第2話

 桐生院帝という青年は、常人には視認することすら叶わないとされる神獣と関わりを持っているという噂がある。初めは、浮世離れした美貌や、神秘的な風景の中でも圧倒的な存在感を誇る様子から流れた噂であった。


 しかし、彼の身の回りで世話をしている者たちの言葉を借りるなら、明らかに彼は何者かと語り合っている時があるという。



「神獣、ですか」

「なんだよ。お前も馬鹿馬鹿しいとか言うのか」



 何度か顔を合わせる内に、彼は少し砕けた調子で私と話してくれるようになった。



「ちゃんと、ここにいるのに」



 そう言って彼が手を伸ばした先、やはりキラリと輝く光が確認できる。気のせいかと思うほどの瞬く間のことで、確かなこととは言えないが。


 しかし、そのことによって、彼が嘘を言っているのではなく、凡人である私たちには感じ取れぬ高貴なものであるとした方がよっぽど納得出来た。



「その……彼ですか? 彼女ですか?」

「レディだよ」

「ええ、彼女のお名前は?」



 帝君はキョトンと目を丸くし、私とそこにいるであろう彼女を交互に見た。



「フェンリル。フェイって呼んでる」

「ああ、狼の姿を持つ神獣ですね」



 姿を思い浮かべると、確かにそこにいるような気さえしてくる。帝君が撫でているのは顎の辺りだろうか。心地良さそうに目を細める姿を想像すると、微笑ましいものに思えた。


 私の家にも神獣との繋がりがある。誰が言い始めたことかは知らないが、なんと麒麟が我が神野家の祖であるという言い伝えがあるのだ。血の穢れを嫌い、主と認める者にしか頭を垂れぬ高貴な神獣。私が強制されている生き方というのは、そういうところから来ているのかもしれない。



「帝君は、いつも寂しそうな目をしていますね」



 ふと思ったことを告げると、彼はフェンリルの顎を撫でていたであろう手を止めてゆっくりと顔を上げた。



「オレは、神様かなんかみたいに扱われてる。ただの人間なのに」



 少なくとも帝君はそれを喜んでいるようには見えない。神獣と接しているというだけで「ただの人間」と言い張るには少々無理があるように思えるが、彼の言い分はわからなくもない。



「ではまず、私とお友達になりませんか?」

「っ、いいのか……!?」



 彼はジェダイトの瞳を輝かせ、飛びかかってくるような勢いで立ち上がった。勢いよくぶつかる手前で手を伸ばして胸を押す。



「っとと、悪い悪い」



 にかっと笑みを見せる彼は公開されている二十二歳という年齢よりも若く、というよりも幼く見えた。連絡先を交換して別れ、帰路に着く。

 

 すると、何かの気配を感じた気がして振り返った。そこには何もいないのに、確かに気配を感じ取ることが出来る。



「フェイさん、ですか?」



 問いかけてみても返事などあるはずもなく、仕方がないのでそのまま背を向けて家への道を急いだ。私などに興味がないくせに、無駄に束縛したがる両親の機嫌を損ねると面倒なのだ。



「おかえりなさい。どちらへ行かれていたの?」

「……少し、相談に」

「そう。食事の用意は出来ていますよ」



 他人行儀にも思えるやり取りはいつものこと。彼らにとって私は、神野家に初めて誕生した高貴なアルファという価値しかなく、息子として愛された覚えは一度だってない。


 そういう点で思われているのは、勉学に関しても運動能力に関しても私より遥かに劣っている、母によく似た顔の弟の方。


「兄貴」


 唯一私を“人として”扱ってくれる弟を、私は嫌いにはなれなかった。しかし、間違っても好きではない。


 羨望は嫉妬に変わり、そして憎しみへと。人間というものはなんとも浅はかで、自分には手に入れられないものを平然と所有している者に対して抱く暗い感情は当然のものなのだ。



「どうかしましたか?」

「……あの、兄貴は、さ。もしかして……」



 珍しく言葉を選んでいる様子の弟の手に、血統と性別に関する資料があるのを見て、私は一つの答えを導き出した。



「今まで気が付かなかったんですか?」



 赤の他人と言うほどでは無い。私がこの神野家の血筋であることは証明されている。しかし、両親と直接の繋がりはないということも同時に証明されているのだ。責めるような物言いをしてしまったのは、私の傲慢さ故の過ちだ。



「……なんで」

「三十年前、私はこの家の前にぽつりと佇んでいたそうです。分家に生まれた子供だったのかもしれませんが、両親は不明です」



 弟の顔が、何やら複雑なものに変わる。



「だから、兄貴は祖である『麒麟』の生まれ変わりだとか言われてんのか?」



 握り締められた手の中から、もう一枚の資料が覗いた。神野家に伝わる麒麟の伝説。くだらないおとぎ話だと笑うような、そんなもの。



「だとしたら、どうしますか?」



 私が人ならざるものだとして、それによって彼の思いは変化するのだろうか。



「……それでも、俺にとってはたった一人の兄貴であることに変わりはないよ」



 純粋なまでの好意を向けられると、私もどうしていいのかがわからない。


 そんな、美しい思いなど、私は抱くことができないのに。ああ、なんだか今すぐに。帝君に、会いたい。

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