で、自分の名前を書ける者はいるか?」


 その場にいた子どもたちに尋ねる。

 なるべく小さく優しい声で。


 何しろオレの声量は半端ない。

 普通に発声したら、子供は恐怖で泣いてしまうのだ。


「えっ、えっ? 字?」

「ボ、ボクは字を書けないよ!」

「あたしも、字は書けないよ!」

「うちのパパとママも書けないよ!」


 子供たちから、驚くべき返答があった。

 誰一人として、字を書ける子がいないのだ。


 そればかりか。

 親の中にも字を書けない者が、かなりいるのだという。


(やはり、そうか……)


 これがもう一つの問題。

 予想していた状況だった。


 文字の読み書きができる人の割合“識字率”が、この村は極端に低いのである。

 まともに大陸共通語を全部読み書きできるのは、村長一家とカサンブランカたち商店一家。あとは数軒の家の者だけであろう。


 自給自足で外部との交流が少ない辺境の村とはいえ、これは驚異の識字率の低さである。


「これは困ったな……」


 マリアたちの遊び場から離れながら、村の現状に嘆く。

 何しろ文明ある人にとって、読み書きは大事である。


 これだけの話、オレも村にいた時は、読み書きがまったく出来なかった。

 だから傭兵団に加入した時に、かなり苦労した経験がある。


 街の商店でボったくられたり、給与を上司にごまかされたり。

 字の読み書きが出来ないだけで、大きな損失を伴った。


 だから、その後のオレは必死で、文字の勉強に励んだのだ。


「マリアにも同じ辛い思いは、させられないな……」


 娘のマリアがこれから、どんな人生を送るか予想もできない。


 だが学のない女性が、大都市で辛い目に遭ったのを、オレは何度も目にしてきた。


 彼女たちは字が読めないだけで、商人に騙されて借金を負わされていた。

 そのまま娼婦や奴隷に借金のカタで、落とされた者もいたのだ。


「この村の教育を、なんとかしないとな」


 子の将来のために、親は全身全霊をかけないといけない。

 今のオレが出来ることは、マリアのために尽くすこと。


 よし!

 そうと決めたら善は急げだ。

 この村に教育制度を設ける準備をしよう。


「まず教育の場所か? これはなんとかなるな」


 子どもたちが勉強する建物は、牛舎のようにオレが建てればいい。

 そうだ。マリアが通うのだから、ちょっと立派な建物にしよう。

 勉強机も立派な物を作ってやろう。

 材木は近隣の森に腐るほどある。


 ちなみに牛舎の一件で、村長からはかなり信頼を得ていた。

 学び屋の建築も、許可は簡単に降りるであろう。


「問題は教師か……」


 王都の学校には、“教師”と呼ばれる専門の学者がいた。


 だが、この辺境の村に教育者はいない。

 村長たちは字を読み書きできるが、教えることは別な技術。

『教える』ことの教育を受けた者が、必要なのだ。


「最後の手段は自分か……」


 オレも誰かに教えることはできる。

 伊達に1,000人を超える傭兵団を率いていなかった。


 オレは自分の部下たちに教育を徹底して、隊員の識字率は100%近くまで押し上げた経験もあるのだ。


「だが子供ガキ相手では、オレは論外だな……」


 オレの強声は半端ではない。

 今では慎重に発声して、ようやく村の子供たちが怖がらない。


 だが教育とは、熱量のぶつけ合いである。

 オレが部下に教える時は、命がけの勝負であった。

 教える時は、思わず本気で怒鳴っていたのだ。


 あれはマズイ声量。

 まだ幼い子どもたちでは耐えられず、気絶してしまうかもしれない。


「教育者がいない……か。これは困ったぞ」


 詰まり状態であった。

 こんな辺境の村に来てくれる学者はいないであろう。


 いったいどうすればいいのか、今回ばかりは困ってしまう。


 ◇


「オードルさん、大変だ!」


 そんな時である。

 村の青年が、大声で駆け寄ってきた。


 この者はたしか、今日は村の門番の仕事をしていたはず。

 いったい、どうしたのだ?


「それがオードルさん。王都から王国騎士が来て、村の正門で騒いでいるんです! 助けてください!」

「なんだと? 王国騎士……だと?」


 王都では、オレは焼死したことになっている。

 真相を知っているのは、国王とごく一部の者だけであろう。


 それにこの村がオレの故郷なことは、誰にも教えていない。

 ということは、王国騎士が来たのは偶然か?


 とにかく、せっかく故郷で静かに暮らしていたのに、最悪のタイミングである。


「ああ。すぐ向かう」


 こんな辺境の村に、王国騎士が来るとは想定もしていなかった。

 こうしてオレは村の正門に駆けて行くのであった。

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