第3話 娘ができた

“娘”

 意味:親にとって、女の子供。


“パパ”

 意味:子供が自分の父親に対して使う呼び方。


 ◇


 幼女を助けたその足で、故郷の村の門をくぐった。


「これはどういうことだ、村長⁉」


 最初に向かったのは村長の家であった。オレのことを『パパ』と呼ぶ幼女を一緒に連れて、事情を聞きにいったのだ。


「おお、オードル。久しぶりじゃのう? 相変わらず大きな声じゃのう」

「ああ、久しぶりだな、ジイさん……いや、そうじゃなくて、この子どもは村の誰の子だ?」


 ジイさんは村長の愛称。60歳を過ぎた年長者の村長に、オレは思わず詰め寄る。


 この幼女は誰の子だと? オレのことを「パパ」と呼ばせた、これは何かの冗談か、悪戯なのか?


「はて、オードル? 何のことじゃ? その子はうちの村の子じゃないぞ?」


 村長は幼女のことを知らなかった。この小さい村には、三百人ちょっとしか住んでいない。


 その中で小さな子どもは数十人。全村人の顔と名前を、村長は覚えている。間違いない。


「それじゃ、この子供ガキは、村の子どもじゃないのか?」


 冷静に考えたら、村ぐるみの悪戯でもないであろう。


 何しろオレが5年ぶりに帰郷したのは、偶然のこと。事前に察知して、この幼女を用意しておくことは不可能に近い。


「それなら、ジイさん。こいつは近隣の村から、ここに迷い込んできた子か?」

「一番近い村でも、大人の足で二日かかるぞ、オードル?」

「ああ、そうだったな」


 獣が多い村境の山を、幼子が一人で越えてくるのは不可能。


 それならこの子は、いったい誰の子なんだ? そしてどこから迷い込んできたのだ?


 謎がますます深まる。


「それからオードル。子どもはそのように……“猫を持つ”ように、抱くものではないぞ?」


 狼から助けた幼女のことを、オレはここまで“首根っこ”を掴んで、運んできている。もちろん窒息死しないように、服を上手く掴んできていた。人体の急所には詳しく、その辺は抜かりない。


「んっ? 子どもはこうやって抱くものではないのか?」


 だが村長は違うと指摘してくる。では、どうやって抱いて運ぶのが、普通なのであろうか?


「オードル。とりあえず、その子を降ろして、直接話を聞いてみたらどうじゃ?」

「そうだな、ジイさん。仕方がない……はあ……」


 子どもから直接聞く……できれば取りたくなかった手段である。


 だが仕方がない。オレは幼女を床に下して、ため息をつく。ひと呼吸おいて尋ねる。


「お前、名はなんだ? どこから来た? 誰の子だ? どうやって来た?」


 なるべく声を抑えて、優しい言葉で少女に質問する。この声量なら大丈夫か?


「オギャー! オギャー!」

「うわーん! 怖いよー!」


 だがダメだった。他の聞いていた子供ガキたちが泣き出す。


 ちっ、こいつら最悪なタイミングで戻ってきたな。外から帰宅してきた村長の孫たちが、一斉に急に騒ぎ出したのだ。


 オレの剛声を急に聴いて、泣き出したのである。


(ちっ、これだから子供ガキは困る……)


 戦鬼と呼ばれたオレの、豪声は半端ない。覇気をのせて全力で発声したものなら、ガラスすら破壊する威力がある。戦場で聞いた敵軍は、それだけで士気を崩壊させる効果もあるのだ。


 こうして覇気を抑えて出しても、子どもなら泣き出してしまう。


 ちっ……だからオレは昔から子供ガキが苦手だった。どんなに優しい顔をして、優しい言葉でも、オレの前に立つ子どもは、全員泣いてしまうのだ。


 案の定、幼女も泣き叫んでいるであろう?


「わたしの名まえ、マリア! 5さい! パパは、オードルだよ!」


 驚いた……。幼女だけは泣き叫んでいなかった。


 むしろ笑顔で答えてきたのだ。


「お、お前……オレの声と顔が怖くないのか……?」


 まさかの反応が信じられなかった。今までオレの声をこの距離で向けられて、泣き出さなかった子どもは一人もいない。


 だが幼女は何でもないように、ケロリとした表情をしているのだ。


「パパのこえ、大きいの、ママから聞いてた。だからマリア、だいじょうぶなの! パパのこえ、やさしい! かおも好き!」


 なんと……そんなものなのか?


 いや……そんなはずはない。現に村長の孫どもは、未だにオレの声に慣れていない。戦鬼の強面と豪声は、そういうレベルではないのだ。


 いや、その前に待て? 今なんて言った?


「ママだと? お前のママは誰だ? 名は? 今どこにいる?」


 少女の言葉の中に、“ママ”という単語が出てきた。


 当たり前だが、子どもは一人ではできない。男女の関係があって初めて誕生するのだ。


 そのぐらいは傭兵のオレでも知っている。こいつを置いていった、母親の居場所を尋ねる。


「ママはママだよ! ママ、今は……いそがしくて、どこかにいったよ! だからマリア、パパの村にきたの!」


 ママの名がママだと。話がまるで通じてないのか?


 それに忙しくて、どこかに去っただと。こいつは嘘を言っているのか?


 思わず興奮してしまう。


「オードル、その子は本当のことしか言っていないようじゃのう? 母親はお前を頼って、その子をこの村の前に置いていったんじゃないか?」

「なんだと、ジイさん? だが一理あるな」


 さすがは年の功の村長である。冷静さを失っていたオレよりも、論理的な推測を出してきた。


 なるほど。それなら先ほどよりも納得がいく。


「だが村長。オレに娘などいないぞ?」


 残念ながら村長の推測には、致命的な欠陥がある。それは独身のオレには、妻がいなければ、5歳の女の子どももいないことだ。


 王都の館には、一人で住んでいたのだ。だからオレには娘は今までいない。


「だがオードルよ。オヌシも男じゃ。女は抱いたことはあるんじゃろ?」

「ああ、ジイさん。オレも男だからな」


 傭兵稼業に女……娼婦や愛人などは付き物であった。部下たちの中には稼いだ金の多くを、懇意にする娼婦に貢いでいた者も多い。


 オレは大きな戦いの後だけに限定して、高ぶった魂を抑えるために女を抱いていた。


 まあ、自分の場合はプロの娼婦ではなく、その時に酒場で意気投合した女が多かったが。


 何しろ戦鬼の名は伊達ではない。向こうから言い寄ってくる町娘も少なくはないのだ。


 だが娘がいることと、女を抱いた経験は、どういう関係があるのだ?


「まさか……知らんかったのか、オードル? 男に抱かれれば、女は腹に子を成すこともあるんじゃぞ?」

「なんだと、ジイさん⁉ だが抱いた翌朝に、腹が大きくなった女はいなかったぞ?」


 オレとて子供ガキではない。腹が大きくなった大人の女だけが、子どもを産む……そのくらいの常識は知っている。


 だからオレには娘などいないと、先ほどから断定していたのだ。


「相変わらず、女子のことに関しては、鈍いというか、無垢というか……知らんのか、オードル? 子は十月十日かけて、母親の腹の中で、ゆっくり成長していくのだぞ?」

「なん……だと……?」


 衝撃的な事実だった。今までの人生の中で、最上位に入るほどの衝撃だった。


 そんな風に子は生まれるのか? 女を抱いた翌朝に、子どもは『オギャー!』と生まれるモノではなかったのか?


 戦場でばかり剣を振っていた人生で、これ以上にないくらいに衝撃的な事実だった。


「だ、だが、ジイさん、この子供ガキがオレの実の子である証拠は、どこにもないぞ⁉」


 実際、王都の貴族には、子を名乗る詐欺が後を絶たない。金目的の詐欺行為なのだが、証拠を見つけて確定するまで、かなり難儀する問題だ。


 この子供ガキが一方的に『パパ!』と言っているだけ。オレの子である証拠はどこにもない。


「この子の髪の色は、お前さんと同じ“銀艶シルバー・シルク色”じゃぞ」

「あっ……それは……」


 決定的な証拠であった。オレの髪の毛の色は、大陸でも特殊な銀艶シルバー・シルク色である。今まで全く同じ色の髪の毛の奴は、一人も見たこともない。


 オレ自身は捨て子なので、自分の親のことは知らない。だが恐らく家族だけは同じ髪の毛の色。


 つまり、この子供ガキが……この幼女が実の娘である、確たる証拠なのだ。


(なんだと……このオレに……子供ガキが……)


 その事実に、目の前が真っ暗になる。


「マリアのかみ、パパとおそろい! うれしい!」


 そんな悲痛なオレの心中も知らず、幼女は無邪気に笑っていた。嬉しそうな笑顔で、自分の髪の毛を見せてくる。


「どうする、オードル? その子は我が家で育ててやることもできるぞ?」


 妻や女衆がいない家の幼児を、この村では全体で育てる風習がある。村長は男一人のオレのことを心配して、親切心で提案してきたのだ。


「この子供ガキは、たぶんオレの子どもだろう。だからオレが責任をもって育てる」


 村長の提案を断る。


 何故ならオレは戦鬼オードル。部下たちには、いつも言い聞かせていた。『好きな女と家族のために、戦士は男として責任は必ずとれ!』と。


 その言葉を自分が破るわけにいかない。これは男としての意地……自分自身の存在意義なのだ。


「まあ、お前さんなら、そう言うと思ったぞ。困ったことがあれば、いつでもワシに相談しろ」

「ああ、そうする、ジイさん……」


 5歳の女の子の育て方など習ったことがない。分からないことばかりである。


 だが今は、とにかく落ち着く場所に移動したい。


 幸いにも村にはオレの家がある。そこに移動して、今後の生活について考えていこう。


「じゃあ、いくぞ、お前」

「マリアの名まえは、マリアだよ?」


 くっ……そんな真っ直ぐな瞳で見つめてくるな。オレが悪かった。


「じゃあ、いくぞ……マリア」

「うん、わかった、パパ! あと、手をつないで、いい?」

「勝手にしろ……くそっ……」


 こうして戦鬼と恐れられていたオレは、幼い娘と暮らすことになった。


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