支配されたい私は支配したい君を支配する
九戸政景
第1話
貴方はアルファなのだから、人に頭を下げてはいけない。
なんとも愚かしい教えであるのに、私は三十数年、それを守り続けてきた。深い理由などがあるわけでもない。ただ、そうして従うことが、心の隅にある何かを満たしてくれると感じていたのは事実だ。
職場で強制された性別確定検査。これには出生時に判断される男女の性とは異なる性を区分する目的がある。一つ、身体的特徴としても現れやすい「アルファ」と「オメガ」性の確定。これは生まれた時からオメガのフェロモンの分泌腺を麻痺させるための牙を有していた私には関係のないもの。
重要なのはもう一つ。ダイナミクスという力量関係によって区分される「Dom」と「Sub」の性。これは人によっては一生知ることのない性でもある。だが私は、教育現場に携わる人間としてきちんと確定させる必要があった。
「ええと、
重々しく口を開いた医師の女性は、なかなか続く言葉を吐き出そうとしない。痺れを切らした私が腰を上げようとすると、彼女はカルテに視線を落とすふりをして俯いた。
「貴方は、『Sub』です」
「……そうですか」
そんな馬鹿なことがあってたまるか、と声を荒らげることは容易だろう。しかし、既にある前例と、いくつかの心当たりがそれを行動に移させなかった。
「現在生存しているアルファのSubはそう多くありません。アルファの生来のプライドの高さと、ダイナミクスによる支配を求めるSubの本能との間で、心に歪みが生じてしまうのです。幼いながらに自決を選ぶ程の子供が多くいるのですよ」
そんなに深刻なことなのか、と他人事のように思うのは、これまで片鱗を覗かせるだけに留まっていたその本能とやらを脅威に感じないから。まだまだ若造と呼ばれる年頃であったとしても、成人してからは数年が経っている。聞き分けのない子供とは違うのだから心配されるほどのことでもない。
「それから、Sub dropの危険性も高まります。アルファはDomのGlareに強い不快感を覚える人も多いんです。それから、それから……」
「それが、私に何か関係ありますか?」
DomがGlareという能力を持つように、アルファのフェロモンは他者を威圧すると言われている。私を見くびるな、と警告のつもりで放ったものは、医師の目を甘く蕩けさせるのには充分だった。
「っ、あっ……」
「結果さえわかればそれでいい。そうでしょう?」
子供に言い聞かせるように優しく囁いて、今度こそ腰を上げる。冷静さを保っていられたのは、診察室を出るまでの間でしか無かった。
扉を閉めると同時に心臓が嫌な音を立て始める。メディアに紹介されていた美しいSubの女性を、奴隷と称して蔑んでいた両親のことを思い出した。アルファであることにしか価値のなかった人生だ。Subと知られたら、私は。
「わ、たしは……アルファだ……」
そう、私はアルファだ。しかし、それ以外の何者でもないのだ。そういえば。
──最後に名前を呼ばれたのはいつだっただろうか。
生存しているアルファのSubが多くないという言葉。自決を選ぶしかなかった子供たちの思い。重くのしかかったそれらを見ないふりができるほど、強い人間ではなかったのだと思い知らされた。
医師に勧められたカウンセリングは、きちんと定期的に受けることを決めた。治療の甲斐もあってか、日常生活を送る分にはさほど支障がないところまで回復することができた。
両親はやはり私自身に興味などないのか、私の前でも平然とSubを奴隷呼ばわりし、私がそれであることに気付く様子はなかった。問題は解決した。そう楽観していたのだ、彼と出会うまでは。
「っと、大丈夫ですか?」
カウンセリングが終わり、薬局へと向かう道中、曲がり角で天使のような美貌の青年が胸に飛び込んできた。
「わ、り、見てなかった」
「いえ、こちらも不注意でした」
絹のような柔らかな金糸にジェダイトの輝きを持つ瞳。まさにこの世のものとは思えぬ美しさ。
「
それが本名であるかはわからないが、私はこの青年のことを知っている。俳優やモデルなどの職業に就いているわけではないが、彼は様々なメディアで紹介されている有名人だ。
「……そ、だけど」
おっさん、誰? と、彼の思い浮かべたであろう言葉がそのまま伝わってくる素直な表情は愛らしいと思えた。
「君のファンの一人です。フォローさせていただいています」
彼は所謂インフルエンサーと呼ぶべき存在で、幻想的な風景の中で絵画のような自身の写真を撮影してSNSに投稿している人物だ。
「……あ、ありがと、ござます」
話しかけたのが可愛い女の子でもあれば、彼の警戒も解けたのかもしれかい。残念ながら私はアルファらしく高い身長と立派な体格を持った男である。
「これからも応援させていただきます」
「……ども」
終始怪しい者を見るような目で見ていた彼は、去り際に宙に向かって何かを呟いていたように見えた。その先に輝く何かを感じたのも、気のせいだと言い切るにはあまりにも鮮明だった。
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