第3話

 帝君からメッセージが届いた。それは大衆向けのSNSなどではなく、交換した電話番号へのショートメッセージ。

 


『一時間後、駅前集合』


 

 送信ミスの可能性が高い。私はそう思って、そっとメッセージ画面を閉じた。それから、チャンネルを複数回した先の子供向けと思われるショートアニメに目を奪われていると、新着メッセージを知らせる音が響いた。

 

 ロックを解除しようと画面に指を当てる。通知欄の一番上、久しく呼ばれることのない私の名前がそこに表示されていた。


 

『おい、貴哉』


 

 それは間違いなく帝君からのメッセージだった。字面からも伝わってくる不機嫌さに、これはマズいと慌てて指を滑らせる。


 

『仕方ないから今から一時間後にしてやる』

「あぁ、可愛い」

 


 ぽつりと漏れた声にハッと口を押さえたが、もう戻すことなどできるはずがない。誰も側にいなかったことに安堵の息を漏らしてから、スマホをベッドに放り投げてクローゼットを開ける。一度も着ることがないままの自分で買った服がやけに存在を主張している。


 

『兄貴はこういう服も似合うと思うよ』


 

 堅苦しい服ばかりが並ぶ中に、ジーンズとラフなシャツ、本革のジャケットのセットアップ。弟が私を思って選び、勇気を出して購入した服。何かこう、感慨深いものを覚えながら袖を通した。普段の服とは異なり、サイズ感が合わない場所がいくつか見受けられるが、それもそれで心地よい。


 

「さて、と……」


 

 拾い上げたスマホを確認すると、通知が数件溜まっていた。どれも帝君からのメッセージだ。開いてみると、中心が小文字のオメガで構成されたお怒りの顔文字が並んでいる。連絡先を開いて帝君の名前に触れ、電話をかける。


 

『おっせーよ、ばか』

「すみません。慣れない服に手間取ってしまって」

『許さん。今日は貴哉の奢りな』

「ええ、もちろん。それは喜んで」


 

 彼の方がよっぽど稼いでいるだろうに、それでも私が払うのが当然だと思っていたのは私の意地でしかない。

 


『やさしーんだな』


 

 その声はどこかぽやぽやとしていて、陽気に眠気を誘われているようにも思える。彼自身の決めた待ち合わせの時間に間に合うのだろうか、などと考えながら私は車のキーを手に取った。


 

「お出かけですか」

「……ええ、まあ」

「あまり遅くならないように」

 


 それだけ言い捨てて、母はせかせかと寝室へ戻っていった。おそらく愛人の待つ寝室に。


 

「……気持ちが悪いんですよ」


 

 面と向かって言うことはできない言葉を腹の底から絞り出し、頭を振ってから外に出た。ああ、これは確かに眠くなる陽気だ。心地よい陽射しと春の風に撫でられて、うっとりと目を閉じる。こんな陽気は公園でのんびりと昼寝でもしたいものである。

 

 エンジンをかけてシートベルトを締め、周囲を確認してアクセルを踏み込む。そういえば、初めて車に乗った時は、走った方が速いと思ったものだった。今となってはどうしてそんなことを思ったのか、理解もできないのだが。


 

『駅前広場、時計の下』

 


 ヌンッ、と半角の文字が添えられた顔文字は初めて見るもので、たくさん種類があるのだなぁと感心した。


 

『了解です』


 

 私は普段は開くこともない絵文字の欄から笑顔の絵文字を選んで添えてみた。彼のものと比べると、素っ気なさすら見える文字の並びだが、私にはこれが精一杯だった。


 

『にあわねー』

 


 ケラケラと笑う声が響いた気がした。慣れないことをしたのは事実だが、そんなに笑わなくたっていいのに、と自身の脳内に浮かんだ帝君に文句をつけた。


 

『もうすぐ着きます』


 

 コインパーキングに車を停めて、時計台の下へと向かう。キラキラと輝く何かに囲まれながら、帝君はうとうとと船を漕いでいた。

 

 一体どれだけの時間ここにいたのだろう。揺り起こすために肩に手をかけると、黒を基調とした彼のシャツは陽射しを受けてぽかぽかとしていた。


 

「ん、ぅ……?」


 

 薄く開いた目をくしくしと擦り、顔を上げる。ジェダイトの瞳は少し潤んでいて、ゆらゆらと水面のように光を反射していた。


 

「あ、マジできたぁ」

「呼ばれましたから」

「へへ、うれしー」


 

 家族も友人もいたことがない。その言葉にどれだけの痛みを抱えていたのか想像することも容易ではないのだが、それ以上にたった一人の友人に対してと言うべきか、彼のあまりにも警戒心を感じさせない様子は若干心配になる。

 

 初めて顔を合わせた時からそう時間は経っていないはずなのに、これほどまでに心を許してくれていることが嬉しかった。

 


「それで、どちらまで?」


 

 車のキーを目の前にチラつかせると、彼は少し間を置いてからそれを奪い取る。


 

「車はいらねえ。歩こうぜ」


 

 ショルダーバッグにキーを押し込んで、彼はゆっくりと立ち上がった。大きく伸びをしたかと思うと、私の頭から爪先までを視線で一撫でしてふにゃりと微笑む。


 

「かっこいーじゃん」

 


 蕩けるような笑みでそんなことを言われるのは初めてで、かつての恋人といた時にも感じたことのない思いがゆらりと顔を見せる。おそらく、これが幸せというのだろう。


 

「では、行きましょうか」


 

 気恥ずかしさからくるりと背を向けると、帝君の腕が私の腕に回った。大切なものを抱えるように胸に抱き込まれて、近頃の若者はみなこうして距離感が近いのだろうかと小さくため息を吐いたのだった。

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支配されたい私は支配したい君を支配する 九戸政景 @2012712

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